いつからだろ。こんなどうしようもない人生を送り始めたのは。
小学生の時から親の仲がすこぶる悪かった。
共働きで家にいる時間は少なかったはずなのにその小さな時間で喧嘩が絶えなかった。
何を喧嘩していたのか当時の俺には全く分からなかったけど今でも覚えているのは
「こいつが生まれてから、変わったのはお前の方だろ!!」
と言って牛乳パックを投げつけられた父親が、母親に向かって放った一言だった。
あぁ、母親をこうしたのは俺なんだ。
じゃあ、俺がどうにかしなきゃって、勉強頑張った。
そしたらテストで100点取れたんだ。初めてのことだった。
嬉しくて。
早く母親に見せたかった。
それでもやっぱり喧嘩をするから言えなくて寝たふりをして母親が一人になるのを待った。
そーっとドアを開けてテーブルに突っ伏す母親に声をかけた。
「お母さん、みて、頑張ったんだ」
母親は突っ伏したままピクリとも動かない。
寝てるのかな。
少しだけ揺すってみた。
「お母さん、寝てるの?見てよ。クラスで1人だけだったんだ。100点」
母親はゆっくりと顔を上げた。
その顔はやつれていて、あれ、お母さんってこんな顔だったっけって少し不安になったけどテストを見せた。
テストを見て母親は言った。
「なんで、生まれてきたの?」
俺じゃなくて、テストの方をみていうから一瞬何のことか分からなかったけど、母親はそこに転がってたマジックを取り出してテスト用紙に書いてある俺の下の名前をぐちゃぐちゃに塗りつぶした。
その日から俺の中で、自分の名前は「だめなもの」に変わって、そして母親は帰ってこなくなった。
母親がいなくなってからは自分でなにかしないと生きていけなくなったから学校でもらった家庭科の教科書を見て色んなことを勉強した。父親が置いていくお金をもって買い物に行く。
金がなければ食パンを引っ張り出して食べる。
みんなそうだと思ってた。みんな親は仲が悪くて、ご飯とか洗濯とか自分でやらなきゃいけなくて、テストで100点をとっても別に褒めてもらえるわけじゃないと思ってた。
でも違うらしい。
違うらしいけど、みんなの生活が全く想像できなかったからうらやましいとも思わなかった。
小学5年生の時、はじめて女の子に告白された。
俺のことが好きなんだって。
そういう女の子の目が妙に心地よかった。
俺の言葉、行動1つで一喜一憂して馬鹿馬鹿しい。
求めたらなんでもくれた。
「好き」も「大好き」も「いなくならないで」も「あなたが必要なの」も
なんて容易い。
全部全部気持ちが良かった。
人からの好意がこんなに気持ちのいいものだったなんて知らなかった。
小学校6年生でどんな言葉やしぐさをすれば
女の子から好意を向けられるのかが分かった。
中学校に上がってからは彼女が尽きなかった。
歩いて視線を送るだけであの目を向けてくれる。
もちろん男の友達も大切にした。
もらえる好意は全部もらう。
中2の冬、付き合った女の子がおかしくなっていった。
他の女の子としゃべると癇癪を起してどうしようもなかった。
連絡を5分返さないと沢山のスタンプが送られてきて、それも反応しないと電話が山のように来て、それも無視すると家の戸が叩かれた。
怖かった。
これは俺の知ってる愛情じゃない。
逃げようと思って、別れを告げた。
その女の子は泣きじゃくって「じゃあここで死ぬ」と言い出した。
果物ナイフを取り出すから「やめろ」といったら「じゃあ一緒に死んでよ」と泣きながらナイフを振りかざしてきた。
その時ついた二の腕の切り傷は痕になっていまだに消えない。
そこから人からの好意とか、愛情ってものがなんなのか分からなくなって特定の相手だけに絞るのを辞めた。
好意を寄せられれば男と関係を持ったこともある。
気持ちが満たされるよという甘い言葉に誘われてたばこを初めて吸ったのが高2。
試しに5人の人と一斉に付き合ってみたのは高3。
その時に学んだ。
こいつら俺が好きなんじゃない。
俺が好きな自分が好きなんだ。
そう思ったら全部疲れて。
どうでもよくなって。
ここじゃないどこかに行きたくて勉強した。
大学に行くことを理由にすれば1人暮らしができる。
ある程度の大学にいい成績で入れば入学金が安くなる。
父親に頭を下げて投げ捨てられた少しの札と友人から借りた金と関係があった女の子から借りた金とパチンコで稼いだ金、バイトで稼いだ金。かき集めてかき集めて何とか大学に入った。
家は死ぬほど安いぼろアパート。
そんな腐った俺に初めての目を向けてきたのが新山おとだった。
面白い子だと思った。
同時に俺みたいな人生を歩んでほしくないとも思った。
助けになりたいだなんてらしくないことを考えてしまったら体はもう動き出していて、少しずつ心を開いてくれるのが嬉しかった。

