第一章

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 斬首人は畳に小刀を突き立てた。
 刈るべき首は九つ!
 奴らは大罪人だ。皆滅ぶべくして滅べ!
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 景虎の父、道山は、百八十センチメートルはありそうないでたちだった。腕も丸太のように太く、もじゃもじゃの腕毛が覆っている。髪もざんばら髪で、太い眉に、鋭い二重の目、雑に伸ばした鼻ひげと顎髭をもじゃもじゃさせた大男だった。
「こんな山奥まで、よく来たな」声も太い。
「はじめまして。本日よりご石介になります、冷泉誠人と申します」
「はじめまして。白峰瑞です。本日よりお世話になります」
「はっはっは、そんな恐縮しないでいいんだよ! って言おうと思ったが、なぁんだ、ふたりとも肝っ玉が据わっているじゃないか!緊張のきの子もしておらんようだ! よきよき、実によい!」
 千葉道山は、かっかつかと大きな体を揺らしながら、冷泉の背中をバンバンと叩いた。
「なんだ、君は武道の心得があるのかね」
「えっと。はい、剣道を少々」
 冷泉が目をばちくりさせると、道山は「強く叩いても体幹が一切ぶれることがなかった。武人たる証拠だ」と言って、また、かつかつかっと大声で楽し気に笑った。
「あなた」隣の中年女性が、丸太を裏手で叩いた。そして、「お客様をいきなり叩くだなんて失礼ですよ。――びっくりしたでしょう。ごめんなさいね。うちの人ったら、いつもこんな感じなもので」と、たいしてびっくりした様子でもない冷泉に向かってくこんと頭を下げた。
「いいえ。むしろ緊張をといていただきました」と、緊張のきの字も知らなさそうな冷泉が小さく微笑む。
「ごめんなぁ、冷泉。こっち、俺の父ちゃんと母ちゃん。俺、一人っ子だからずっとこの三人」景虎が困り笑いを浮かべながら、それでも楽しそうに紹介を加えた。
「この家にいるときは、自分の家にいると思ってゆっくりしてくださいね。こんな辺郡な村でしょう? まさか、景虎がお友達を連れて里帰りしてくれるだなんて、思っていなかったから、本当にお父さんと大喜びしてしまっちゃったわよ」
「本当だよ!ここに来るまで何時間かかったことか!はははは、でも、珍道中で楽しかったよなあ」
 景虎が快活に笑うのに、冷泉も、瑞間も笑みを浮かべてそれぞれ頷いた。
「ご挨拶は?」その瞬間だけ、母親|茄子の顔つきがすっと緊張を帯びた。
「もう済ませてきたよ」景虎は凛と答える。――どこへの、と言わなかったが、阿良々木家への挨拶のことだろう。冷泉はなんとなくそう感じ取った。
「いやあでも」景虎が話を変えようと、大げさに表情を崩した。「こんな変な手紙さえこなきゃあ、冷泉たちも九九尾村くんだりまで来ることもなかったのは確かだよな」

 千葉景虎殿
 九月九日、九九尾村にて、九つの首を待っております。
 斬首人

 切手の貼られた封筒、筆書きの達筆な文字。
 これが、千葉景虎の下宿先のポストにあったというのだ。
 消印は、村の最寄りの郵便局だった。皆察に相談に行ったときに一応調べてはくれたようで、その時の話によれば指紋は景虎と郵便局員のもの以外検出されていないそうだ。
「こんなんもらったら、気持ち悪くて平気じゃいられねぇよな」景虎が口をへの字に曲げる。
「ごめんなさいねぇ、付き合ってもらっちゃって」苑子が下から覗き込むようにして、客人二人にかわるがわる頭を下げた。
「いえ」冷泉は出された冷たい緑茶の入ったグラスを右手に、いただきますと頭を下げた。「これは間違いなく殺人予告です。警戒しない方がおかしいですよ」言って、ぐびりと半分くらい一気に飲んだ。とにかく、候が渇いていた。「九つの首、というのに心当たりは?」
「……九九尾地蔵くらいしか」道山が分厚い唇を開く。
「でも、九九尾地蔵は、九九尾村に既にあるのに、『九つの首を待っています』っていうのもおかしいよな。もうあるじゃんって思うよな」景虎が、冷泉に同意を求めるように、大きな目を向けた。
 冷泉も小さく顎を引いて同意を示す。「『九つの首』が何かの比喩だとして、それが外からくる何かだとすれば、俺と瑞間はそれにあたるよな」「でもあとの七つは?」と瑞間。
「俺たちのほかに旅行客は?」冷泉は景虎に視線を向けた。
「いないはず」
「じゃあ、俺たちは『九つの首』じゃなさそうだ」冷泉は再び視線を手紙に落とした。
「景虎を『外部からの者』に加えたとしても、六つ首が足りない」「村の中で、村の中の『九つの首』を待っているんだったら……」景虎がぶるりと身を震わせ、苑子が「縁起でもない!」とその背を叩いた。
 しかし、「いえ、あながち間違っていないかもしれません」真剣なまなざしで手紙の表面を照らす冷泉の横顔を見て、言葉を失った。
「まさか。この村で九人もの人間が首を持っていかれるとでもいうの・・・・・?」苑子が、ふくよかな頬を震わせた。否定してくれと顔に書いてある。
「それはわかりません。この怪文書の内容がそのまま実行されるかどうかも定かではありませんし・・・・・ただ」冷泉はそこで、顔をゆがめた。
「ただ」景虎が反する。ごくりと候ぼとけが上下した。
「ただ、最悪そういうことになりかねないとは伝えておきます」

