そんなじいちゃんをかっこいいと思っていた。

 自慢のじいちゃんだった。
 
 つい最近までは。


 だけど、これもつい最近気づいた。

 俺は、じいちゃんみたいにはなれない。

 命を懸けるほどのことはしていないし、「死」と向き合うような境遇でもない。

 同じような毎日の繰り返しがあるだけ。

 今日だって、いつもと特に変わらない三百六十五日のうちの一日。

 閏年になれば、それが一日増えるだけ。

 この日に誇りを持つこともないし、自分が平和の象徴だなんて、胸を張ったりもしない。

 俺はただの、十七歳になったばかりの男子高校生。

 戦中生まれのじいちゃんとは違う。


「お前たちは恵まれている。平和な世の中に感謝しろ」とじいちゃんはしょっちゅう言うけれど、こちらはこちらで大変なのだ。

 勉強とかクラスの人間関係とか、進路とか将来とか。

 SNSとか流行とか。

 目まぐるしい世の中の変化の渦中にいて、呑まれ、置いて行かれまいと必死でもがいて、諦めとため息を繰り返す現代。

 周りと違うことが怖くて、目配せし合って顔色うかがって。

 言いたいことをつぶやけば火の手が上がる。

 本音も本性も隠して、周りと同化するのがこの世の中のルール。

 自由も平等もない。

 しんどくなったら、手におさまる薄い板を叩いて、それを眺めていれば一日がなんとなく終わっていく。

 そうやって目をそらして、戦うこともせず、逃げることだってできるけど、その光が消えると同時に、また現実に引き戻された時に訪れる虚無感ときたら、言いようがない。

 徒労感に支配され……って難しく説明してるけど、詰まるところ、昔と今とでは、何も変わっていないということだ。

 戦時中とはまた違った生きにくさや不自由さが、今の世の中にはある。

 こんな世の中で、本当に日本は平和を取り戻したと言えるのか?


 だいたい今の世の中、命を懸けて熱くなって、必死に生きるなんてカッコ悪い。

 そんな人はいない。

 いや、いるか。

 命をかけて熱くなって、必死に生きる、じいちゃんが。

 マジ、うざいけど。