『新ってさ、怖いものある?』
『え、急に何?』
月曜日の朝、私は明美ちゃん先生が教室に入ってくる前に新に訊ねた。
私は机の上に置いていた自分のスマホに、文字が入力されるのを見た。チラッと見た新は、脈絡のない私の質問に理解が追い付いていない顔だった。
『なんとなく?』
『なんで疑問形。にしても怖いものかー』
『ある?』
『ある』
『どんなこと?』
ぽんぽんと進んでいた会話が止まった。
新の顔を見ると、困ったように笑っていた。
巴が言うには、新も人前ではかっこつけているんだったか。知られたくないかもしれない。そう思い直し、やっぱりいいや、と書こうとした。
『オレは人に迷惑をかけるのが怖い』
質問を取り下げる前に、答えが返ってきた。
驚いて新を見ると、恥ずかしそうに頭をかいていた。
『その質問、お前のことに何か関係があるんだろ?』
普段は鈍い新でも、何か察するものがあったらしい。
何も言わない私を肯定と捉えたのか、新は言葉を続けた。
『車椅子だし、どうしても人に頼る部分ってあってさ。親に送り迎えしてもらってるのとか、嘉那や先生に車椅子押してもらってるのか、迷惑かけてるなって思っちゃうんだよ』
そんなことない。
私は慌てて首を横に振った。
新は苦笑して「ありがと」と口を動かした。
『でも、だから、自分にできることって何だろうって思う。巴や嘉那に勉強を教えるのとか、自分にできることがあるのが嬉しいと思う』
新がそんな風に考えているなんて、知らなかった。でもたぶん、新のその気持ちが優しいお兄ちゃんとして表に出ているんだろうなと思った。
誰かのために自分ができることをしたい。
今私の質問に答えてくれているのも、そう言うことなんだ、きっと。
『新は優しいね。でも、迷惑だなんて思ってないからね。私がこの教室に馴染めたのは、新がいてくれたからだよ。あと、いつも勉強教えてくれてありがとう』
『ははっ。ありがとう。それと、どういたしまして』
新は歯を見せて笑った。
すぐに優しい眼差しを向けてきて、口をパクパク動かした。新の口の動きが止まってから、スマホの画面を見る。
『紅弥も、嘉那を迷惑と思ってないと思うぞ。もちろんオレも巴も、そんなこと思ってない。いや、これが紅弥の話と繋がるのかどうか分かんないけど。間違ってたらごめん』
新は後半を慌てたように付け足した。間違ってはないよ、と言う意味を込めて苦笑する。それに気付いたのか、新の動きが大人しくなった。
昨日、巴にも言われたことだ。私は巴の言葉を思い出す。
――『迷惑と思っているかどうかは、紅弥が決める』
本人がそうじゃないと言っているんだし、私といてくれるんだし、文化祭に誘ってくれるんだし、それに……。
それに、好きだと、言ってくれるんだし……。
『新、ありがとう』
私はノートを見せ、「ありがと」と口を動かした。
新が「がんばれ」と言ったのが分かった。
***
その日の昼休み、私は弁当を持って屋上で待っていた。
いつも通り遅れてやってきた椚君の手には、購買で買ってきたパンと、財布とスマホが握られていた。
その肩にはいつものブランケットを羽織っていて、風に飛ばされないように握っている。
「おまたせ」
すっかり覚えた口の動きに、私は小さく微笑む。
ノートを広げ、椚君を待っている間に書いていた文章を見せた。
『ご飯の前に、話したいことがあります』
『改まって、どうしたの?』
椚君は手に持っていたスマホに話しかけ、その画面を私に見せた。
私は前屈みになってペンを走らせる。
『文化祭のこと、なんだけど』
椚君がハッとした顔になった。
その表情は強張っていて、緊張しているのが私にまで伝わる。
『うん。返事、考えてくれた?』
『文化祭、一緒に回りたい』
最後に遅れて『です』と小さく書き足した。
顔が熱い。文化祭の返事をするだけなのに。なにか重大な告白でもしている気分だった。
椚君の反応を見ようと顔を上げたら、椚君は顔を手で覆って、プルプルと震えていた。
スマホを裏向けて持ってるから、何かを言ったのかすら分からない。
何か反応してよ。
そう思って椚君に手を伸ばす。
「……!」
突然立ち上がった椚君が、空に向かって両手の拳を突き上げた。
肩に掛けていたブランケットが落ちたが、椚君はそれに気付いていなかった。
何か言っているけど、何も分からない。
彼の言葉を読むために、私は自分のスマホに手を伸ばした。
アプリを立ち上げるなり、次々と文字が入力され始めた。
『いやばいやばい、秋波と文化祭に行ける。え、夢?』
椚君の反応からして、感嘆符は数えきれないほど付いていることだろう。
彼を見上げると、ばっちり目が合った。彼は我に返ったらしく、顔を真っ赤にして私の正面に来てしゃがんだ。
手に持っていたスマホ画面を見せながら、口をパクパクと動かした。
