*
T大学の受験会場は寒かった。
1教科目を終えたわたしは、震えていた。
暖房がついているのに、コロナ対策と称して窓が数カ所開いているせい?
いや、決してそのせいだけではないだろう。
寒いのは、きっと、
『渡辺』
『しお……有光君』
別れてから初めて口を聞いたのは、そこでだった。
咄嗟に呼び方を変えたのは、どうしてなのだろう。
『これ、あげる』
渡されたのは使い捨てカイロ。
わたしはその対価として彼にあげられるものなんて何も持ち合わせていないのに、彼はただ一方的に温もりを分け与えてくれた。
『ありがとう……』
『お互い、頑張ろう』
短く答えて、さっと自分の会場に戻る志遠の背中は、わたしよりも大人だった。
全然自信なんてなかったのに、なぜか縮こまった心が一回り大きくなった。
まさかの合格通知に声も出ないほど驚いたのは、その数週間後のこと(タイムリープしているこの日の数日前)だった。
全てが報われたように思えた。
自分の努力も、志遠の努力も。
喜んでいられたのも束の間だった。
合格するまで封印していたSNSを開いたとき、こんな投稿が目に入った。
『有光君ってT大学受かったのに、J大学に入学するんだって。もったいないよねー』
心臓がワイヤーで締め付けられたかのように痛んだのを今でもよく覚えている。
きっと、それはわたしのせいだとすぐに分かった。
一方的に身勝手に振ったわたしと同じ大学に進学するなんてまっぴらだったに違いない。
じゃあ、あの『お互い頑張ろう』という言葉は、何だったのだろう。
カイロをくれたあの優しさは。
考えたくもないけれど……わたしが受かるはずないと思っていたのか。
まさかわたしごときの学力で受かるとは、寝耳に水だったのだろう。
だから、慌てて入学を辞退し、他大学へ進学したのだ。
そりゃ、そうだよね。
元カノと同じ大学に進むなんて、気まずいものだ。
しかも一生懸命勉強まで教えていたのに、相手から振られるなんて、こんなひどい話はない。
わたしは志遠に避けられて当然の人間だ。
きっと志遠はわたしの顔も見たくないに違いない。
でもわたしはあえて彼が嫌がることをする。
神様はそのためにわたしを2年前の世界へリープさせたはずだから。
彼には、なんとしてでもT大学へ入学してもらおう。たとえわたしと接するのを嫌がったとしても。
これは二十歳のわたしに与えられた使命。
彼をJ大学に入学させるわけにはいかないのだ――2年後の彼の事故死を阻止するためには。
*
「すごー、めっちゃキラキラしとる!」
「大人のお店じゃーん」
制服を着替えて指定された半分バーのようになったレストランへ入ると、同じようにやってきた他の誰かの声が背中から聞こえてきた。
確かに、大学生か20代向けのお店って感じがする。高校生がここを貸し切れるのか。
そういや今日のわたしはお酒を飲んじゃダメなんだよね。ついついお酒のメニューに目が行く。
大学に入るまで、友達と行く店と言えばせいぜいファミレスかチェーン店のカフェぐらいだったんだよね、とつい2年前のことなのに、遠い昔を回想するかのように思い返す。
高校生から大学生になるというのは、ちょっとした習慣が端の方からドミノのようにパタパタと変化していくことに違いない。
毎日メイクをするようになる。
コンビニでほんの少し高い飲み物を買うようになる。
誰かに断りもなく気ままに講義をさぼるようになる。
電車の乗り継ぎがうまくなって遠くへ行けるようになる。
……一つ一つはとても小さなことだけれど、そういう小さな習慣の変化が積み重なって、「高校生」は「大学生」になる。
毎日自分の細胞の一つ一つが入れ替わって、気づけば大人になるように。
わたしの2年間は、そんな積み重ねだったのかもしれない。
決して精神年齢は大人に近づきやしないけれど、振る舞いだけは否が応でも変わりゆく。
そう考えると、少し寂しい。
「高校生」のわたしは、ここにはいない。
ここにいるのは十八歳の顔をした、本当は二十歳のわたし。
みんなとの間にある薄くはあるが確実に存在する一本の線。
……いや、考えすぎかもしれない。
そもそも高校時代だってみんなの輪には入れていなかったのだから。
T大学の受験会場は寒かった。
1教科目を終えたわたしは、震えていた。
暖房がついているのに、コロナ対策と称して窓が数カ所開いているせい?
