2月も後半に入り『#卒業日カレンダー』はまた少し変化を見せていた。
 卒業が目前に迫ってきて、自分の意志でない『卒業』が増えてきたのだ。

『数学から卒業!』
『就職するし、もう自力で計算なんてしないかも。そう思うと嫌いだったはずなのに寂しいかも』

『体育の丸岡から卒業!』
『嫌いなあいつの授業がようやく終わった!はーすっきり』

『バイトから卒業!』
『大学は違う県に行くから今日で辞めました。辞めたくなかった。もうすぐこの県からも卒業するの寂しい』

 高校生活の終わりが見えてきた。1日ごとに最後の授業が増えていき、さよならするものは毎日いくつもある。

「また1つ授業が終わったね」
「ありをりはべり、もう2度と使うことなさそう」

古典を卒業した後に美月は笑った。きっと古語を使う場面なんてそうそうない。この3年間学んでいたものたちもここでお別れだ。

自分の意志で決別する爽やかな『卒業』と違って、過ぎていく日を意識させられる『卒業』はどこか寂しい。
 いいことも嫌だったことも全部ひっくるめて、卒業したくないことまでも卒業してしまう。時の流れにすべてさらわれて。

 そして『いつも隣にいる幼馴染』からも。

 爽汰は希望の大学に合格した。もうひと月もかからずに爽汰は上京してしまう。

 私が告白をしても、しなくても。幼馴染のままでいたくても、その日が来れば自動的に『いつも隣にいる幼馴染』を卒業することになってしまう。

 『#卒業日カレンダー』は私と同じように決意出来ていない人たちの『#告白できない私からの卒業』が増えていた。

 卒業前に、最後のチャンスとして、弱気な自分から卒業して恋の告白をする。そんな決意がたくさん並んでいた。


 私は手帳を開いた。

 2月17日 『夢がない私から卒業』の手書き文字の上にさくらのシールが貼ってある。

 爽汰と過ごした夜、私は手帳にそう書いたのだ。

 お母さんのせいにして、夢がない、なんて言い訳だった。爽汰の言うようにもっとシンプルに考えてみたくなったんだ。

 幼い頃になりたいものではあったかもしれないけど、今の私が夢と呼ぶにはまだピンとこないところがある。やっぱりお母さんが「手に職をつけなさい」と言い続けたからこの進路を選んだところが大きいし。

 でも今はまだそれでいい。大学に通ってから、ううん、働き始めてからでもいい、十年後でもいい。やりたかったと思う日がきっとくる。もしかしたらそんな日は来ないかもしれない、でもそれでもいいんだ。

 お母さんと少しだけ話して思った。

「大人が求めるいい子」像も私が勝手に決めつけていたのかもって。だって「お母さんが求めるいい子」なんて本当のところはわからないんだから。

 これからも「大人にとっていい子」を想定して演じてしまう、だってそういう性格なのだ。しっかり者だと思われると嬉しいし、褒められると嬉しい。
 でも「大人が求めるいい子」の私も、私の1つなんだ。
 私にいろんな側面があってもいいはずだ、そんな風に前向きに思えた。

 これはPikPokには投稿はしていない。やっぱり私は人にあんまり弱さは見せられない。でもそれでもいい気がした。

 爽汰の言う通り。考えすぎなくてもいいんだ。

 だから、次の決意も全世界に公開はしない。
 私と、それから爽汰だけが知っていればいいことだから。

 3月3日 『幼馴染から卒業』