1、冬の始まりの凛とした空気よりも、君は透明だった。


 白夜の中、君と手を繋いで、ずっと青白い世界を歩き続ける夢を見た。
 私も君も素直になれなれない奇妙な夢だった。
 
 なんで君の気持ちがわかるんだろうと思ったら、君の気持ちを知ることができる設定になっていた。だから、私は立ち止まり、君の表情を見たあと、そっと君の胸に右手を当てた。すると、君の気持ちが簡単にダウンロードされていく感覚がした。

「この世界から消えないでほしい」
 そう確かに聞こえた。

「ありがとう」
 こんなに私のことを思ってくれているなら、お礼をしないとねと思い、私は素直にその言葉を口に出すと、君は小さく頷いた。まだ、私の右手は君の胸に当てたままだ。少しだけ筋肉質な君は男子そのものだった。170センチくらいの平均的な身長に、長めの黒髪はセンターパートで中性的な印象だ。
 色白で、鼻筋がすっと通っていて、くっきりとした二重の君は透明感100%だった。

『もし、こっちが世界から消えたら、忘れてね』
 忘れないよ。
 私も口に出さずに、思いをそのまま君に伝えてみた。

「いいんだよ。人は過去を振り返るものじゃないんだから」
「忘れられないよ」
 今度は小さな声で口に出してみた。
『一瞬だけでも君と過ごせてよかったと思ってるよ。だから、忘れて。氷が溶けたあとの水たまりみたいにね。だからね、』

 君の微笑んだ表情を見たあと、私は夢から現実に戻った。
 
 現実の私は机に突っ伏して寝てしまったみたいだ。顔を上げ、机に組んでいた両腕をあげ裏返すと、両手には無数の縦線ができ、赤くなっていた。押し潰され、開きっぱなしの数学の問題集がLEDのスタンドライトの光で白さを増していた。

「寝てる暇なんてないのに」
 そう言っても、私の独り言に答えてくれるような人なんて存在しない。憧れの高校を目指しているんだから、もっと頑張らないと――。
 カーテンをしていない、窓を見ると、真っ黒な世界で無数の白い粒が舞っているのが見えた。

 そして、さっきの夢のことをふと思い出した。
 さっき話した男の子は一体、誰だったんだろう――。

 あんなに親しそうだったのに、私は夢で見た君のことがわからなかった。
 夢で見た君はきっと他人で、知りあったことなんてないと思う――。

 右手を頬に当てると、頬が涙で濡れていた。だから、私は気がついた。
『君が大切だってことを伝えたいんだ』と。




 僕は図書室のドアの鍵を開け、そして、ドアを左側にスライドさせると、いつものように古くなった紙とインクの匂いがした。そして、入ってすぐ右側にある電気のスイッチをすべて押し、スイッチの隣に壁付けされているエアコンのスイッチを押した。
 上靴を脱ぎ、カウンターまで行き、パソコンを起動させた。
 きっと10年くらい取り替えていないであろうノートパソコンはハードディスクをガチャガチャさせながら、起動し始めた。

 キャスター付きの事務椅子に座り、バッグからiPhoneを取り出し、Spotifyを開き、そして、ラバー・ソウルをタップした。カーペットを足でこすると、靴下越しに潰れきったカーペットのザラザラした感触がした。

 どうせまだ誰も来ないだろうから、昼休みに毒された耳を直そう――。
 イン・マイ・ライフをタップして、iPhoneをカウンターテーブルの上に置いた。そうしてしまうと、古臭いゆったりとしたテンポのロックで空間はあっという間に穏やかな雰囲気になった。

「おつかれー」
 聞き慣れた女子の声がした。おつかれと僕がそう返すと、いつもの愛嬌のある微笑みでこっちに向かって手を振ってくれた。思ったより早く来た、小田切涼葉(おだぎりすずは)に僕は少しだけ動揺して、iPhoneから流れ続けている音楽を切りそこねてしまった。
 僕は動揺しているときほど、冷静さを装う癖があって、それが仇になったような気がした。

「日比谷(ひびや)くんって、変わったの聴いてるね」
「悪い。すぐに切るよ」
「いや、そういう意味じゃなくて。ビートルズでしょ」
 涼葉はカウンターの中に入り、バッグを壁側に置き、そして僕の隣にある事務椅子に座った。僕はそう言われて、また、中学校のときの嫌なことを思い出してしまった。だから、iPhoneを手に取り、音楽を止めた。

「あー、もう。切らなくていいのに」
「こんなの聴くのなんて、ダサいだろ」
「そうだね」
 涼葉はそう言ったあと、ふっと、弱く笑った。
 ほら、やっぱりきた。
 余計なことをしなければよかったと僕は一瞬で後悔した。
 
 涼葉の髪は、お団子でまとめられていて、小ぶりで色白な耳が目立っている。横から見ても、すっとしたこぶりな鼻と、目尻がくっきりとしているのが印象的に思える。
 その雰囲気だけ見たら、明るそうで、1軍女子みたいな雰囲気だ。それなのに、月、水、金曜日、週3日、彼女は図書室の当番をしている。
 そんな同級生の横にいれるのは不思議な気分だった。

 涼葉はこんなに柔らかい雰囲気なのに、いろんなところから聞いた話だとスクールカーストの中で1軍じゃないらしい。
 というか、去年からずっと図書室の当番で会う仲の僕たちは、ただ、無数の価値観を話して、割り当てられた時間を消費している仲に過ぎない。

「古臭いけど、いいものは普遍的だよね」
「そうだね」
 どっちだよ、それ。
 古臭いけど、普遍的だよねって。

 ただ、僕はビートルズで心が落ち着くんだ。今どきの高校生でそんなことするやつなんて希少種だってことくらい自分でも自覚している。きっと、60年代に生きていたら、日本公演を絶対観に行ってたと思うし、解散に衝撃を受け、レットイットビーを泣きながら聴いていたと思う。
 そして、ジョン・レノンがこの世から去ったとき、大きな失望を抱いてたと思う。

「あ、なんか、いまのやり取り、夢で見たことあるんだけど」
「適当なことで話逸らすなよ」
 中学校のときにビートルズが好きだと仲がいいと思っていた友達に言ったら、手痛い目にあったことをまた思い出した。
 そして、ダサいとか、おじいちゃんだとか、センスないとか、さんざんバカにされて、それに腹が立って、取っ組みあいの喧嘩をしておおごとにしてしまったこともあった。

 それ以来、僕は友達だと思っていた人たちから、異分子だと認定され、外され、そしてクラスで孤立した。
 だから、それ以来、素直に自分が好きなことを言うのをやめてしまった。

 そんな手痛いことが中学生のときにあったから、高校に入ってから僕はできるだけ、厄介なことに巻き込まれないように心がけるようにしている。
 自分の気持ちを抑えて、周りの顔色を伺い、空気を読んで、世間がいいというものをいいということにした。

 相手が涼葉だからって、油断していた。涼葉にしてみても、やっぱりダサいものはダサいんだ。

「ちょっと日比谷くん、怒らないでよ。自分からダサいって言ったくせに」
「いいよ、そんなことはもう。それより、今日も誰も来ない3時間、どうやって時間潰す?」
 ここ最近はずっと二人でオセロをやっていたけど、さすがに飽きてきた。だからといって、図書室のカウンターにあるのは、オセロとトランプだけで、あとは古臭く、見飽きた蔵書しかなかった。
 
「――じゃあ、小説読んでくれない?」
「小説?」
「私が書いた小説」
 涼葉はにっこりと微笑んだあと、椅子から立ち上がり、そしてバッグの方へ向かった。