椚君は私が満足するまで、そのままでいてくれた。
 ずっとこの状態では話もできないことに気付き、名残惜しさを感じながら彼の熱い手を放した。

『秋波、弁当は?』

 椚君に言われて、そう言えばノートしか持ってこなかったことを思い出す。
 というか、弁当は? と聞く椚くんこそ、手にはスマホと財布しか持っていない。
 私は落としたままだったノートを拾い、白紙のページにペンを走らせた。

『椚くんこそ。購買は?』
『あー。三木先輩からメッセージ来ててさ』

 椚君はスマホを操作すると、新とのトーク画面を見せてくれた。
 一番下に、新からのメッセージがあった。

『至急、屋上集合。理由は行けば分かる』

 椚君が屋上に来ないかもしれないことを見越して、新が先手を打ってくれたようだ。巴の指示かもしれないけど。
 椚君はこのメッセージを見て、急いでここに来てくれたらしい。

『秋波、今日は来ないと思ってた』
『こっちの台詞だよ』
『おれは最初から来るつもりだったよ』

 そうだったんだ。ならあんなに焦る必要はなかったかもしれない。

『それで、何があったの?』

 椚君は、心配そうに私を見ていた。
 至急って言われたら、当然何かあったのかと焦るだろう。彼を急かしてしまったことに申し訳なさを感じた。

 私は屋上の隅に行き、いつもの場所に腰を下ろす。
 椚君もそれに倣って、私の隣に座り、寒そうに裏ボアのブランケットにくるまった。
 屋上でお昼を食べるには、椚君には厳しい季節になってきた。

 私はノートを地面に広げ、徐に手を動かした。
 椚君がノートの横に、自分のスマホを置いてくれた。

『話したいことが、あって』
『うん』
『早く椚君に会いたくて』

 チラッと椚君の様子を伺うと、目を見開いている椚君と目が合った。
 私は続けてペンを走らせる。

『椚君は、まだ、私のこと好き?』
『まだって何。ずっと好き。文化祭の時はごめん。秋波、おれに好きなとこ言わせておいて、その気になってくれたのかなんて思っちゃって。でも秋波は嫌そうだったし。しかもおれに触れてくれなくて、ショックだったって言うか。好きなの、おれだけなんだって、ちょっと凹んだだけと言うか』

 私は随分と椚君を傷つけてしまっていたようだ。
 罪悪感でいっぱいになって、拗ねているような、落ち込んでいるような彼に手を伸ばした。
 その手は椚君の頬に届く前に、空中で一度止まる。
 椚君は私の手に気付いていないのか、ノートを見ながらまだブツブツと言っている。

 唇を尖らせているのが可愛いなんて思ってしまう。
 今、どんな声で話してるんだろう。
 聴きたい。
 触れたい。
 椚君に触れたい。
 私は止まっていた手を前に出し、そのまま椚君の頬にそっと指先を当てた。

 椚君は驚いて口が止まり、目を丸くしていた。その目を、ぱちぱちと瞬かせた。
 私はそっと椚君の頬のラインに沿って指を滑らせた。

「秋波」

 椚君の口が、私を呼んだのが分かった。
 椚君に小さく微笑み、彼の顔から手を離す。

『私の中で、答えが決まったの』
『それって、告白の』
『うん』

 緊張で手が震える。

『ゆっくりで、いいから』

 椚君が私の手に、熱い手を重ねた。
 私はゆっくり深呼吸をした。

『その前に、聞いて欲しいことがあるの』
『どんなことでも聞く。教えて』

 椚君の静かで穏やかな眼差しに、たまらなく彼の声が聴きたくなった。

『私、前は、聞こえてたの』
『え?』

 この話をして、そんなの自業自得じゃんと思われて、嫌われてしまったとしたら……。
 学校でのもう1つ居場所だった屋上を、椚君の隣を失うのが怖い。
 それでも話そうと決めたから。言わずに後悔したくないから。

『耳、聞こえてたの。中学までは』

 私は静かな気持ちで、まるで違う誰かの話をするみたいな気分で、ノートに文字を綴り始めた。
 椚君は黙ってそのノートを見下ろしていた。