「俊彦さんは優しい人ですね」
「でも、残酷な人。コトさんはずっと待っていたのに」

「時代がそうさせたのでしょう。今ですら、先立たれる予定の男性と好んで結婚しようとする人もあまりいません。親戚なら尚更反対する。その渦に巻き込みたくなかったのだと思います」

「そう。これはどうかな」
「あ、芥川龍之介の「煙草と悪魔」ですね」

 日曜日、修と桃子は図書館にいた。日は大分経ったが、ようやく桃子が読める本を探しに来たのだ。本屋でもよかったが、最初はコトの家にある彼女が好きな小説を読んでみたいと言い出したので、古書の種類が多い図書館の方が見つかるだろうとやってきた。

 ずっと聞きそびれていた俊彦の話になり、予想以上の過去にうまい言葉が見つからなかった。

「分かりやすいタイトル。煙草は悪魔の仕業……ってことかな?」
「ええ、間違っていません。でも、こんなことを書きながら芥川は煙草が大好きなんです。この本も最後まで読めば分かりますよ、自分への皮肉ってところなのかな」
「へぇ、人間らしいね」

 ぱら、ぱら、人のいない図書館は音があちらこちらに飛んでいき、小さな音でも研ぎ澄まされた自然の呟きのように響き渡る。

「短編小説が集められた本であれば、日に何作か自分のペースで読めますからおすすめです」
「確かに、これならすぐ読み終わっちゃう。こういうの借りてみようかな」

 立ち読みする桃子の横で、ひょいひょいと何冊か見繕い椅子へ座るよう促す。持ってきたものは短編ばかりで、これが修のおすすめなのだろう。休憩スペースで隣り合わせに座り修が説明する。

「芥川は特に短編で有名ですからいいと思います。彼は虚弱体質であるのに、一日百八十本もの煙草を吸っていたそうです。元来真面目な性質の彼が何故そこまで無茶な生活をしていたのか僕には理解出来ませんが、ついには自殺で人生を終いにしています。小説を書く際も何度も推敲しながら進めていたらしいですから、真面目で頑固故そうなってしまったのかもしれません。まあ、一高の受験の時など真面目とは言えないところもありますけど。それと、彼を尊敬していた太宰も自殺の()があって、最後は本当に自殺してしまいます。真相は分かりませんが、僕は虚言自殺の先であったように思えてなりません」

 話を聞きながら、本棚にある芥川の文字を伝って太宰まで流していく。

 本に親しみの無い桃子でも芥川と太宰の名前はよく耳にするし、最期が自殺であることも知っている。知らない桃子ですら思うところはあるというのに、修にとってはまさに核心に迫る話題だろう。

 何処を見ているのか、はたまた何も見えていない瞳で、先ほどまでいた本棚に顔を向けたまま一人宣言する。

「僕は自殺が嫌いです。いつでも自分が自由に出来る唯一の命であるのに、それすらも大切に出来ない人間は嫌いです。世の中には生きたくても生きられない人がいて、健康なのに自ら命を絶つのは我儘だと言う人もいるでしょう……ただ、ただどうにもならないことが心うちで起きて、自分自身生きられない状況に陥ったらと思うと、例えば不治の病である日亡くなってしまうことと何が違うのだろうと思うのです。当人がどういう状況にいてどう思っているのか分からないのであれば、誰かが見えないところでその人も蔑み責めたてるのはまた、間違いであるとも思うのです」

 静かな告白。

 横にいるのは修であるはずなのに、遠くにいる架空の存在にすら思えてくる。早く話しかけないと手が届かなくなりそうで、桃子が話題の中に入り込む。

「それは、自殺は病気だと?」

 前を向いていた修が桃子へ振り向く。少しの笑顔にようやく安心した。