ふと前を見ると鏡に映る自分がいた。
鏡に映る俺は不気味に笑って口を開いた。

__助けたいとか過去の自分棚に上げてよく言うよ

良いだろ別に

__人からの愛情をこけにし続けてたのはお前だろ

うるさい

__結局お前も父親や母親と同じなんだ。血は争えない

違う。俺はあいつらとは違う

__どうせあの子も同じだって。最後はお前の事捨てるんだ

そんなのわかんないだろ

__どうかな、くそがくそみたいな人生送って人様なんか救えるかよ

黙れって

__あぁ、ほらまた傷つけた。寝てる場合なの?

は?どういう意味だよ。

__自分の目で確認しろよ。
          お前がしでかしたことだ。

鏡が割れて鏡の中の自分に勢いよく引っ張られた。

「やめろって!!」



いつもの天井。
目を覚ました。
寝てた……?
さっき夢の中で言われた言葉を思い出す。
「また傷つけた」
なんとなく嫌な予感がしてスマホを開く。
いつも即レスの友人から返信がないことに疑問を持った。
あいつ、いつも返信速いのに。
寝てんのか?
メッセージアプリを開いてぞわっとした。
友人に送るはずだったメッセージをおとに送信していた。
"既読"
その文字が虚しくついていた。
おとはこの文章を読んだんだ。
きっと自分のことだと思ってる。
おとは繊細だから、さっきあんな話をした後にこんな文章が送られてたら。
急いでおとに電話する。
出ない。
焦る。
落ち着け今は深夜の2時。おとも寝てるだろ。
落ち着くために深呼吸をしたのもつかの間、次は家の扉を強くたたかれた。
思い当たる人物は1人しかいない。
近所迷惑なので仕方なく出ることにした。
「やっと開けてくれた,,,」
相手は大学でしつこく言い寄ってくる女。
「まじでしつこいよ」
「そんなこと言わないでよ。家、入れて」
「入れるわけないだろ」
強引に入ってくるそいつを何とか阻止する。
だんだん女の方がイライラしているようだった。
扉をバンっと叩いて
「さっきの女にはあんなに優しそうにしてたくせに!」
そう言い放った。
さっきの女?おとのことか。
「見てたのかよ」
「ずっと見てたよ。私の連絡には一切返事よこさないくせにあんなブスな女に時間割いちゃってさぁ。話してる最中もずっと電話したのに一向に出ないじゃん。挙句の果ては頭撫でちゃったりしてさぁ。なんなの?あいつは誰なの?」
こういう女が本当に嫌だ。
なんで平気でそんなことが出来るのか分からなかった。
それでもさっきの夢の中での"俺"の言葉がちらつく。
人からの愛情をこけにし続けてた代償。
おとを傷つけた俺に偉そうなことを言う資格なんてない。
でも、ここで面倒ごとを避けたいって流されてしまったらまた誰かを傷つける。
もう同じ過ちは繰り返したくない。
いつもはヘラヘラして受け流すけど、今は真剣に目の前の子の目を見る。
本人も少しビクッとしたようだった。
「大切な子がいるんだ。好きとかそういうの以前に幸せになってほしいと思ってる。俺はどうしようもない人間だから俺の軽率な行動で沢山の人を傷つけてしまう。君をその1人にしたくない。君が俺との関係の為にその子を傷つけるっていうならこっちも言葉を選ばず君をとことん突き放す。分かってほしい。もう誰も傷つけたくない」
目の前のその子は何かを言おうとして飲み込んで、「わかった」と小さくつぶやいて帰って行った。
「ほんと、自分の事棚に上げて何言ってんだか」
1番連絡が来てほしい人から連絡がこないスマホを握りしめ、扉に体重を預けてそのまましゃがみこんだ。