「……は?」


 ある一本の桜の木の下に、幽霊が立っていた。

 霊感などないし、この世ならざるものの存在は信じていない。──だけど目の前の桜の木にもたれかかるようにして、8年前に死んだはずの幼なじみが立っていたら、誰だってその可能性を疑うだろう。
 その幽霊はおどろおどろしいところなど少しもなく、生前と同じようにただ穏やかな笑顔で、こちらを見ていた。


「なん、で……」


 佑馬は呟きながら、ふらふらとその幽霊に近づいていく。
 だがそのうちに気が付いた。これは幽霊じゃない。ただ自分が白昼夢を見ているだけだ。

 そういえばここ数日、執筆に夢中で寝不足になっている。その状態でこの場所に来て、思い出ある地元の桜並木を連想したりなんてしたから、願望が幻となって現れてしまったのだ。

 ただ、そう気付いた上で、それでも構わないと思ってしまった。


 何かに取り憑かれたように一歩一歩近づく。あとほんの数メートルであの子の幻の隣へ行ける。

 そう思った瞬間だった。いかにも幻らしく、ゆらり、と揺れて……会いたくてたまらなかった人は、あっさり消えてしまった。


「待っ……」


 待って。お願いだ、置いていかないでくれ。

 白昼夢でもいいから、もっと見させてほしかった。ちゃんと会わせてほしかった。


「っ」


 佑馬は唇を噛み締めながら、先ほどまで幻が見えていた木の目の前で立ち止まる。
 手を伸ばして木に触れる。当然、人がもたれかかっていた温かみなどはなく、ささくれだった木の感触だけが指先に伝わってきた。
 あの白昼夢をもう一度見させてくれ。静かに目を閉じて願った。

 ──だがこの桜の木は、再び夢を見せる気はないらしい。

 その代わりに、ポケットに入れていたスマートフォンが、着信を知らせるバイブ音を鳴らした。