教室に戻ると、新と巴はすぐに私に気がついた。
 新は自分の机に置いていたスマホを操作し、私に見せた。

『おかえり』
『おかえりー』

 起動されていた音声入力アプリが、新と巴の声を拾う。
 教室には2人だけで、明美ちゃん先生はいなかった。

『写真、撮ってきた?』

 こくりと頷き、私のスマホを新に差し出す。
 新は持っていたスマホを私に見えるように机に置いた。
 新は我が物顔で私のスマホを操作する。べつに見られて困るものもないし、好きに触ってくれて構わない。

『撮り方分かったんだー。いい子だねー』

 巴が小さい子の相手をするように、私の頭を撫でる。褒めてくれているのだろうけど、馬鹿にされているようにしか思えない。完全に舐められている。
 私だって、写真くらいちゃんと撮れる。……ちょっと椚君に手伝ってもらったけど。

『へー、これが屋上か。上手く撮れてんじゃん』

 新は、私が撮ってきた写真を見ながら微笑んだ。新に褒められた方が素直に喜べるのはなぜだろう。
 新は楽しそうに画面に指を滑らせている。

『僕にも見せてー。うん、全部縦向きなところは嘉那らしいねー。あとブレてるのも』

 巴がクスクス笑いながら言った。
 スマホは縦に持つものだろうと思い、もしかして横向きでも撮れるのではという仮定に思い至った。だとすると、横向きに撮った方が、もっと景色の範囲が広がったかもしれない。
 私は新の正面から自分のスマホを覗き込んだ。写真はブレているものが多かった。

『結構遠くまで見えるんだな』

 新がジッと私のスマホを眺めていた。
 羨ましそうでもあり、何かを諦めた顔でもあり、少し寂しそうにも見えた。
 でもそれは一瞬で、新が私を見上げた時には、晴れやかな笑みに戻っていた。

『この写真、貰っていい?』

 頷くと、新は私のスマホを操作した。
 すぐに机の上の新のスマホに、私からのメッセージ通知が届いた。

『グループに送ったー?』
『送った』

 新と巴とは、メッセージアプリの連絡先を交換している。アプリの中で3人のグループがあり、新はそこに写真を送信したらしかった。
 普段は、グループの中での2人のやり取りを見ているだけで、私から何かを送ることは少ない。私は入力が遅いから、こっちから打っている間に次のトークが流れて来る。2人もそれを分かっているから、本当に返信が必要なとき以外は、返信を急かすことはしてこない。

『そう言えば、今日は昨日の人に会ったー?』

 新にスマホを返してもらっていると、巴が興味津々と書いた顔で私を見上げた。
 屋上の写真を見ていた時よりご機嫌だ。

『昨日の人。って、嘉那を起こしてくれた人だっけ』

 新も思い出したのか、「会った?」と口が動いた。
 別に隠すことでもないかと思い頷く。

『名前訊いた?』

 巴が身を乗り出してきた。
 私はまた頷く。

『何て名前?』

 何でそんなに気になるのだろうか。
 見たことがないほどに目を輝かせる巴を、ジトッとした目で見る。
 巴は私の視線など気にせず、『教えて』と言った。
 黙っていてもしつこく訊かれそうだ。だったら早いところ答えて、巴の質問攻めから解放されようと思った。
 私はため息を吐いて、新の机にノートを広げた。

『椚、荒野。うーん。音声入力じゃ読み込んでくれないのか。辞書登録しとこ』

 新がスマホを取ったため、会話が中断した。ついでに私のスマホにも辞書登録してもらう。
 私は、巴の視線を感じて顔を上げた。キラキラと輝く目と視線が合った。一体何がそこまで巴の興味を引いてるのだろう。
 首を傾げても、ニヤニヤとわざとらしく笑われるばかりだった。
 新が机にスマホを戻すと、すぐに巴の声が文字化された。

『どんな人だった?』

 どんなって……。

『優しい人?』
『なんで疑問形。てか、会話したの?』
『した』
『どうやって? お前、ノート置いてったじゃん』

 新の疑問に、巴も同意するようにコクコクと頷いている。
 その疑問は私を知る2人ならもっともだろう。

『スマホで。メモアプリ開いてもらって。入力した』
『できたのー?』
『時間かかったけど。笑われたけど。でも待ってくれたよ』
『そりゃ、優しいやつだな』

 新が『よかったな』と付け足した。
 巴さらに楽しそうな顔で質問を重ねる。

『連絡先交換した?』

 ……なるほど。私は、ようやく巴が期待していることを理解した。
 この人は、他人の恋愛で楽しむタイプのようだ。
 この教室で恋バナなんてすることはないし、恋愛に飢えているのかもしれない。他所でやって欲しい。

『交換してないけど』
『けど?』

 巴が食い気味に訊いてきた。
 早く答えて、とノートをパシパシ叩く。急かされた私は、早く文字を書いたせいでいつもより字が汚くなってしまった。

『明日、昼ご飯食べる約束した?』

 音声入力は疑問符を付け足したけど、巴の反応からすると「!?」のほうが合っている気がする。
 巴は分かりやすくワクワクしていた。地に足が付いていない感じと言うのだろうか。新も何故か嬉しそうだし。

『何?』
『いやいやー。嘉那にも春が来たんだなーって思っ』
『来てない!』

 私は大きな文字を巴の眼前に突き付けた。
 そういうのではない。期待しているところ悪いが、恋なんて芽生えていないから。
 私を知りたいと言ったのも、きっと耳が聞こえない人が珍しいとか、どうせそんな理由だ。

 ちょっとドキッとしたのは、いきなりだったからで。
 何と言うか、真剣な顔だったからで……。言葉がストレートだったからで……。それだけだから。それ以外には何もないから。

『まーいいけどさー。また明日、話聞かせてねー』

 違うと言っているのに、巴は終始、上機嫌だった。

『あ、嘉那。本鈴鳴ったぞ』
『本鈴鳴ったわよー。授業よー』

 新の言葉が入力された直後、明美ちゃん先生の声を新のスマホが拾った。
 私は納得いかない気分で、自分の席に戻った。