「莉桜ちゃんがあの子の名前を名乗って書いたたくさんの小説は、日本中……もしかしたら世界中の人を楽しませているんでしょう。そしてその人たちの記憶には、きっと『櫻田佑馬』の名前が刻まれている。──おかげで、当分の間あの子に二度目の死は訪れそうにないわね」


 息を飲んだ。
 今まで、そんな考え方はしたことなかった。


「だけどもう、十分」


 じゅうぶん。
 その言葉を聞いて、莉桜の目からは熱いものが零れ落ちた。

 泣いてどうする。

 唇を強く噛んだが駄目だった。涙は次から次へと溢れてくる。


「ごめ……なさ……ごめん、なさい……」

「謝らないで。いいのよ、気が済むまで泣きなさいな」


 裕美子は、まるで自分の娘にするかのように、優しくしっかりと莉桜の頭を撫でた。

 大人になってからこんなに泣いたのは初めてかもしれない。
 時間の感覚がなく、どれぐらいの間そうしていたのかはわからない。だけど、落ち着いてから飲んだ紅茶は、熱かったはずなのにすっかり冷たくなっていた。






 ひとしきり泣いた莉桜が気まずそうに、だけどスッキリとした顔で帰って行った後、裕美子はテーブルに頬杖をつきながら窓の外を見ていた。


「お母さん」


 ガチャリとリビングのドアが開いた。部屋に入ってきた娘が、心ここにあらずといった状態の裕美子に声をかける。


「あら佑那(ゆな)。帰ってたの?」

「結構前にね」


 櫻田佑那は裕美子の末の娘。佑馬にとっては妹である。
 佑馬の歳はとっくの前に超し、髪を染めてずいぶん大人っぽくなった。


「莉桜さん来てたんだね」

「そうよ」

「帰り際ちらっと見たけど、ずいぶん雰囲気変わったね莉桜さん」


 佑那はティーポットに残った冷めた紅茶の残りを飲んで、「苦っ」と顔をしかめる。雑に冷蔵庫を開け、たっぷりの牛乳と砂糖を紅茶に混ぜてから裕美子の前に座った。


「てかさ、嘘ついて良かったの?」

「……聞いてたの?」

「自分の部屋行く途中、ちょうど聞こえてきたの」