うちの高校では、金曜日に前夜祭が行われる。
 前夜祭とは言っているが、夜にやるわけではない。
 5、6時間目を使って、ちょっとした催しものをするらしい。
 翌日の土曜日が文化祭本番。日曜は休みで、月曜は振替休日になる。
 
 特別クラスでは、前夜祭の中継を教室で見て、土曜日は欠席だ。私は土曜日も登校するけど。
 祖父母にその話をしたときは、嬉しそうに『行っておいで』と言ってもらえた。ついでにお小遣いももらえた。

『そろそろ前夜祭始まるわよ』

 11月最初の金曜日。
 すっかり回復した巴と、ずっとワクワクしている新と一緒に、新の机に置かれたタブレットを見る。新の車椅子の左右に私と巴が座り、明美ちゃん先生が少し後ろ、私と新の間辺りからタブレットを見ていた。

『すごいザワザワしてるねー。音声入力、役に立つかなー?』

 巴が心配そうに、タブレットの横に置いていた私のスマホを突いている。
 体育館はかなり騒がしいらしく、ときどきスマホが無意味な音を拾っている。
 聞こえない私にも、楽しそうな雰囲気は伝わってくる。
 いつもと違う非日常感に、早く始まらないかな、とみんながソワソワしていた。

『前夜祭って、どんなことするの?』
『文化祭当日はこんなことしますよーっていう、宣伝みたいなものだな。あと、外部からバンドを呼んだりとか。先生たちがちょっとした余興をしたり』

 新が去年の前夜祭を思い出すようにして教えてくれた。
 先生たちがする余興は気になる。どんなことをするのだろう。バンド演奏みたいなことでもするのか。それとも手品の披露でもするのか。

『見てのお楽しみよ。そろそろ始まるわ』

 明美ちゃん先生の言葉で、私たちの視線はタブレットに釘付けになった。
 生徒会長なのか、マイクを持った女子生徒が舞台の端に立っていた。遠くからの映像だから、顔が判然としない。

『それではこれから、前夜祭を始めます』

 タブレットからの声を拾ったスマホが、私にも分かるように文字変換してくれた。
 次の瞬間、スマホが壊れてしまったのかと思った。そのくらい、無意味な文字の羅列が入力されたからだ。
 それが歓声だと気付くのに、それほど時間はかからなかった。

 ノリのいい生徒たちが拳を突き上げている。
 女子生徒が舞台から降りると、下りていた幕が上がる。
 隠されていたのは、どこかのバンドだった。
 これが外部からのバンドかと思ったが、制服を着ているから、軽音部の人たちだろう。
 椚君がいるのかと思ったが、ボーカルは彼ではなかった。髪の長い女子生徒だ。
 ボーカル兼ギター。ベース、ドラムの3人組バンドだった。

『紅弥はいないなー』
『違うバンドなんだろ』
『私もその椚くん、だっけ? 会ってみたいわー』

 明美ちゃん先生が身を乗り出してきて言った。
 演奏が始まり、3人は楽しそうに歌詞を口ずさんでいた。
 最近の流行り曲らしいが、曲名を聞いても分からなかった。
 スマホに入力される歌詞を読みながら、カラーライトに照らされる舞台上を眺めていた。

 演奏が終わり、舞台上に幕が下りると、次に数人の生徒が舞台上に並んだ。
 1年のクラス代表らしい。それぞれのクラスの出し物の宣伝が始まった。
 2組の出し物がお化け屋敷で、そこで初めて椚君のクラスを知った。

 1年の宣伝が終わると、また幕が上がった。
 ポーズを決めた男女が7人。カラーライトが舞台上を照らし、彼らは踊り始めた。
 曲は洋楽らしく、3人とも知らない曲らしかった。でもかっこいい曲らしい。

 ダンス部の踊りが終わると、さっきと同じように幕が下がり、今度は2年生のクラス代表たちが並んだ。
 団子屋や、『シンデレラ』のパロディの舞台などの宣伝がされていた。
 団子屋は、みたらし団子、三色団子、よもぎ、こしあんなど、いろんな種類があるとのこと。
 絶対食べに行こうと思う。目指せ全種類制覇を心に決めた。

 2年のクラス代表が舞台から下りると、また幕が上がった。
 今度は全然知らない人たちが立っていた。

『これが先生たちの余興だねー。僕も見るのは初めてだよ』
『去年もあったけど、面白かったな』
『毎年、その時に流行ってるお笑いネタとかやるのよ』

 バンドも手品も私の予想は外れ、まさかのお笑い。
 なるほど、舞台に立っているのは、その芸人に扮した先生たちなのか。
 普段からテレビは見ないから、有名人でもよく知らない。先生たちが誰になりきっているのか、さっぱり分からなかった。

 先生たちの声を拾ったスマホを見るが、案の定、誰のネタなのか少しも分からない。
 チラッと隣を伺うと、新も巴も明美ちゃん先生も、面白そうに笑っていた。
 タブレットに映る観客たちの中には、手を叩いている人もいた。
 人が笑う声って、どんな感じだったっけ。

『あはは、やっぱこれ面白い』

 文字だけで見る笑い声。
 音声入力が文字化してくれる無機質な声。
 自分一人が蚊帳の外にいるかのような気持ちになりながら、タブレットをぼーっと眺めた。

***

『秋波さんはまた明日。佐藤くんと三木くんはまた来週。気を付けて帰ってね』

 前夜祭が終わり、まだ浮ついた気持ちが抜けきらない中、帰宅時間になった。
 明日の文化祭本番は、学校中が浮かれていることだろう。

 教科棟の廊下を歩いていると、巴が口の端を上げて私の顔を覗き込んできた。
 新が持っていた私のスマホに、ニヤニヤ顔の理由が表示されていた。

『明日は文化祭デート楽しんでねー』

 すぐデートにしたがる……。
 私はキッと巴を睨みつけた。

『さてー。嘉那はちゃんと動画撮って来れるかなー?』
『まるでおつかいだな。写真も忘れずに頼むな』

 車椅子を押しながら、わざと段差を通ってやろうかと思った。校門までの道にそんな大した段差がないのが恨めしい。
 2人とも私を舐め過ぎではないだろうか。
 ちゃんと動画も写真もばっちり撮ってくるから、黙って待ってろ?

『まー、深く考えずに楽しんできなよ。大丈夫だからさ』

 なにが大丈夫なんだよ。
 そう毒づきたい気分になったが、何も反論できなかった。
 話せないからじゃない。事実、心の中は不安でいっぱいだったからだ。

 椚君に迷惑をかけないだろうか。邪魔にならないだろうか。
 私といて、椚君は文化祭を楽しめるだろうか。
 お祭り気分の人たちの中で、私は楽しめるのだろうか。
 ついでに動画と写真はちゃんと撮れるだろうか……。

 グルグルとマイナス思考で埋め尽くされていると、巴の手に強制的に顔を上げさせられた。

『かーなーちゃん。顔上げてなさい。何かあったら、明美ちゃん先生もいるから、頼ったらいいよ。僕たちは学校にはいないけど、いつでもスマホ見れるようにしてるから。何かあったら、誤字だらけでもいいから連絡しておいで』

 巴が大人な笑みを浮かべて言った。

『どう? ちょっとは安心材料になった?』

 悔しいが、ちょっとだけ、なった。

『嘉那。ただの文化祭だよ』

 新は空を見上げるように顔を上げ、私の顔を下から覗いて笑った。
 そっか、ただの文化祭か。

「ありがと」

 私は小さく口角を上げて口を動かした。