元彼と別れて約8年後に夫と出会い結婚した私だが、実家脱出計画の一環としてやったことを紹介する。
①学習机を解体して粗大ごみに出した
→ほとんど機能を果たさず、ただただ場所をとるだけの使い勝手の悪いもので、なかなか運び出せず放置していたが、30過ぎの大人の部屋ではないなと思い処分をすることに。捨てることをいちいち母に報告する必要もないし、寧ろ捨てるところを目撃されると「もったいないから捨てるな」とか「まだ使える」と言ってコレクションしたがるのでいないときにトンカチで解体し、有休使って車に積み込み、出勤すると見せかけて母の出勤した時間を見計らってゴミステーションに運んだ。案の定、捨てたと事後報告したら、「あれは思い入れがあった大切なものだったのに」とあたかも自分のもののように言うので、「私には思い入れも何もないものだから処分した」と言った。そもそも使用頻度もほとんどゼロで邪魔くさいし、そうやって手放そうとすると未練がましく大切とか言うのって違うと思うんだが。見方によっては、私のやることのほうが酷いとかおかしいという人もいるだろう。が、私にとっては母が私に買い与えたものかもしれないけど、自分はこれ一度でも使ったことあるか? めっちゃ重いし椅子は軋むし、引き出しもかみ合わせ悪くて開けにくい。 そういえば椅子の座板部分は、き○ぎょ注意報というアニメのプリントがされた布地が貼られていて、私が油性マジックで落書きしたものがそのまま残っている。第一、30過ぎた大人が今更使うものでもないし、何よりカビていた。土に返したほうが何よりの供養ではないかと思う。使わないのにとっておくなんて、地縛霊を成仏させないのと同じようなものだ。じゃあこれ使うのか?と聞いたら、自分の子のためにとっておこうと思わないのかと言われた。
「自分の子に自分のゴミを押し付ける気ないんで。ちゃんと新しいの買い与えるよ。その後の使い道は我が子に任せる」と言ったら「贅沢」「あるもの使えばいいのに」「まだ使えるのに」とブツブツ。が、数日もすれば母は私の机のことなんてなかったかのように普段通り生活をしている。やはり今後の人生に必要ないと思ったなら、そう思った時点で捨てるべきだと思った。
学習机を処分した時の清々しさは、今でも忘れられない。こころなしか、長年の呪縛から解放された気がした。
②ファッションを変えた
→中学生から大学生になるまで、私服でスカートをはいたことがなかった私。今まで買い与えられたものをそのまま着ていたが、高校生にもなれば友達と遊びに行く服にも気を遣うようになる。が、何を着ていいのかわからない私はファッション誌にすら興味を持つことなく、無難な無地のシャツにジーンズか膝丈のパンツをはいていた。ほぼし○むらかユ○クロの安物で済ませていたが、もともとガリガリだった私は、しまむらではボトムスのジャストサイズがなかなか見つからず、表示サイズで一番小さいものに穴の多いベルトを使ったり、キッズサイズの160を着用して凌いでいた。
大学生にもなれば、もっと華やかな女子の中にこんな地味なのがいたら、かえって悪目立ちしてしまうのではと思い、併せてメイクの勉強も兼ねて大学の帰り道に駅中の書店でファッション誌を買い、まずは自分の好みを探った。フェミニンなひらひらした服が着たいと思い、とりあえずし○むらからそれっぽい服を見つけて思い切ってスカートをはいてみた。通学の電車が同じの美容専門学校に通う中学の同級生に「その服かわいい! めっちゃ似合ってる!」と言われたのがきっかけで、ひらひらした服が増えた。調子に乗った私は、ひらひらした服からフリルのついた花柄のブリブリワンピなど、今までの反動からか逆にジーンズをはかなくなり、スカートやワンピースが中心の私服になった。「似合う」と言われた服、着たいと思った服は大体系統が似通っていて、同じような服ばかり増えた。