『ねぇ、甘いもの食べに行こ。団子。全制覇しに』

 ノートを見せると、椚君はポカンとした顔をしていた。
 呆気に取られた顔で何か言っているが、それでは私には伝わらないと気付いた椚君が、すごい速さでスマホのキーボードをタップした。

『全制覇!? 結構な種類あったと思うけど』
『全部おいしそうだった。大丈夫、椚君はムリしないでいいからね』

 私はリュックから栞を出すと、団子屋の場所を地図で探した。
 2年3組。1階下だ。

『そう言えば、椚君のライブの時間、何時?』

 そろそろお昼時だが、時間は大丈夫だろうか。
 私は椚君が返事を打つのを待つ。

 廊下はこれでもかというほどに、人であふれかえっていた。
 廊下の壁は、風船や花飾りで華やかだ。この廊下だけで、どれだけの音に満ちているのだろう。
 椚君はうるさく感じていないだろうか。
 チラッと椚君を伺うと、平然とした顔でスマホに指を滑らせていた。

『おれの出番は1時半だから、団子屋行ったら、中庭行かなきゃ。秋波は先輩たちに動画、頼まれてるんだったよね。なら、教科棟の2階から見るほうがよく見えるかもね』

 椚君は動画の撮りやすい場所まで教えてくれた。
 せっかくだから、ライブはそこから見よう。

『とりあえず、団子屋行くか』

 頷き、私は彼のブレザーの袖を掴んだ。

***

 団子を全て制覇するとなると、金券をほぼ使い切ることになりそうだった。
 団子は3つずつ串に刺さっていて、それをフードパックに入れて渡してくれるシステムのようだ。

『金券、多めに買っといてよかったね』

 列に並んでいる間、椚君がスマホを見せてきた。
 私は金券を千切りながら頷いた。
 必要な値段分の金券を椚君に渡した。

「……!」

 エプロンを付けた男子生徒が、私たちのほうを見てにこやかに何か言った。順番が回ってきたらしい。
 椚君は、自分の分のみたらし団子と、私の分の全種類の団子を注文した。
 椚君の注文に、男子生徒は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
 全種類の団子を買って行く人は、椚君が初めてだったのだろう。まぁ、それを食べるのは私なんだけど。

 椚君が金券を渡し、それと引き換えに団子が入ったパックを受け取った。
 1つのパックに2本の串が入っている。
 みたらし団子が2本入っているのは、椚君の団子と一緒に入れてくれたのだろう。

 教室の中でも食べられるように、机がいくつかくっつけて設置されていた。
 そこそこ人で埋まっている中から空席を探した。隅っこの空いている席に座り、団子のパックを開けた。

「いただきます」

 椚君が手を合わせて、みたらし団子の串を取った。
 私もみたらし団子の串に手を伸ばす。
 甘いみたらしが絡んだ団子は、もっちりしていてとても美味しい。

 よもぎや揚げ餅、きなこなど、買った団子を食べている間、椚君はずっと待っていてくれた。
 その顔は満足そうだった。団子が気に入ったのかもしれない。

『美味し?』

 見せられた画面に、三色団子を頬張りながら頷く。
 この団子は手作りだろうか。それともどこかで調達してきたものだろうか。
 どちらにせよ、とても美味しい。
 柔らかすぎず多少の弾力がある団子に、頬が緩むのを止められなかった。

***

 団子を食べ終え、私たちは教室を出る。
 時間は1時過ぎ。椚君は出番に備えて、準備をしないといけない時間になっていた。

 私たちは本校舎を出て中庭へ向かった。
 椚君とは中庭で一度別行動をとることにした。
 教科棟まで付いて行こうとしてくれたけど、それだと椚君の準備時間が減ってしまう。
 私は大丈夫、と伝え、離れるのを渋る椚君の背中を押した。