いや、決してそのせいだけではないだろう。
寒いのは、きっと、
『渡辺』
『しお……有光君』
別れてから初めて口を聞いたのは、そこでだった。
咄嗟に呼び方を変えたのは、どうしてなのだろう。
『これ、あげる』
渡されたのは使い捨てカイロ。
わたしはその対価として彼にあげられるものなんて何も持ち合わせていないのに、彼はただ一方的に温もりを分け与えてくれた。
『ありがとう……』
『お互い、頑張ろう』
短く答えて、さっと自分の会場に戻る志遠の背中は、わたしよりも大人だった。
全然自信なんてなかったのに、なぜか縮こまった心が一回り大きくなった。
まさかの合格通知に声も出ないほど驚いたのは、その数週間後のこと(タイムリープしているこの日の数日前)だった。
全てが報われたように思えた。
自分の努力も、志遠の努力も。
喜んでいられたのも束の間だった。
合格するまで封印していたSNSを開いたとき、こんな投稿が目に入った。
『有光君ってT大学受かったのに、J大学に入学するんだって。もったいないよねー』
心臓がワイヤーで締め付けられたかのように痛んだのを今でもよく覚えている。
きっと、それはわたしのせいだとすぐに分かった。
一方的に身勝手に振ったわたしと同じ大学に進学するなんてまっぴらだったに違いない。
じゃあ、あの『お互い頑張ろう』という言葉は、何だったのだろう。
カイロをくれたあの優しさは。
考えたくもないけれど……わたしが受かるはずないと思っていたのか。
まさかわたしごときの学力で受かるとは、寝耳に水だったのだろう。
だから、慌てて入学を辞退し、他大学へ進学したのだ。
そりゃ、そうだよね。
元カノと同じ大学に進むなんて、気まずいものだ。
しかも一生懸命勉強まで教えていたのに、相手から振られるなんて、こんなひどい話はない。
わたしは志遠に避けられて当然の人間だ。
きっと志遠はわたしの顔も見たくないに違いない。
でもわたしはあえて彼が嫌がることをする。
神様はそのためにわたしを2年前の世界へリープさせたはずだから。
彼には、なんとしてでもT大学へ入学してもらおう。たとえわたしと接するのを嫌がったとしても。
これは二十歳のわたしに与えられた使命。
彼をJ大学に入学させるわけにはいかないのだ――2年後の彼の事故死を阻止するためには。
*
「すごー、めっちゃキラキラしとる!」
「大人のお店じゃーん」
制服を着替えて指定された半分バーのようになったレストランへ入ると、同じようにやってきた他の誰かの声が背中から聞こえてきた。
確かに、大学生か20代向けのお店って感じがする。高校生がここを貸し切れるのか。
そういや今日のわたしはお酒を飲んじゃダメなんだよね。ついついお酒のメニューに目が行く。
大学に入るまで、友達と行く店と言えばせいぜいファミレスかチェーン店のカフェぐらいだったんだよね、とつい2年前のことなのに、遠い昔を回想するかのように思い返す。
高校生から大学生になるというのは、ちょっとした習慣が端の方からドミノのようにパタパタと変化していくことに違いない。
毎日メイクをするようになる。
コンビニでほんの少し高い飲み物を買うようになる。
誰かに断りもなく気ままに講義をさぼるようになる。
電車の乗り継ぎがうまくなって遠くへ行けるようになる。
……一つ一つはとても小さなことだけれど、そういう小さな習慣の変化が積み重なって、「高校生」は「大学生」になる。
毎日自分の細胞の一つ一つが入れ替わって、気づけば大人になるように。
わたしの2年間は、そんな積み重ねだったのかもしれない。
決して精神年齢は大人に近づきやしないけれど、振る舞いだけは否が応でも変わりゆく。
そう考えると、少し寂しい。
「高校生」のわたしは、ここにはいない。
ここにいるのは十八歳の顔をした、本当は二十歳のわたし。
みんなとの間にある薄くはあるが確実に存在する一本の線。
……いや、考えすぎかもしれない。
そもそも高校時代だってみんなの輪には入れていなかったのだから。