ようやく4時間目が終わり、昼休みになった。
 今日は教室でお昼を食べるつもりだったけど、椚君に伝えなくちゃいけないことができたから、屋上へ行くつもりだ。
 でもその前に、文化祭で撮ってきた動画を2人に見せなくては。

 ――『嘉那さー、今日の昼はここで食べるつもりだったでしょ』
 ――『なぜ分かった……』
 ――『昼に画像見せるってそう言うことだったんでしょ? でもそうはいかなくなったんだから、早く見せてー』

 なんてやり取りが1時間目のあとの休み時間にあり、私は2人にスマホを取られた。
 失敗した写真も消さずに残っているし、知らないうちに連写になっていたものもあり、かなりの枚数がある。
 それを休み時間ごとに見せていたから、残りは椚君のライブの動画だけになった。

 椚君はきっと今日も購買にお昼を買いに行くはずだし、少しくらい遅れても問題はない。
 そもそも椚君が屋上に来る確証もないんだけど。

『あれ、これ紅弥いないな。ってかガールズバンドじゃん』

 2人に取られたスマホの代わりに、新が貸してくれていたスマホに文字が入力される。
 言われて、練習で撮った動画もあったことを思い出した。
 私は新の手元を覗き込み、ジェスチャーで次の動画であることを説明しようとした。

『え、これじゃない? 前? 逆? あ、はいはい次な』

 新は私の指の動きで察してくれて、4人組バンドのライブが再生された。
 マイクをもつ椚君が何かを話しているところから始まった。
 そう言えば、何か話の途中から撮り始めてしまったんだっけ。聴くのに支障がないといいけど。

 動画を見ている様子を眺めていると、2人はハッとした顔になった。
 巴が心底楽しそうに、ニヤついた笑みを浮かべた。

『嘉那、これ見たー?』
『ライブは見たよ?』
『お前、音声入力使って聴いた?』

 それは使ってないけど。
 私は2人の言いたいことが分からず、不思議に思いながら首を横に振った。

『音声入力使っても、ギャラリーの声とか入るんじゃない?』
『それもそうか。でもこれ、絶対嘉那が知るべきだよな?』
『だろうねー』

 一体何のことだ。 
 私は新の手元を覗き込む。
 動画は進んでいて、椚君が歌っている映像が流れている。
 新はその動画を止め、巻き戻した。

『最初、紅弥が喋ってるだろ?』

 あきらかに歌っているわけではないと分かる、最初の部分。
 新は画面を指さしながら続けた。

『ここ。他の人が気付いてるかは知らないけど、これたぶん、嘉那宛てだと思うぞ』

 私宛?
 どう言うことだろう。
 私に宛てて何かを話しても、あの時私は音声入力アプリは立ち上げていなかった。
 文字にしてくれているわけでもないあの状況で、私に向けて話しても理解はできない。
 それは椚君だって、分かっていたはず。

『やっぱり、耳が聞こえる人がいいってこと? 当てつけ?』
『本気でそう思ってる?』

 巴が呆れた顔で言った。
 でも、そうじゃないならどうして……。

『紅弥は、ちゃんと嘉那に届くって信じてたんだよ』
『どういうこと?』
『音声入力を使って、嘉那がこの動画見るかもしれない。そうでなくても、いや、仮にそうだったとして、でも音声入力で読み取れなくても僕たちがいる。紅弥は、僕たちが嘉那に動画を撮ってくるように頼んでたのを知ってた』

 そこまで言われて気が付いた。
 2人が動画を見れば、私に伝えてくれると思ったってことか。

『何を、言ってるの?』

 聞くのが怖かった。
 でも、聞かなきゃいけないと思った。

 新は動画を最初から再生した。
 音声入力アプリが余計な声を拾わないように、私のスマホの音量を下げ、遠ざけた。
 私は机の上にあった新のスマホを手に持ち、動画が視界に入る場所で入力される文字を読んだ。

『『本当は、夏休みは違う曲を練習してました。でも、どうしてもこの曲を届けたい人がいて、急遽変えてもらいました。メンバーには迷惑をかけてしまったけど、この曲を演奏することを許してくれて、感謝でいっぱいです。届くか分からないけど、諦めたくない。どうか、どうか伝わりますように。この恋の歌が、君の元に届きますように』だってさ』

 相変わらず、彼の言葉はストレートだ。
 聞こえますように、と言わないところが椚くんらしい。諦めが悪いところも。
 朝に流しきったはずの涙が、また溢れていた。

『行ってこい。ちゃんと、伝えてきな』
『大丈夫だよ、自信持って行っておいで』

 新と巴の笑顔に、私は背中を押された。
 私は居ても立っても居られなくなって、ブレザーの袖で乱暴に涙を拭うと、ノートを引っ掴んで教室を飛び出した。

 言わなきゃ。
 話さなきゃ。
 今まで言えなかったこと全部。

 今度は私が願う番だった。
 椚君、どうか屋上にいて。
 どうか私の気持ちを聞いて欲しい。
 どうか伝えられますように。

 廊下を走り、屋上に続く階段を駆け上がる。
 時々躓きそうになったが、それでも足を止めなかった。
 屋上のドアが見え、体当たりするようにそのドアを押し開けた。

 屋上には相変わらず人がいない。
 いつもの隅を見に行ったが、椚君の姿はなかった。

 椚君はまだ購買にいるのかもしれない。
 待っていたら来るだろうか。
 いや、私が待っていられない。
 購買ってどこだっけ。
 階段に戻ろうと踵を返し、屋上のドアを開けた。

「!」

 誰かに真正面からぶつかった。
 鼻と額をもろにぶつけてしまい、鈍い痛みが走る。

「っ……」

 痛い。
 でもそんなこと言ってられない。椚君を探さなくては。
 ぶつかった人に謝ろうとして顔を上げた。
 相手の人を見た瞬間、息が止まった。
 慌てたように、心配そうに私を見るのは、探しに行こうとしていた椚君本人だった。
 羽織っていた紺色のブランケットが落ちないように体の前で握っていた。

『大丈夫?』

 椚君は持っていたスマホを私に向けた。
 操作もしていなかったのに、どうしてもう音声入力アプリが開かれているんだろう。

『秋波? やっぱりまだ痛い?』

 椚君が心配そうに私に手を伸ばし、けれど私の顔に届く前にその手が止まった。
 彼の顔は迷っていた。
 私に触れていいのか迷って、行き場を失いかけている手が空中で止まっていた。

 私はその手に飛びつく。
 両手で握ったせいで、持っていたノートが落ちた。

「見つけた!」

 自然と口が動いた。
 目を丸くした彼は、突然の出来事に固まっていた。

 文化祭のあの日、ライブのあと。
 あの時に触れられなかった分まで、彼の手を握る。
 強く、強く、絶対に離したくないと思いながら。