カンカンカンカァーン。
 脳内でゴングの音が派手に響いて、臨戦態勢だった。そんな私に、唐突なカウンターが入ったのは昨晩のこと。

 —— “他に好きな人がいる”

「いや、“できた” だっけな……」
「えっ、え、……ちょ、ほんとに?」

 勝手を知った部屋で放たれたあの台詞を巻き戻して、自分の声でひっそり放つ。巻き戻している間にノイズが入ったのか、瑞來の声でもう一度再生するのは難しそうだった。

「本当。だから、もしかしたら成就させるかもしれないよね。外れ桜の子たちの誰かが」

 校門を潜りながら笑って見せるけど、緒未はさっきから同じ言葉を繰り返している。「嘘でしょ」とか「いやいやいや」とか、輝きを失った瞳で私を覗き込んだ。

「ねえ、それで本当に終わり?三年でしょ?」
「だって、別れたいって言われたらさ……もう私への気持ちがないなら、仕方ないじゃん。無理に続けさせても、お互いに良いことなんて無いって、きっと」
「……綺佐は納得してるの?」
「大丈夫。私の方もさ、恋というか、もう情みたいなところもあったし」

 長く付き合っていると分からなくなる。恋なのか、情なのか、寂しさを紛らわせたいだけなのか、時々分からなくなる。
 決して嘘を言っているわけではなかったはずなのに、喉へ通じる管がきゅうっと絞られているような感じがした。たぶん、後ろから外れ桜の花びらが舞い降りてきたからだ。

「あっ、」

 生徒玄関に踏み込む寸前、私は舞い降りた乳白色を拾い上げて振り返る。声を上げたのは、まずい、と顔で語っている女子生徒だ。
 ……本当に、瑞來とのこと“願掛け”する人がいるのね。そうでなければ、未だ瑞來の彼女として通っている私を見て、そんな表情(かお)はしないはずだもの。

「はい。これ」
「あ、ありがとう……ございます」

 しかも後輩か。幅広いな、元カレ。
 しっとりとした花びらを白く小さな掌に乗せてあげると、彼女は軽く頭を垂れてすぐに二年の下駄箱の方へ行ってしまう。
 今日は卒業式だというのに、なんだか春がうるさかった。

「ん……?なんだろ、これ」

 小さな花びら事変を終えた私は、上履きを取り出した直後に首を捻った。すでに履き替えた緒未に「なんだと思う?」と差し出すと、彼女は鎮まっていたはずの瞳を再び輝かせた。

「ラブレターじゃん!?」
「え?なんでよ」
「逆に、卒業式に下駄箱に入れられた手紙って、それラブレター以外ありえる!?」

 強引だけど、案外的はずれでもなさそうなQEDの導き手に小さく頷く。
 下駄箱の奥に入っていたのは、“西山(にしやま) 綺佐様” と書かれた白い封筒だった。

「でも、差出人が分かんないや」

 緒未を追って廊下へ足を進めた私は、下駄箱を眺める位置で封筒を何度もひっくり返す。すると、緒未に肩をパシンと叩かれた。

「そんなのいくらでもあるでしょうがっ。手紙で校舎裏とかに(おび)き寄せて告白!とかさぁ」
「誘き寄せるって、なんかそれ違くない?……いや、もしかして——」

 確率的にも有り得なくはない、かもしれない。……だって、ちょっとだけ筆跡が似ている。
 首を捻ったままの緒未の横で、私はスマホを光らせる。不本意だけど期待する気持ちがあったからか、とある連絡先をタップする指が微かに震える。封筒を握る手も、少し汗ばんでいた。

「もしもし、おはよう」
『おはよ。どうした?』

 別れた直後にも関わらず、いつもと変わらないそのトーンに安心する。すでに教室に着いているのか、彼の背後は騒がしい。

「あのね、ちょっと聞きたくて」
『うん』
「この……私の下駄箱に手紙入れたのって——瑞來?」


 ——通話を終えたのは、わずか数秒後。答えは単純明快、NOだったからだ。
 隣で聞き耳を立てていた緒未は「マジで別れたんだ」とようやく現実を呑み込んでいる。呑み込めていないのは私の方だ。

「……何に期待してたんだろうね」

 “昨日のアレは冗談だったんだ”
 “やっぱり綺佐のいない生活は考えられない。”

 手紙を見ることもせずに先走って、膨らませてしまった期待がパチンと消える。シャボン玉のように、当たり前のように消える。

「ほんと、バカみたい」

 私は自嘲的に笑いながら、糊付けされた封を切る。——その、瞬間だった。