『そう言えば、秋波は文化祭の日はどうしてるの? 教室で補習とかになるの?』
昼休みの屋上で、ウィンナーパンを食べていた椚君が私に問うた。
私は梅干しの種を口の中で転がしながら、ノートにペンを走らせる。
『どうして?』
『いや、その。先週からホームルームの時間に、クラスで文化祭の出し物について話し合ってて。昨日のホームルームもその話でさ。そう言えば秋波はどうするんだろう、って気になって』
ホームルームの時間という単語で、大量の補習プリントが脳裏をよぎった。嫌なことを思い出した。
水曜日の午後がホームルームに当てられ、先週も昨日も、夏休みを思わせるプリントの山をやらされた。
毎回、新だけは時間内に終わらせているけど、私と巴は残りを宿題として持ち帰らされている。
一応その次の火曜日まで提出を待ってくれているものの、なかなか進まない。翌日が提出じゃないんだと思うと、ついつい先延ばしにしてしまう。そして月曜日の夜に泣くのだ。
巴に至っては、清々しい顔で『終わってない』と胸を張っていた。
あそこまで開き直られた明美ちゃん先生は、頭を抱えてため息を吐いていた。
『秋波?』
椚君に不思議そうな顔で呼ばれ、我に返る。そうだ、今は帰ってきてほしくなかった夏休みに思いを馳せているときではなかった。
『その日はたぶん、休むと思うよ』
新と巴も欠席するみたいだし。私も文化祭を回る予定なんてないし。
何もないのに登校して、奇異の目を向けられるのはごめんだ。
『椚君のクラスは何やるの?』
自分のことから話題を避けるため、訊いてもどうしようもないことを訊ねた。
『おれのクラスは、たぶんお化け屋敷』
『たぶん?』
『うーん。甘味処とお化け屋敷が対立してて。でもあの感じだと、お化け屋敷のほうが勝つんじゃないかな。口が達者な女子が多かった。おれは甘味処に一票入れたんだけど』
椚君は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
お化け屋敷がいい理由を語る女子たちに、圧倒されて言い負かされる椚君を想像して笑ってしまった。
文化祭の準備も、なんだかんだ楽しそうだ。
『秋波はお化け屋敷好き?』
『苦手かな』
『怖いの苦手?』
『怖い話は好きだよ。でも、暗い場所だと何の情報もなくて苦手』
耳が聞こえない、暗くてよく見えない、だと情報量が少なくて怖い。
『あ、そっか。そうだよね。ごめん』
『なんで謝るの?』
椚君は何も悪いことはしていないのに。
首を傾げたが、椚君は困ったように笑うだけだった。
『でも、誰かと一緒だったら、暗い場所でも平気だよ』
フォローするように書き足す。
困り顔を消した椚君は、少し考える素振りを見せた。
『秋波が文化祭休むのって、家の事情とか? 親に止められてるとか、そういうこと?』
『違うよ。その日は補習もないし、私たちのクラスで出し物やることもないし。新と巴も休むって言ってたし。変に教室にいても、目立つだけだろうから』
特に理由がないことを伝えると、椚君は『そっか』と納得したような顔をした。
『ところで、新と巴って誰?』
『クラスメイト。言ってなかったっけ』
『初耳。クラスメイトがいるんだね。ごめん。おれ勝手に、秋波1人なのかと思ってた』
2人のことが気になるのだろうか。通常クラスに通えない人たちに興味があるのだろうか。
『いるよ、2人だけだど』
『同級生?』
『先輩、かな。一応』
全然、先輩という感じがしない人たちだけど。
どちらかと言うと、お兄ちゃんが2人……。いや、巴をお兄ちゃんと言うのは言い過ぎかもしれない。
『その先輩たちも、耳が聞こえないとか?』
『違うよ。車椅子だったり、持病だったり』
『そうなんだ』
物珍しさで気になるのだろうか。
彼は面白半分で興味を持つようなタイプには見えないけれど。
『その、学年違ったりしたら、大変じゃない?』
『そんなことないよ。むしろ、先輩って忘れてた』
『仲良いの?』
悪くはないと思う。
基本的には2人とも優しいし。面倒見がいいというのか。……巴は最近、私で楽しんでいる節はあるけど。
『うん。まぁ、それなりに』
『何その煮え切らない感じは。まさか嫌がらせされてるとか――』
私は椚君の言葉を遮るように、髪が散らばるほど首を横に振った。
そのせいで、口の中で転がしていた梅干しの種を、思い切り噛んでしまった。鈍い痛みが口に広がる。思わず口元を手で抑えた。
また噛んでしまわないように、味のしなくなった種を出した。
『2人とも優しいし、楽しいよ』
