サイン会というのはこれまで何回か経験したが、なかなか慣れることができない。

 駅中の大きな書店に用意された櫻田佑馬サイン会スペース。集まった人々の列を見ながら、佑馬はこっそり苦笑いする。
 これだけの人が自分の小説を読み、好きだと言ってくれるというのが不思議でならない。何なら気を遣った書店員たちが用意した偽客(サクラ)なのではないかという気さえしてくる。


「新作読みました! もう切なすぎて一晩中泣いちゃって……」

「ありがとうございます」


 とはいえ、やはり自分のファンだと名乗る人たちからそういう言葉を掛けてもらえるのは素直に嬉しい。
 佑馬がサラサラとペンを走らせ、サインと日付、それからトレードマークである眼鏡のイラストを添えた小説を手渡すと、皆目を輝かせて受け取ってくれる。

 作品によって多少違うが、佑馬のファンは全体的に見て若い女性が多い。今日のサイン会でも、8割近くが10代から30代ぐらいの女性だ。

 少ししゃべって、本にサインを入れて、渡す。そんな同じような作業を繰り返していれば、正直に言ってファン一人一人はいつもほぼ印象に残らない。
 ──しかし、今日に限ってはそうじゃなかった。


「わ、ほ、本物の櫻田先生! どうしよ、やば、目の前にいる!!」


 順番がまわり佑馬の目の前に来たのは、湧き上がる興奮をどうにか治めようと手で口を押さえ、潤んだ目で佑馬を見つめる少女。
 歳は恐らく高校生ぐらい。さらりとした黒髪に丸い瞳の可愛らしい子だ。

 ──似ている、と思った。

 あの子に似ている。容姿もそっくりだが、そう思った原因はそれよりも。


「病院のにおい……」


 消毒液などの薬剤を主とした、独特のにおい。それをこの少女は(まと)っている。それが容姿と相まって、彼女を連想させるのだ。

 周りに聞こえないように小さく呟いたつもりだったが、目の前の少女には届いていたらしい。