『考えてくれてありがとう。文化祭、今からすごく楽しみになった』
椚君は満面の笑みを浮かべていた。
こんなに喜ばれるとは思ってなかった。
椚君の笑みと言葉に、心臓がバクバクとうるさい。
『当日、楽しみにしてる』
『うん』
ノートから私に戻ってきた目は、キラキラと輝くブラウンだった。
***
昼休みが終わって教室に戻ると、教卓の上に山のようにプリントが積まれていた。
スマホを弄ていた明美ちゃん先生と目が合った。目を逸らした。
何も訊かないでおこう。
そう思っていたのに、明美ちゃん先生が手招きするのが見えた。
思わずそちらに顔を向けると、私に見えるようにかざした先生のスマホに、見たくもない文字が既に並んでいた。
『午後からこれをやるわよ』
悪魔の微笑みが浮かんでいた。
新は苦笑いをしていた。
巴がいたら、耳を塞いで机に突っ伏していたことだろう。私もそうしたい。耳は塞がなくても聞こえないけど。せめてもの抵抗に背中を向けた。
目が合った新が、明美ちゃん先生を指さした。
渋々振り返ると、先生のスマホに文字が入力されているところだった。
『今日からしばらく、午後は文化祭の準備に当てられるでしょ? だから、うちのクラスではこの補習プリントをします』
そんな宣言するように胸を張って言わないでほしい。
そうだ、文化祭。私は先生の言葉でハッとした。
教卓に弁当を置かせてもらい、ノートを広げる。
『文化祭の日、出席します』
『あら、そうなの?』
『巴と新に、文化祭の写真と動画を頼まれました』
まぁ嘘ではない。
頼まれているのは事実だ。この前のお見舞いで、巴にも改めて頼まれたことだし。
『そう。1人で?』
明美ちゃん先生は心配そうに私を見た。首を横に振ってノートにペンを走らせる。
『椚君と』
『あぁ、屋上の優しい人だったかしら?』
『その人です』
『分かったわ。じゃあ、当日は一度この教室に登校してくれる?』
私はこくりと頷いた。
自分の席に戻り、スマホの音声入力アプリを立ち上げて机に置く。すぐにスマホは誰かの声を拾って、文字に変換した。
『紅弥と文化祭行くことにしたのか?』
この話し方は新だ。隣を見ると、新は嬉しそうに笑っていた。そんな顔されると、なんだか気恥ずかしい。
私は視線を机に落として、小さく頷いた。
『楽しんで来いよ』
スマホ画面から新に視線を戻すと、満足そうに頷いていた。
『え、急に何?』
月曜日の朝、私は明美ちゃん先生が教室に入ってくる前に新に訊ねた。
私は机の上に置いていた自分のスマホに、文字が入力されるのを見た。チラッと見た新は、脈絡のない私の質問に理解が追い付いていない顔だった。
『なんとなく?』
『なんで疑問形。にしても怖いものかー』
『ある?』
『ある』
『どんなこと?』
ぽんぽんと進んでいた会話が止まった。
新の顔を見ると、困ったように笑っていた。
巴が言うには、新も人前ではかっこつけているんだったか。知られたくないかもしれない。そう思い直し、やっぱりいいや、と書こうとした。
『オレは人に迷惑をかけるのが怖い』
質問を取り下げる前に、答えが返ってきた。
驚いて新を見ると、恥ずかしそうに頭をかいていた。
『その質問、お前のことに何か関係があるんだろ?』
普段は鈍い新でも、何か察するものがあったらしい。
何も言わない私を肯定と捉えたのか、新は言葉を続けた。
『車椅子だし、どうしても人に頼る部分ってあってさ。親に送り迎えしてもらってるのとか、嘉那や先生に車椅子押してもらってるのか、迷惑かけてるなって思っちゃうんだよ』
そんなことない。
私は慌てて首を横に振った。
新は苦笑して「ありがと」と口を動かした。
『でも、だから、自分にできることって何だろうって思う。巴や嘉那に勉強を教えるのとか、自分にできることがあるのが嬉しいと思う』
新がそんな風に考えているなんて、知らなかった。でもたぶん、新のその気持ちが優しいお兄ちゃんとして表に出ているんだろうなと思った。
誰かのために自分ができることをしたい。
今私の質問に答えてくれているのも、そう言うことなんだ、きっと。
『新は優しいね。でも、迷惑だなんて思ってないからね。私がこの教室に馴染めたのは、新がいてくれたからだよ。あと、いつも勉強教えてくれてありがとう』
『ははっ。ありがとう。それと、どういたしまして』
新は歯を見せて笑った。
すぐに優しい眼差しを向けてきて、口をパクパク動かした。新の口の動きが止まってから、スマホの画面を見る。
『紅弥も、嘉那を迷惑と思ってないと思うぞ。もちろんオレも巴も、そんなこと思ってない。いや、これが紅弥の話と繋がるのかどうか分かんないけど。間違ってたらごめん』
新は後半を慌てたように付け足した。間違ってはないよ、と言う意味を込めて苦笑する。それに気付いたのか、新の動きが大人しくなった。
