その音で、意識が一気に現実へと引き戻された。途端に今まで気にならなかった買い物袋の重みが腕にのしかかる。
「もしもし」
どうにか取り出したスマホの画面に『高島卓』という名前が表示されていたので、佑馬は慌てて耳に当てた。12時を過ぎたところなので、会社の昼休みだろう。
『ユウ、今いいか』
「……はい、大丈夫です」
軽く咳払いして声を整えてから答えた。
卓とはメッセージのやり取りをすることは多いが、電話を掛けてくるのは珍しい。何か緊急のことでもあるのかと一瞬緊張したものの、卓はいつも通りの淡々とした口調だった。
『明日、何か予定はあるか?』
「明日……? いえ、特にこれといって」
『そうか。なら夕方から空けておいてくれ。行きたい場所がある。詳細は後で送る。じゃあ』
「あ、はい……」
言いたいことだけ言って切ったようだ。わざわざ電話を掛けてきた割に伝えられた情報が少ない。
高校時代から変わらない先輩のマイペースさにやれやれと息を吐く。
取り出したついでに通知を確認すると、母親からのメッセージが一件入っていた。仕事のキリが悪いのを理由に、帰る帰ると言いながらなかなか帰ってこないことへの文句が綴られている。
その文句にはアパートに戻ってからゆっくりと対応することにして、佑馬は一旦スマホをポケットにしまった。
それから、目の前の桜の木にもう一度目を向ける。
何度見たって、ごくごく普通の桜の木が立っているだけ。この木にあの子の幻を見せてくれと願うだなんてどうかしてる。
8年経った今も傷が癒えきらず気持ちが不安定になるこの時期。桜の持つ魔性の美しさは、佑馬のその不安定さに付け込んできたのかもしれない。
あのタイミングで電話を掛けて意識を現実へと引き戻してくれた卓には、明日会ったらお礼を言っておこう。佑馬はそう心に決めた。