四
「俺が今回参加した理由、この人だったんだ」
倒れた男を床に寝かせるなり、薄川が言った。
場所は、先ほどまで会場の一部としていた本堂だ。
簡易的にワンピースの上から袴を重ね着しつつ、結衣は間抜けな声を漏らす。
おかげで、腰帯を巻く高さがずれてしまった。
「どういうこと? この人の知り合いなの?」
「まぁそうとも言うのかもな。この人、少し前にうちの厄除けを受けにきたんだ。五月の頭ぐらいか」
「……なんでそれ、もっと早く言わないの」
「こっちにだって、守秘義務があるんだっての。厄除けにきた人が婚活に参加してるくらいで報告義務はないだろ」
化け妖が憑いていることに、気づけなかったわけだ。
寺院で施す厄除けは、化け妖を寄せ付けないよう、清廉な香を放つ。
裏を返せば、すでに取り憑いている場合には、弱らせる一方で、その存在が分からなくなることもある。
「それで、どうして薄川がついてきたの」
恋時が使ったお祓い道具が、そのままにされていた。少しそれらの手入れをしつつ、結衣は問う。
「あぁ。厄払いの時に参拝理由を聞いたら、『八羽神社での神社コンに参加するから』って言っててな」
「えっと、それって理由になってなくない?」
「だろ、俺もそう思った。どうにも挙動不審で、体を扱い慣れてないみたいっていうか、少し怪しく感じてな。だから、見張るつもりできたんだ。八羽神社に丸投げで迷惑かけるわけにもいかないだろ。……結局かけちまったけど」
「それは別に気にしないで。むしろ、色々ありがとうね」
化け妖が憑いてるいるのかどうかは、薄川には分からない。怪しいと思うことはできても、今度は守秘義務が口外を阻む。
そんな状況の中、自分が出張ってまで、八羽神社に迷惑をかけまいとしてくれていたわけだ。責められるわけがない。
「でもさ、なんか変だよな。たしか、化け妖ってのに憑かれたら、おかしな行動に走ったりするんだよな」
「うん。そういうことが多いかな」
「じゃあ、神社コンに行くために厄除けをするなんて変な行動を取ったのは、化け妖の影響になるよな。でも、厄除けなんて化け妖とやらからしたら、自分で自分を苦しめることにならないか」
たしかに、矛盾している。
実際、この男に憑いていた化け妖は、その妖気を見せるやいなや力を弱めていた。それは、横野寺で施した厄除けの効果に違いない。
「今から当事者に聞くよ、それは」
前回、未央をお祓いした時に比べれば軽い仕事だ。
化け妖も弱っていれば、場所も神社の中と来ている。
結衣は、大幣を握り、正座を組む。
「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神──」
仰向けに倒れる男の胸部分に触れつつ祓詞を唱えていった。
「──清めたまえともうすことを、きこしめせと。かしこみ、かしこみ、もうす」
男の身体に亀裂が生じる。化け妖は、いともあっさりと男から切り離された。
カエデ紋の護符が、静かに着地する。
「やっぱりこれ、うちの寺のやつだ。……で、今なにが起こったんだ?」
「一応、今この人から妖を切り離したよ」
「そうか……」
納得しきった顔ではないが、しょうがない。
見えていない人からすれば、妄言に等しいだろう。
それを小さな頃から信じてくれているのだから、薄川は結衣にとって、なんだかんだとやりあえど、ありがたい人だ。
結衣はお次とばかり、ひふみ祝詞を口にしていく。
奥の奥で火をくすぶらせた炭が、最後の黒煙を吐きだすかのようだった。一節にも届かないうちに、化け妖は自ずからその姿をほどいていく。
「……こうも簡単に離されようとは、思いもしなかったよ」
「まぁ、これでも八羽神社の宮司だからね」
見たことのない妖怪だった。縦に細長い桃色の躯体をしている。
その先に、鬼灯の実のようなものが凛と揺れていた。その螺旋の隙間からか細い声がしたので、そこが頭部にあたるのだろう。
この世ならざるもの、異形そのもの。けれど、知った形ではあった。スケール感は違うけれど。
「かんざしの付喪神、かしら」
「分かるものなのだね? そのとおり、あたしはあの雅な髪留めさ。カンザシ、と呼んでくれていい」
「綺麗だけど、自分で言うのは醜いよ」
ありのまま言うと、カンザシは身体をより鋭く、細く尖らせる。
しかし、攻撃するでもなくまた身を縮めた。どうやら厄除けの効果により、かなり弱っているようだ。
「怒らせるつもりじゃなかったんだ、ごめん。攻撃してやろうとも思ってないから。ほら」
結衣は、神楽鈴を腿の横に置く。
薄川も流れを汲んでくれたようで、腰を下ろして、手を前に組んだ。
「聞きたいことがあると言う顔をしているな、小娘」
「……どうして、厄除けなんかに行ったの。自分が弱るって分かってたでしょう?」
「ふ。うちの主が、神社でのお見合いにいこうとしていたからね。それも、見える宮司がいると噂の八羽神社だ。防御策は取るだろう?」
「行かせなければよかったんじゃないの。横野寺に連れて行けるくらいなんだから、それくらい操れたでしょう?」
「……この子は、ずっと我慢をしてきたからね。やれることはみんなさせてあげたかったのさ」
カンザシは、凛と頭を揺らした。
乾いた音が二度、三度鳴る。
途端、古いフィルムのようにセピア色が頭に流れ込んできた。