昨日、巴にも言われたことだ。私は巴の言葉を思い出す。
――『迷惑と思っているかどうかは、紅弥が決める』
本人がそうじゃないと言っているんだし、私といてくれるんだし、文化祭に誘ってくれるんだし、それに……。
それに、好きだと、言ってくれるんだし……。
『新、ありがとう』
私はノートを見せ、「ありがと」と口を動かした。
新が「がんばれ」と言ったのが分かった。
***
その日の昼休み、私は弁当を持って屋上で待っていた。
いつも通り遅れてやってきた椚君の手には、購買で買ってきたパンと、財布とスマホが握られていた。
その肩にはいつものブランケットを羽織っていて、風に飛ばされないように握っている。
「おまたせ」
すっかり覚えた口の動きに、私は小さく微笑む。
ノートを広げ、椚君を待っている間に書いていた文章を見せた。
『ご飯の前に、話したいことがあります』
『改まって、どうしたの?』
椚君は手に持っていたスマホに話しかけ、その画面を私に見せた。
私は前屈みになってペンを走らせる。
『文化祭のこと、なんだけど』
椚君がハッとした顔になった。
その表情は強張っていて、緊張しているのが私にまで伝わる。
『うん。返事、考えてくれた?』
『文化祭、一緒に回りたい』
最後に遅れて『です』と小さく書き足した。
顔が熱い。文化祭の返事をするだけなのに。なにか重大な告白でもしている気分だった。
椚君の反応を見ようと顔を上げたら、椚君は顔を手で覆って、プルプルと震えていた。
スマホを裏向けて持ってるから、何かを言ったのかすら分からない。
何か反応してよ。
そう思って椚君に手を伸ばす。
「……!」
突然立ち上がった椚君が、空に向かって両手の拳を突き上げた。
肩に掛けていたブランケットが落ちたが、椚君はそれに気付いていなかった。
何か言っているけど、何も分からない。
彼の言葉を読むために、私は自分のスマホに手を伸ばした。
アプリを立ち上げるなり、次々と文字が入力され始めた。
『いやばいやばい、秋波と文化祭に行ける。え、夢?』
椚君の反応からして、感嘆符は数えきれないほど付いていることだろう。
彼を見上げると、ばっちり目が合った。彼は我に返ったらしく、顔を真っ赤にして私の正面に来てしゃがんだ。
手に持っていたスマホ画面を見せながら、口をパクパクと動かした。
『考えてくれてありがとう。文化祭、今からすごく楽しみになった』
椚君は満面の笑みを浮かべていた。
こんなに喜ばれるとは思ってなかった。
椚君の笑みと言葉に、心臓がバクバクとうるさい。
『当日、楽しみにしてる』
『うん』
ノートから私に戻ってきた目は、キラキラと輝くブラウンだった。
***
昼休みが終わって教室に戻ると、教卓の上に山のようにプリントが積まれていた。
スマホを弄ていた明美ちゃん先生と目が合った。目を逸らした。
何も訊かないでおこう。
そう思っていたのに、明美ちゃん先生が手招きするのが見えた。
思わずそちらに顔を向けると、私に見えるようにかざした先生のスマホに、見たくもない文字が既に並んでいた。
『午後からこれをやるわよ』
悪魔の微笑みが浮かんでいた。
新は苦笑いをしていた。
巴がいたら、耳を塞いで机に突っ伏していたことだろう。私もそうしたい。耳は塞がなくても聞こえないけど。せめてもの抵抗に背中を向けた。
目が合った新が、明美ちゃん先生を指さした。
渋々振り返ると、先生のスマホに文字が入力されているところだった。
『今日からしばらく、午後は文化祭の準備に当てられるでしょ? だから、うちのクラスではこの補習プリントをします』
そんな宣言するように胸を張って言わないでほしい。
そうだ、文化祭。私は先生の言葉でハッとした。
教卓に弁当を置かせてもらい、ノートを広げる。
『文化祭の日、出席します』
『あら、そうなの?』
『巴と新に、文化祭の写真と動画を頼まれました』
まぁ嘘ではない。
頼まれているのは事実だ。この前のお見舞いで、巴にも改めて頼まれたことだし。
『そう。1人で?』
明美ちゃん先生は心配そうに私を見た。首を横に振ってノートにペンを走らせる。
『椚君と』
『あぁ、屋上の優しい人だったかしら?』
『その人です』
『分かったわ。じゃあ、当日は一度この教室に登校してくれる?』
私はこくりと頷いた。
自分の席に戻り、スマホの音声入力アプリを立ち上げて机に置く。すぐにスマホは誰かの声を拾って、文字に変換した。
『紅弥と文化祭行くことにしたのか?』
この話し方は新だ。隣を見ると、新は嬉しそうに笑っていた。そんな顔されると、なんだか気恥ずかしい。
私は視線を机に落として、小さく頷いた。
『楽しんで来いよ』
スマホ画面から新に視線を戻すと、満足そうに頷いていた。