あの教室に通うのは、嫌じゃない。
私の耳が聞こえなくても、2人は普通に話してくれる。面倒くさそうな顔もしない。
あの2人といるのは、居心地がいい。
『そっか。ならよかった』
椚君が安心したように息を吐いたのが分かった。
やっぱり野次馬のようなタイプではないみたいだ。純粋に私を心配してくれていたのだろう。
『椚君は軽音部だよね。文化祭で何か演奏するの?』
『するよ。野外ステージが出るんだって。そこでライブする』
体育館でやるのかなと思っていたが、野外ステージなんてものが立つらしい。
グラウンドか中庭にでも作るのだろう。
それは少し見てみたい。普段学校にないものができるのは、非日常感があって面白そう。
そうは言っても、耳の聞こえない私には、ライブなんて縁遠い話だけど。
『秋波さ』
続きの言葉を待って、スマホの画面をじっと見る。
しかし一向に文字が入力される気配がなかった。
椚君を見上げると、静かに私を見つめていた。
なんだろう。
私は首を傾げて、続きを促す。それでも椚君は口を開かなかった。
『どうしたの?』
ノートを見せても黙ったままだ。
何か、言いにくいことを言おうとしてるのかもしれない。ここは黙って待つべきか。
私は椚君が話したくなるのを、気長に待つことにした。
じっと見つめてくる椚君。
彼の視線に耐えかねて視線を逸らしては、また椚君に目を戻す私。
一体この時間はなんだろう。
どのくらい経ったのか分からないけれど、ようやく椚君がピクッと動いた。ハッとして腕時計を見ている。
私もスマホの時計を見ると、予鈴が鳴る時間になっていた。いつの間にそんなに時間が経っていたのかと、面食らった。
そろそろ教室に戻らないと。私は急いで弁当を片付ける。椚君も、食べ終えたパンのゴミを片付けていた。
『ごめんね。ちゃんと聞けなくて』
『いや、気にしないで。おれが言えなかっただけだから』
椚君の口が小さく動いた。
たぶん、かなり小声だったと思う。それでもスマホはちゃんと声を拾っていた。
一体、何を言おうとしていたのだろうか。何か重要なことだったのではないだろうか。
気にはなったものの、私からこれ以上は訊けず、彼の言いたかったことは分からずじまいだった。
彼の頬がほんのり赤く染まっている姿に、首を傾げることしかできなかった。
昼休みの屋上で、ウィンナーパンを食べていた椚君が私に問うた。
私は梅干しの種を口の中で転がしながら、ノートにペンを走らせる。
『どうして?』
『いや、その。先週からホームルームの時間に、クラスで文化祭の出し物について話し合ってて。昨日のホームルームもその話でさ。そう言えば秋波はどうするんだろう、って気になって』
ホームルームの時間という単語で、大量の補習プリントが脳裏をよぎった。嫌なことを思い出した。
水曜日の午後がホームルームに当てられ、先週も昨日も、夏休みを思わせるプリントの山をやらされた。
毎回、新だけは時間内に終わらせているけど、私と巴は残りを宿題として持ち帰らされている。
一応その次の火曜日まで提出を待ってくれているものの、なかなか進まない。翌日が提出じゃないんだと思うと、ついつい先延ばしにしてしまう。そして月曜日の夜に泣くのだ。
巴に至っては、清々しい顔で『終わってない』と胸を張っていた。
あそこまで開き直られた明美ちゃん先生は、頭を抱えてため息を吐いていた。
『秋波?』
椚君に不思議そうな顔で呼ばれ、我に返る。そうだ、今は帰ってきてほしくなかった夏休みに思いを馳せているときではなかった。
『その日はたぶん、休むと思うよ』
新と巴も欠席するみたいだし。私も文化祭を回る予定なんてないし。
何もないのに登校して、奇異の目を向けられるのはごめんだ。
『椚君のクラスは何やるの?』
自分のことから話題を避けるため、訊いてもどうしようもないことを訊ねた。
『おれのクラスは、たぶんお化け屋敷』
『たぶん?』
『うーん。甘味処とお化け屋敷が対立してて。でもあの感じだと、お化け屋敷のほうが勝つんじゃないかな。口が達者な女子が多かった。おれは甘味処に一票入れたんだけど』
椚君は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
お化け屋敷がいい理由を語る女子たちに、圧倒されて言い負かされる椚君を想像して笑ってしまった。
文化祭の準備も、なんだかんだ楽しそうだ。
『秋波はお化け屋敷好き?』
『苦手かな』
『怖いの苦手?』
『怖い話は好きだよ。でも、暗い場所だと何の情報もなくて苦手』
