「ごめんなさい」

 ピークに達しようかという場の空気に冷水を掛けたのは、他でもない、志遠だった。

「お気持ちはありがたいです。でもあなたとはいいお友達のままでいさせてください」

 膨らみかけた風船が見る見るうちにしぼんでいくような虚脱感が、全員の間を駆け抜ける。

 高校生にできる精一杯の優しい振り方。
 これ以上の言葉なんて、十八歳からは出てこない。

 今にも泣き出しそうな顔を一瞬見せてから、きゅっと唇を一文字に結ぶ。
 そして気丈な笑顔を浮かべ、

「お返事ありがとうございます。この先もお友達でいてください」

この一連の彼女の心情の流れを間近にしてしまい、思わず目を逸らしそうになった。

 彼女から、ではない。
 一瞬でも「良かった」と思ってしまった正直すぎる自分の心に、だ。

 もしわたしが彼女の立場なら、彼女のように振る舞えるだろうか。二十歳のわたしは、ただただ十八歳の強さに感服している。

 その強さは、つまらない見栄やプライドから持つことをやめてしまった類の強さだ。

 一気に萎えた空気だったが、そのあとも何とか司会が取り成し、本来の趣旨の動画撮影へと戻った。

 数人ののち、わたしの番になり、カメラの前に立つ。

(え、渡辺さんって来てたんだ)
(よく抜け抜けと来れたよね。誰のお陰で大学受かったんだよって)

 聞こえるか聞こえないかくらいの声量の皮肉を背中に受けながら、わたしはカメラの前で背筋を伸ばした。

「10年後のわたしへ、そして10年後の皆へ」

 本当のわたしは十八じゃないから、あとでこの動画を見た時にチグハグしそうで冷や冷やしている。
 十八っぽい「無難なひと言」でサラリと済ませることもできると思う。

 でも、わたしは今の素直な気持ちをすべて収めよう。
 なぜなら、十年後の世界でも、わたしはこのメンバーで開かれる同窓会に参加すると決めたから。

「わたしの心は遅いです。だから、大事なことに『今』気づくことができず、いつも『未来』がここに来てからしか気づけません」

 胸に手を当てて、大きく息を吸い、吐く。

「いつでもわたしは自分が何を考え、何を感じているのか、その時点ではちゃんと言葉に出来ない癖があります。
 高校3年間もそうでした。本当は皆と青春したかったのかもしれません。本当は皆と些細なことで愚痴を言い合ったりふざけたり冗談を言い合ったりしたかったのかもしれません。
 でもわたしの心は気づくのが遅いから、そんな自分に本心にきちんと気づけなかった」

 今日、2023年に戻ってきて感じたことそのものを、言語化する。

 わたしは、嘘が嫌い。口にするのは真実の言葉だけ。
 そう決めていたはずだけれど、実は自分自身に嘘をついてはいなかったか。
 未来になってしか気づけない嘘を。

 この気持ちが、伝わるだろうか。
 これはひょっとしてただの言い訳かもしれないけれど、でも言葉にしたいのだ。
 今ここにいる全員に伝わらなくてもいい。
 一人にでも二人にでも伝わってくれたらいいのだ。
 さらに10年後にこの動画を見た時に、その人数が少しでも増えてくれたら。

「わたしの高校生活は失敗や後悔でいっぱいです。人を傷つけたことも数回では済まないと思います。
 でも、その一瞬一瞬は確かに全力で、必死でした」

 志遠を振ったときも、そこにはその時点でのわたしなりの全力があった。
 冷静になってみればあれ以外の方法も存在していたはずだけれど、全力で必死すぎるあまり、不器用な結果を招いてしまった。

「気づくのが遅いなりにも、未来の自分が『今』を覗いたときに、その自分がどんなときでも全力だった、必死で生きていた、と思えるように生きたいと思っています。そうすればたとえその時の行動があとから見て後悔の残るものだったとしても、その後悔は和らぐはずだから」

 カメラに向かってお辞儀をし、もとのソファへ戻る。
 周囲は呆気にとられたように、ぽかんと口を開けていた。
 多分伝わらなかった――と唇を噛みしめた直後だった。

 ぱち、ぱち、と手を打つ音がした。
 それが次第に2、3人と増え、ものの数秒のうちに大きな拍手となって渦のようにわたしを包み込んだ。

 見れば、細見君も、木戸さんも、ワンピースの彼女も、他にも何人ものクラスメイトたちが――もちろん、志遠も――目を細め、あるいは目を輝かせてわたしを見つめていた。

 伝わったんだ。

 人の気持ちは言葉にして初めて誰かに伝わる。
 いつも必ずそうであるとは限らないけれど、言葉に結晶させない限りは、届かないんだ。

 何より、この言葉はわたしの心に届いていた。
 わたしってこんな風に考えていたんだ、と。
 相変わらずわたしの心は遅い。
 言葉がなければ、こんなことにも気づけないんだから。