「会議遅かったね。出てくれてありがとう。って、えっ、倒れたの!? 大変! 私も手伝う」

事態を察すると駆け寄ってきて、隣にしゃがむ。かばんからハサミやテープを取り出し始めた。

「帰っていいよ。俺が悪い、俺が倒したんだ」

首に力が入らず、頭を垂らしたまま告げる。償うべきは自分だ。ここで助けてもらったら、また面倒をかけることになる。とくに彼女には散々だ。

しかし、小さな上履きはその場から動かなかった。

「誰のせいとかじゃないよ」
「いいや俺がやった。いいから。早くしないともう下校時間過ぎてる。生徒指導になる」
「いいよ、そんなの」
「よくない、俺のせいだから。俺が窓を開けたから、自分の責任くらい自分で負うから」

声が低くぶっきらぼうになる。喉が潰れたような声しか出ない。

「でも、明日使えないと困るよ」
「する、する。使えるようにするから、だから俺が──」

言葉を絞り切る前、栗原さんが俺の手に上から指を重ねた。

「震えてるよ。大丈夫、大丈夫だから」

言われて、初めて振戦を目視した。

「落ち着いて。ゆっくり息吸って、吐いて、うん大丈夫だよ」

軽く指が寄せられる程度、握られる。栗原さんの手は冷たかった。血が上りすぎていたてらしい。言われた通りにすると、色々なものが全て少しだけ和らいだ。

「ごめん」

力に欠けた言葉が床に落ちる。それしか、出てこなかった。

「謝らなくても。わざとじゃないことくらい分かるよ。たぶん元から痛んでたんだ。一回倒れたくらいで壊れるなんておかしいもん」
「でも、最後は俺のせいで」
「あんまり背負い込まないで、誰も責めないよ」

覆った手がゆっくりと離れる。結局助けてもらってしまったら、もう帰れとは言えない。
緩やかに作業に戻る。栗原さんも手を貸してくれた。土台を後回しにして、外れてしまった葉を糊付けしていく。破れた木の表皮を張り替えて、ポスカを塗る。黙々と作業に当たってしばらく、

「実を言うと、さ。私も謝りにきたの」

栗原さんが静かに呟いた。
俺は手は止めないまま、目だけを右に寄せる。

栗原さんは色紙で折られた銀杏の葉を握っていた。紙の端が天井方向へ伸びている。

「謝ることなんてどこにも」

なにの件か、見当もつかなかった。

「あるよ、あるからここにきたの。茉莉ちゃんに、まだいるんじゃないって教えてもらってそれで」
息が大きく吸われる。それから、その半分にも満たないだろう声量、知らなかった、と唇が揺れた。
「私、なにも知らない。今宮くんのこと、なにも」
「そんなことないよ」
「あるよ、あるんだよ。みんなが知ってるようなことじゃなくて、私が言ってるのはもっと別。たとえば家族のこと、趣味、誰にも言えない秘密とか、そんなの私は全然知らない。友達、ううん付き合ってたのにおかしいよね。私、思い返したら自分のことばっかり気にしてた。どう思われてるのってばっかり毎日。それにやっと気づいたのは、また話すようになってから」

真に迫った横顔だった。少しの間を挟んで、

「明日で文化祭も終わるじゃん? そう思ったら、急にそれが心残りに感じたの。遅いよね、でももっと後になるよりは、今話したかった。だから来たんだ」

数ミリ皺が寄る程度、控えめな笑顔がこちらへ向けられる。

「これも勝手だね。全部ごめんなさい」

それから、小さな頭が下がった。
半ばモノローグのようだった。その独白は、まるで想像してもいなかった。それだけに、聞いている間、一本ずつ針が打ち込まれるみたく胸が痛んだ。

俺は、また笑って話せるなら、過去は蒸されて腐っても埋めておくつもりでいた。このまま、そしていつか忘れてしまって、それでいいと思っていた。栗原さんの心境を考えもせずに。

「ごめん」

謝るべきは俺だ。
どこまで罪を重ねれば済むのだろう。

「また謝ってる。今度のは、今宮くんが謝ることじゃないよ」

首を横に振る。目が据わる。

そもそも、むやみに関係を拗らせたのも俺だ。

ただ「彼女」という存在ができれば、少しはなにかが変わる、そういうアバウトな感覚のまま、花火大会の空気に飲まれて告白をした。

好きだった、でもそれはあくまで友達という一線の内側の話。栗原さんもそうだったのだろうことは、知っていた。けれど、彼女とならそれでもうまくいく、自分に都合よく、なんの根拠もなくそう考えていた。