 教科棟の中にも人がたくさんいた。
 いつもは上がらない階段を上って2階に上がった。
 美術部や書道部の展示をやっているようで、部員と思われる生徒たちが見物客を案内していた。科学部の実験ショーなんてものもあるらしい。外からチラッと見えた限りでは、空気砲で輪っかの煙を作り出していた。
 椚君の出番までにはまだ時間があるが、もし話しかけられたら困るなと思うと、中に入る勇気は出なかった。

 私は開いていた窓からステージを見下ろした。
 2階の廊下からは、確かに中庭の野外ステージがよく見えた。
 今もライブが行われていて、5人組のガールズバンドが演奏していた。
 観客が盛り上がっているのは、音がなくても分かった。
 ステージの前にはパイプ椅子がいくつか置かれていて、椅子はかなり埋まっている。その周りで立ち見している見物客もいた。観客の何人かは、ステージに向かってスマホを構えている。動画を撮っているのだろう。

 私はスマホのカメラアプリを立ち上げると、動画モードに切り替えた。
 本番前に練習をしておこうと思ったのだ。
 私はライブ中のバンドにスマホを向け、録画をスタートした。

 スマホ越しにぼーっと彼女たちの演奏を見る。
 なんの歌を歌っているんだろう。
 昨日みたいに、流行っている曲のカバーかもしれない。
 それとも自分たちで曲を作ったりするのだろうか。

 私は適当なところで録画を停止する。
 写真フォルダに入っている動画を再生してみる。
 音が入っているかは分からないけど、動画としてはちゃんと撮れている。若干ブレているところもあるものの、見る分には問題なさそうだった。
 あとは椚君のライブで、ちゃんと撮れるように頑張るだけだ。

 演奏が終わったのか、バンドメンバーたちが観客に一礼して舞台上からはけていく。
 次にステージに上がってきた4人組の男子が、演奏の準備を始めた。
 その真ん中、一番前でマイクを握っているのが椚君だった。さすがに、ブランケットもマフラーも外していた。

 椚君がマイクを顔の前に持って来て、何かを話し始めた。
 私はハッとしてスマホを構え、録画をスタートした。
 拍手をしていたギャラリーの動きが静かになり、椚君の話に耳を傾けている。

 椚君の口が止まったかと思うと、後ろにいるメンバーに目配せした。
 ドラムの人がスティックを叩いて合図を送り、演奏が始まった。
 彼らの演奏に、観客たちは拳を振って盛り上がっていた。

 耳が聞こえないのが不思議だ。
 今にも聞こえてきそうなのに。
 楽器の音色も、椚君の歌も、ギャラリーの盛り上がる声も、後ろで呼び込みしている生徒の声も、廊下で喋っている親子の声も、自然に聞こえてきそうだった。
 それなのにずっと音がない。

 椚君の歌う姿に、やけに心が惹きつけられた。目が離せなくなった。
 これは夢で、だから何も聞こえないんじゃないだろうか。そう勘違いするほどに。現実逃避したくなるほどに。

 椚君はどんな歌を歌っているんだろう。
 椚君はどんな声をしているんだろう。
 椚君は何を思って歌っているんだろう。

 ギターを弾いている人が、時々椚君と一緒に歌っているのが分かった。
 椚君は笑顔でメンバーたちと目を合わせている。

 ギャラリーの動きが小さくなり、手拍子に変わる。
 どこか切なそうに、苦しそうに歌っていた椚君は私を見つけた。
 彼は私と目が合うと、ふっと大人っぽい笑みを浮かべた。

 何かを願うように目をきつく閉じ、体を大きく前に倒して、大きな口で詞を歌った。

 その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
 初めて椚君の声が聴きたいと心の底から思った。
 彼の歌が聴きたいと思った。

 耳が聞こえない自分が情けなかった。
 過去の自分をひたすらに悔いた。

 どうして聞こえないの?
 どうして分からないの?
 こんなにも彼の声を聞きたいのに。

 叫びたい衝動とは裏腹に、私はただ静かに涙した。

 神様、どうか私に音を返してください。