 2

「びっくりしただろう?この村」
 景虎が明るい声で、振り返った。景虎の部屋は八畳の和室で、大きな窓が三つある。そのうちの一つを背に、景虎は、にんっと八重歯を見せた。
「その言葉、どこかで聞いたな」瑞が、苦笑気味に冷泉の方を見た。
「ああ」冷泉はどういう表情をしていいのかといった複雑な表情で、瑞樹の方を見た。
「どういうことだよ」景虎が半分笑顔を引っ込めて、尋ねた。
「ああ」冷泉は、瑞樹にお前が話せと、ごろりと背を向けてその場に横になった。
 それを受けた瑞が、静かに口を開く。
「去年、俺の実家の村で事件があったってのは、知っているだろう?」
「ああ」
「俺の実家も、すつごい山奥にある辺鄙な、それこそ九九尾村よりももっと異様な村だったんだよ」
「なんだ、そうなのか」
「そう。だから、村の同年代全員が友達っていうのも似ているなぁと思いながら聞いていたよ。文次郎さんの家で」
「そっかそっか」景虎はそのままずるずると胡坐をかいた。
 瑞樹もそれを見て、自身の荷物の横に胡坐をかいた。
「夜は布団な。ベッドなんてハイカラなもんはねぇ」
「十分だよ。ありがとう」
 瑞樹がそう言ったところで、冷泉がごろんと体の向きを変えた。
「長一さんは何歳なんだ?」
「二十一かな」景虎は宙を見て答えた。
「二つ上か」と、冷泉。
「仲良いんだ」景虎は視線を斜め下に落として、ぽつりと言った。
「……本当か?」冷泉が刮目した。
「本当、本当」
 先ほどの様子からでは想像がつかなかったのだろう。瑞樹も驚いたような顔をしていた。
「毎日風呂一緒入っているよ」
「どういうことだ」
「銭湯だよ」
「ああ」冷泉は、納得がいったというように息を吐いた。「部屋の風呂のことしか想像していなかった」
「それ、変じゃん」景虎は八重歯を見せて笑った。
「変だからびっくりしたんだよ」冷泉はやれやれと体を起こして、同じように胡坐をかいた。「銭湯があるのか」
「あるよ。サクん家行っただろ?そこと貯水槽を越えた先。村の人らは、だいたいそこで済ますよ。長太郎さんと綾子さんは行かないけど」
「そうか」
「長一くんもいつかは入らなくなっちゃうのかなあー」景虎は頭の後ろに手を組んでごろんと寝ころんだ。「いやさ、村の東側に家あんの、俺ん家と長一くんのところだけじゃん? 小さいころは親と俺一緒に入りに行っていたんだけど、小学生くらいになって、だんだん恥ずかしくなってさ。それで、長一くん誘ったら、想像以上に簡単にいいよって言ってくれたんだよな」
「へえ」冷泉は、阿良々木家の居間で見た長一を思い浮かべながら話を聞いていた。「意外と気さくな人なんだな」
「気さくだよ」
「もっと、村主の看板振りかさしている人かと思っていた」瑞構も、冷泉と同じ感想を持ったようだった。
「ああ、それは、長太郎さんと綾子さんだけだよ。親がそんなんだから、親がいるときや、公的な場では長一くんも同じようにふるまってはいるけど、家から出たら普通のお兄さんって感じなんだ」

