蝉が、うるさい。
 ジージージージー。
 開け放たれた縁側から、鼓膜をつんざくような騒音が無遠慮に入り込んでくる。庭の梅の木に止まっているのか、やけに大きい音に座布団を枕替わりにして畳の上に大の字で寝転がっていた俺・朝倉颯太(あさくらそうた)は、「あーうるせえっ!」と叫びながら起き上がった。

 俺の大きな声に蝉が黙るが、それも一瞬のこと。すぐにまたジージーと鳴き始める。

 カランッ――

 グラスの中で氷が崩れて音を立てた。
 入れたまま、すっかり忘れていたそれを掴み、一気に喉に流し込む。溶けて小さくなった氷をガリガリと噛み砕けば喉がひんやりとして、少しだけ嫌な気持ちも流れていった。

 ここに来る途中、車の窓から眺めた景色が頭に浮かぶ。
 静岡の田舎にあるここは、見ないうちにうんと様変わりしていた。田んぼだったところは分譲地になり、地元のスーパーは大型ショッピングモールになっていた。

 だけど、ここはなにも変わってない。

 畳の感触も、匂いも、歩くと軋む廊下も、ここから見える景色も、聞こえる音も。なにもかもが昔のままだ。
 一年ぶりのばあちゃん家は、今もあの時のままだった。

 生まれてから中学までをここで過ごした俺は、父親の転職にともなって卒業と同時に東京に出た。それが一年前の春。

『夏祭りには、帰ってくるから』

 地元では割と大きな祭りと花火大会が毎年八月の第三週の土曜日に開催される。
 ばあちゃんにそう約束したのに、去年はコロナで夏休みどころか年末年始も春休みも帰ってこれなかった。
 そして、翌年となる今夏。ばあちゃんの家でこうしてごろごろしている俺は、一年ぶりにようやくその約束を果たせたというわけだ。

 かく言うばあちゃんは、突然来た俺に嫌な顔一つせず、買い物に行ってくると言って車で出かけていった。じいちゃんは、今日開催される祭りの見回り要員に駆り出されているらしく、すでに家にいない。

 本当は、今日ここに来るつもりじゃなかった。
 ばあちゃんにあぁいったのも、その場しのぎの口約束だった。

 もう、ここに戻ってくるつもりなんかこれっぽっちもなかったんだ。
 ここには、大切で苦しい思い出がたくさん詰まっているから。
 その思い出を、壊さないために、そして忘れるために俺はここを離れたから。

 今でも鮮明に思い出せる。
 あいつとの出会いを、そしてすべてを。
 顔も声も、耳の形も、しぐさも、なにもかも。

 忘れたいのに、忘れさせてくれないんだ――……