「長尾とチョコでも作んの?」
「うん、13日に」

 帰り道、爽汰が尋ねてくるのは先ほどアップしたばかりの卒業日カレンダーのことだろう。
 長尾とは美月のことで、美月の投稿には『#バレンタインデー』とタグもついていたから、バレンタインのお菓子を作ることは明らかだった。

「俺その日、入試だわ」
「じゃあ東京に行くの?」
「そう、いいよなー。お前らは気楽で」

 勉強疲れらしく爽汰の目の下にクマが出来ている。
 そんなに頑張って、東京に行っちゃうなんて。私から遠ざかっていっちゃうなんて。

「入試頑張った爽汰さんにチョコ作ってあげましょうね」
「入試のご褒美になるくらい美味しいやつね」
「美味しさの保証はない」
「じゃあ『お菓子作り苦手』から卒業できないじゃん」
「頑張ります」

 からっとした笑顔で笑う爽汰を見ていると、私の気持ちはいつだって軽くなる。
 私の毎日から爽汰がいなくなったら、じっとりとした気持ちはどうやって乾かせばいいんだろう。

「あ、さくら!爽汰くん!」

 自宅のマンションに到着したところで車から声を掛けられた。見慣れた白いコンパクトカーから顔を出したのはお母さんだった。

「おかえり」
「あ、おばさん久しぶり!今から出るってことは夜勤?」
「そうよ。爽汰くん受験もうすぐでしょ、頑張ってね」
「おばさんも頑張ってねー」

 爽汰の明るい返しにお母さんは微笑んでから窓を閉めて車を発進させた。

「何か食べてく?」
「ラッキー。今日うちも親遅いから適当に食べてって言われてた」

 お母さんが夜勤の日は私がご飯当番。そんな日は時々爽汰が食べに来ている。
 私たちは一緒に8階まで上がり、爽汰は自分の家のように「ただいまー」と言い、リビングのソファに座った。

「手洗ってね」
「はい、お母さん」
「誰がお母さん」
「――あ、やっぱり爽汰だ!」

 私たちがふざけた会話をしていると、弟の涼がリビングにやってきた。

「よっ、受験仲間。どう?勉強」
「ぼちぼち。爽汰は?」
「まあ俺もぼちぼち」

 涼は中学3年生だから、同じく受験に向けて頑張っているところだ。
 2人はそのまま会話を続けているから、私は冷蔵庫の中身を確認する。
 豚肉がある。爽汰の好きな生姜焼きを作ろう。あとは簡単にみそ汁でいいか。野菜室から野菜を出して刻んでいく。


 こんな日々が続いていくと思っていた。
 不便のない街で、それなりに働いて。時々爽汰にご飯を作ってあげたり、私の家族と爽汰が話すのを見守ったり。
 でも、春になれば爽汰はいなくなる。


 爽汰には夢、がある。
 いつか見た広告に感銘を受けた爽汰は、将来広告の仕事に就きたいらしい。
 数十秒の動画で、誰かの心を動かす。そんなものを作りたいんだって。


 この街は特段田舎ではない、生活に必要なものは手に入るし、不便はないベッドタウンだ。
 コンビニは数えきれないほどあるし、管理された街路樹の隣はずっと車も走っているし、少し電車に乗れば流行りの物も手に入る。大学だって専門学校だって選択肢はたくさんある。

 でも、爽汰は選んだ。東京に行くことを。そこにしかない物を求めて。

 私はきっとこの都会でも田舎でもない、住みやすい街から抜け出せない。