 3
「景虎、粗相のないようにな」道山が、飲付き特姿で胸を張った。
 その正面には、阿良々木本家の分厚い門構えがあった。
 思わず景虎の喉ぼとけが上下する。スーツを着ているというより、スーツに着られて
 いるといった風体の景虎の丸まった背中を、苑子がぺしりと叩いた。
「主役はお客様。冷泉くんと瑞くんなんだから、あんたが緊張してどうするのよ」その苑子の隣には、こちらもまた、真新しいスーツを身にまとった冷泉と瑞徴の姿があった。
 カランコロン、と先ほども聞いた大仰な玄関のチャイムが鳴る。
 同時に「どうぞ」と、綾子のものだろう声が響いた。
「こんな大きな家なのに、その、お手伝いさんはいないのか」冷泉が小声で景虎に聞いてみた。
「ああ……それは、ちと訳ありでな……」
「あ、なるほど」冷泉はそこまでで察してしまった。
 おそらくは、一度、長太郎と雪子の過ちがあったため、本妻の綾子が二度と女性を中に入れることを好まなくなった、とかそのような話だろう。
 そうこうするうちに、先ほども見た立派な扉が見えてきて、それがそろそろと開いた。
「お待ちしておりましたわ」綾子がつんとあご先を上げる。
「本日はお招きにあずかり光栄にございます」道山が未しく頭を下げた。
 それに倣って面々も頭を下げる。心臓が五回ほど拍動したあたりで、道山が頭を上げた。またそれに倣って一同が続く。
 苑子の、おそらくは着慣れていないのだろう、和服と下駄でちょこちょこと歩く姿がなんだか微笑ましかった。
 先ほどの居間を通り過ぎ、その奥の襖が開く。二十畳はありそうな部屋が二間続く、大きな部屋だった。そこに、お膳が人数分並べられている。
 一番奥の上座に、どーんと、長太郎が胡坐をかいて座っていた。
 その右肩隣に長一が正座をしている。
「本日は、次郎様は」道山が、綾子に伺った。
「分家の者を呼ぶほどのものではないでしょう」綾子が、冷泉と瑞材を品定めするようにねめつける。
「失礼しました」道山は、何が失礼なのかよくわからないが、とりあえず反射で謝ったように見えた。
 そうして、酸素の薄そうな部屋の中に通された五人は、各自用意されたお膳の前についた。

 4
「疲れたろう」そう言って長一は快活そうに白い歯を見せた。
 ここは、二階の長一の部屋だった。一階の客間で一時間少々の食事を摂ったのち、長一の誘いで子供たちだけ、彼の部屋にお呼ばれしたのだった。
「親父とお袋といると、俺も疲れるくらいだもの」
「長一さんはいつも、ああいう感じなのですか?」冷泉はすかさず質問した。
 綾子の用意してくれた麦茶の中の氷が、机の上でカランとなった。
「ああいう感じというと?」長一は、穏やかに訊き返す。
「いえ、ご両親の前だと、いつも気を張っていらっしゃるようにお見受けしたもので。
 いつもご両親の前では、阿良々木本家のご長男として、堂々と振舞われているのかと」冷泉は、言葉を選びながら言った。
「ああ。そうだよ」
「疲れませんか?」瑞樹が尋ねた。彼の故郷の知り合いのことを思い浮かべているのだろう。
「子供のころからずつとだからね。俺の中ではこれが標準。当たり前のことだから、慣れた。疲れはしないよ」
「そうですか」瑞樹は、彼を意るように頷いた。
「それに、景虎がいてくれるしね」と、長一は「な」と景虎の硬い髪をわしゃわしゃと撫でた。
「失礼かもしれませんが、お二人はご兄弟のようですね」冷泉が少し切り込んだ。彼が弟として扱うべき人間はもう一人いるのだ。
「ああ。・・・俺にも血の繋がった弟はいるんだが・・・・・・。なかなか会う機会がなくてね」「同じ村の中に住まわれているのに、ですか?」
「冷泉」瑞樹がさすがに、冷泉の脇腹をつついた。
 その様子を見て、長一は困ったように笑っていった。「冷泉くんと、白峰君みたいな関係かもしれないな。俺と景虎は」「どういうことです?」と、冷泉。
「血は繋がっていないけど、唯一気の許せる関係。ああ、君たちには、景虎や、他にも大学に行けば気の許せる友人はたくさんいるのかもしれないが」長一は、そこで、足元に目をやった。「俺は大学にも行っていないからね。行く必要がないんだと、元から選択肢にもなかった。だから、俺はね、気取らないでいい、素の俺を知る景虎がいてくれて本当に精神的に助かっていると思っているよ」
 そう言って、再び景虎の頭をわしゃわしゃと撫でた。景虎はくすぐったそうに、しかし飼い主に甘える犬のように嬉しそうに、八重歯を見せた。
「長一さんは、ゆくゆくは、阿良々木家のご当主に?」冷泉が麦茶を片手に訊いた。
「そうだね。そうなるね」「もう、婚約者までいるんだぜ」「景虎」長一が頬を赤らめた。
「あ、やばかった?」
「いや……」と、長一はほんの少し面映ゆそうに視線を、冷泉と瑞樹に戻した。「別にいいけど」
「へえ、婚約者さんですか」冷泉が目を丸くして見せた。
「十五の誕生日に、初めて会ったんだ。それから年に数回ずつ会い続けているよ。俺が二十二の歳になったら結婚することになっている」
「そうなんですね。では、恋愛などは?」
「冷泉」瑞樹が再び、隣の脇腹をつついた。
「……無縁だった。誰かを好きになることは、彼女を裏切ることになるからね」そう言った長一の瞳は、どこか終わりのない洞穴のように真黒く見えた。

(続く)