わたしはゆっくりと頷いた。
 志遠はすでに分かっている。
 わたしがただ未練の情を伝えにきたわけではないことくらい。
 じんじんと、体中に血が巡る。

「志遠に謝りたかった。わたしのせいでT大学を入学辞退すること。わたしの身勝手で志遠の人生をねじ曲げてしまったこと」
「入学辞退って……知ってたの――って、そりゃそうか」

 志遠は自分で自分の言動を修正し、困ったように頭を掻いた。

「また身勝手なお願いを一つだけ聞いてほしいです。T大学の入学辞退を、やめてください。J大学へは行かないで」
「理由は教えてもらえないんだ」
「多分これ、言ったらわたしがもとの時間世界に戻るパターンじゃない?」
「ああ~、あるある」

 それで納得してくれるの!? と内心びっくりしながらも、あながち冗談ではなかった。

「だけど、もう遅いよ、渡辺。すでに入学辞退しちゃった」
「ええ!?」

 遅かったって……時の神様よ、わたしを連れ戻す時間、間違ってないですか!?
 これじゃ戻ってきた意味がない。
 志遠の死を阻止できないではないか。

「……J大学以外に受かっている大学ってある?」
「ないよ」

 これはけっこう詰んでないか?
 核心を言わずに、志遠の行動を変える方法は――

 頭を抱えてしまったわたしの手を志遠は自分の手で包み込んだ。温かな手だった。
 志遠は、静かにこう告げた。

「俺のためにいろいろと考えてくれてありがとう。決めた。来年もう一度T大学を受験し直す」
「な、何言ってるの」
「それが多分一番いい方法なんだろ」

 まっすぐで透明な瞳に見つめられて、わたしは何も言えなくなってしまった。
 合格しているのに浪人をする。
 そんな一年を押しつけてしまっただけなのではないか。

「大丈夫、心配するなよ」

 うつむいてしまったわたしの頭に、志遠の大きな手が乗せられ、そのままくしゃくしゃと撫でられた。

「受かるよ、もう一回くらい」
「……自慢?」
「まあね」

 志遠は軽やかに笑った。

「一つ、聞いてもいい?」

 2年前から聞きたかったことがふと頭に浮かぶ。
 今、訊いておきたい。
 勇気がなくて”きっとこうだ”って勝手に憶測したまま、もの哀しい自己完結で終わらせたくない。

「うん、もちろん」

 だって、青春と恋愛の後悔なんてほとんど全部、”コミュニケーション不足”に尽きる。
”言葉がなくても伝わるはず”だとか”言ってもどうせわかんない”だとか、最初から諦めて、わかり合えないなんて、ばかばかしすぎる。

「どうしてT大学の入学を辞退したの?」

 問われて志遠は、「お、それか」と苦笑いを浮かべた。

「わたしと同じ大学は、やっぱり嫌……だからだよね?」
「まさか。ないない! それはない! 嫌だからじゃないよ」

 ぶんぶんと首を横に振って否定する様子に嘘はなさそうだった。

「じゃあ、なんで……」
「僕の存在が渡辺にとって新しい世界へ進む邪魔……になると思ったんだよ。渡辺に必要なのは、誰も知り合いがいない真っ白な世界だって」

 思いもよらない言葉に、体が火照った。こんなに周りの空気は冷たいのに。