八月に入ったとたん、テレビにはしきりに戦時中の映像が流れ、戦争特番が打ち出される。

 ぎこちない早送り再生されたような古びた映像と経験者の声が、平和ボケした俺たちに戦争の悲惨さを訴えてくる。

 その映像が、声が、どれだけの人に届いているのかは、わからないんだけど。

 少なくとも、俺の胸には響いていない。

 その証拠に、俺は長きに渡る戦争を終え平和を取り戻した日が誕生日であるにもかかわらず、ちっとも嬉しくない。

 戦争のことを知って、この平和を噛み締めろと言われても、俺にとっては生まれた時からこの日常が当たり前なんだし。

 ありがたみより、むしろ煩わしさを感じているほどだ。

 

 記念すべき日であることは確かだし、特別な日だってことはわかってはいる。

 だけど、その日が誕生日と重なった現代っ子の身にもなってほしい。

 誕生日のわくわくが、午前中の墓参りと、世に流れる終戦特番でさすがに萎える。

 さらに俺の頭をよぎるのは、じいちゃんの言葉。


「お前は終戦の日に生まれたありがたい子どもだ。

 日本男児として、お国のために散っていった命の分まで精いっぱい生きろ。

 この日に生まれたことを誇りに思え。お前は平和の象徴だ」


 故に俺の名は「享平」と名付けられた。

「平和を享受する」で「享平」。

 この日本国憲法に出てきそうな名前を付けたのは、他でもない、じいちゃんだ。

 そのじいちゃんは今、花火師としてあの大輪の花火を打ち上げている。


 じいちゃんが教えてくれた。

 花火師は、死と隣り合わせの仕事だ、と。

 花火を作るのも、花火を上げるのも、命がけの仕事なのだと。