耳が聞こえない、暗くてよく見えない、だと情報量が少なくて怖い。
『あ、そっか。そうだよね。ごめん』
『なんで謝るの?』
椚君は何も悪いことはしていないのに。
首を傾げたが、椚君は困ったように笑うだけだった。
『でも、誰かと一緒だったら、暗い場所でも平気だよ』
フォローするように書き足す。
困り顔を消した椚君は、少し考える素振りを見せた。
『秋波が文化祭休むのって、家の事情とか? 親に止められてるとか、そういうこと?』
『違うよ。その日は補習もないし、私たちのクラスで出し物やることもないし。新と巴も休むって言ってたし。変に教室にいても、目立つだけだろうから』
特に理由がないことを伝えると、椚君は『そっか』と納得したような顔をした。
『ところで、新と巴って誰?』
『クラスメイト。言ってなかったっけ』
『初耳。クラスメイトがいるんだね。ごめん。おれ勝手に、秋波1人なのかと思ってた』
2人のことが気になるのだろうか。通常クラスに通えない人たちに興味があるのだろうか。
『いるよ、2人だけだど』
『同級生?』
『先輩、かな。一応』
全然、先輩という感じがしない人たちだけど。
どちらかと言うと、お兄ちゃんが2人……。いや、巴をお兄ちゃんと言うのは言い過ぎかもしれない。
『その先輩たちも、耳が聞こえないとか?』
『違うよ。車椅子だったり、持病だったり』
『そうなんだ』
物珍しさで気になるのだろうか。
彼は面白半分で興味を持つようなタイプには見えないけれど。
『その、学年違ったりしたら、大変じゃない?』
『そんなことないよ。むしろ、先輩って忘れてた』
『仲良いの?』
悪くはないと思う。
基本的には2人とも優しいし。面倒見がいいというのか。……巴は最近、私で楽しんでいる節はあるけど。
『うん。まぁ、それなりに』
『何その煮え切らない感じは。まさか嫌がらせされてるとか――』
私は椚君の言葉を遮るように、髪が散らばるほど首を横に振った。
そのせいで、口の中で転がしていた梅干しの種を、思い切り噛んでしまった。鈍い痛みが口に広がる。思わず口元を手で抑えた。
また噛んでしまわないように、味のしなくなった種を出した。
『2人とも優しいし、楽しいよ』
あの教室に通うのは、嫌じゃない。
私の耳が聞こえなくても、2人は普通に話してくれる。面倒くさそうな顔もしない。
あの2人といるのは、居心地がいい。
『そっか。ならよかった』
椚君が安心したように息を吐いたのが分かった。
やっぱり野次馬のようなタイプではないみたいだ。純粋に私を心配してくれていたのだろう。
『椚君は軽音部だよね。文化祭で何か演奏するの?』
『するよ。野外ステージが出るんだって。そこでライブする』
体育館でやるのかなと思っていたが、野外ステージなんてものが立つらしい。
グラウンドか中庭にでも作るのだろう。
それは少し見てみたい。普段学校にないものができるのは、非日常感があって面白そう。
そうは言っても、耳の聞こえない私には、ライブなんて縁遠い話だけど。
『秋波さ』
続きの言葉を待って、スマホの画面をじっと見る。
しかし一向に文字が入力される気配がなかった。
椚君を見上げると、静かに私を見つめていた。
なんだろう。
私は首を傾げて、続きを促す。それでも椚君は口を開かなかった。
『どうしたの?』
ノートを見せても黙ったままだ。
何か、言いにくいことを言おうとしてるのかもしれない。ここは黙って待つべきか。
私は椚君が話したくなるのを、気長に待つことにした。
じっと見つめてくる椚君。
彼の視線に耐えかねて視線を逸らしては、また椚君に目を戻す私。
一体この時間はなんだろう。
どのくらい経ったのか分からないけれど、ようやく椚君がピクッと動いた。ハッとして腕時計を見ている。
私もスマホの時計を見ると、予鈴が鳴る時間になっていた。いつの間にそんなに時間が経っていたのかと、面食らった。
そろそろ教室に戻らないと。私は急いで弁当を片付ける。椚君も、食べ終えたパンのゴミを片付けていた。
『ごめんね。ちゃんと聞けなくて』
『いや、気にしないで。おれが言えなかっただけだから』
椚君の口が小さく動いた。
たぶん、かなり小声だったと思う。それでもスマホはちゃんと声を拾っていた。
一体、何を言おうとしていたのだろうか。何か重要なことだったのではないだろうか。
気にはなったものの、私からこれ以上は訊けず、彼の言いたかったことは分からずじまいだった。
彼の頬がほんのり赤く染まっている姿に、首を傾げることしかできなかった。