「自分にはこういう服が似合う」という感覚を掴むと、「可憐ちゃんって、自分の似合う服をよくわかってるね」と言われるようになった。20代半ばくらいまでは、花柄フリフリ、清楚なAラインのフレアスカート、クラシカルな西洋人形みたいなブラウスやメルヘンチックなワンピースなどを好んで着ていた。後半は花柄ワンピもピンクからオフホワイトかブラック、時々タイトなパンツでクールに決めてイメチェンしてみたりと、さらに幅を広げた。30代にさしかかり、今までのワンピースが似合わなくなってきた途端、急に気恥ずかしくなり一気に処分。残ったものはシンプルな膝丈スカートとワンピース。花柄ブームは婚活手前で去った。同じ花柄でも、刺繍のものは使い勝手がよく今でも重宝している。
シンプルイズベスト。し○むらとユ○クロは、普段使いにはとても良い。服選びに困ったときのお助けショップとして今も活用している。ちなみにメイクは27歳のときに某国内化粧品メーカー(コ○メデ○ルテ)で美容部員の研修で叩き込まれた技術が生きている。女社会の気迫に耐えられずにすぐ辞めてしまったが、今となってはこの経験のお陰でスキンケアとメイク技法で“美白”“美肌”を演出できている。
③お部屋探しアプリを駆使して一人暮らしのイメージを膨らませた
→同じ市内は絶対に嫌だと思っていたので、田舎から県庁所在地の市街に出ることにした。その方が職場も近くなるし、この先転職することになってもエリアの選択肢が増えるからだ。荷物が多くなりがちなので収納スペースか、部屋数がほしいと思い1LDKで家賃月額4万円以内で探した。いろんな部屋の間取りを見ているだけでもワクワクしたし、誰にも文句を言われないプライベートな空間を一刻も早く手に入れたくなり、一人暮らしの本などを読み漁った。
条件を明確にし、ToDoリストを作ってできることを順番に潰して行動化。意外とフットワークが軽い自分に驚いた。
④オリジナルのノートを作成し理想の生活費や部屋の配置などのシミュレーションをした
→本やネットの情報を参考に、一人暮らしのための情報をまとめたオリジナルのノートを作成した。間取りを見て家具の配置などをシミュレーション。必要に応じて買い揃えるもののリストも作り、全体でいくらかかるかも算出。なかなか大変だったが楽しい時間だった。
⑤母が仕事に行っている間、有休を使って不動産屋巡り
→いくつか候補の部屋の見積もりをもらったり、内覧に行ったりして更にリアリティを深めた。見るだけならタダだし、気になる部屋の候補を持って比較検討した。
⑥初期費用を貯めて部屋を契約した
→初期費用が分かればいつまでにいくら貯めて契約するという目標も立てやすかった。いつまでに決めれば〇〇円割引とか、特典内容も加味しながら無理のない範囲で月額の費用を見積もり、できそうだなと思うところで契約。鍵をもらったときの喜びは今でも覚えている。ちなみに保証人になってくれると言った叔母の厚意はありがたかったが、どこから漏れるかわからんので保証人不要の物件を選んだ。
⑦契約後、3ヶ月間は口外せず実家で生活
→まだ部屋にはなにもない状態だったので、まずは大型家電を新調。設置までしてもらえばもうこっちのもの。あとは時間を作って自宅から少しずつ運び出せば引越代も浮くし、何より気づかれずに作業ができる。自分名義の車を持っていて良かった。
⑧実家で暮らしている間に住民票の異動と車の住所変更を済ませた
→これが一番ヒヤヒヤした。特に転出のタイミング。とりあえずある程度ものが揃って寝泊まりできる状態にしてから変更するようにした。
⑨大型家電・家具を買い揃え、実家から荷物を少しずつ運び出した
→有休を有効活用して自分の部屋を作るのは快感だった。実家で何かあっても逃げ場があれば安心して避難できる。カフェで時間つぶしていても飲食代がかかるし、それならいっそ一部屋借りたほうがいいと思えるようになっただけでも進歩だ。