二


俺はどこにいるのだろう、なにがしたいのだろう。

それは、文字にして見つかるようなものではない。大きくは進学や就職、小さくは欲しいもの、遊びの予定、アボガドの使い道。授業中、ノートの隅に書いたそれらは、どれもしっくりとはこない。たぶん今日が終わる頃には、忙しさに攫われて綺麗に忘れている。いつかまた開いた時に、首をひねるだけの種になるのだろう。それでも、伸びすぎた蔓のように、延々と同じ問いは続いた。

顔を上げた。数学の時間だ。山田は耳にペンをかけて、つまらなさそうな顔をしながらそれでも黒板を見ていた。青木は、ブレザーを毛布がわりに机に突っ伏している、潔よい寝様だった。栗原さんは、前列のクラスメイト全員が健やかな寝息を立てる中、目を尖らせペンを走らせる。四者四様、たぶん俺だけこんなことに頭を悩ませている。

そもそも彼らを見て、自分は、などと考えるようになった。文化祭だって栗原さんに誘われなければ委員になることなどまずなかった。シナリオは、はるに手伝って貰って、進行さえ、三人に引っ張られてやってきた。

俺は、野球強豪校に出来立ての吹奏楽部みたいに、ここまで連れて来てもらっただけだ。

授業終わりは、本番のステージである体育館でのリハーサルだった。セットを台車やらで搬入し舞台上に並べる。観客席側から眺めると、準備室に積んでいた時のガラクタ感とは見違えるもので、結構な壮観だった。

「こう見ると、やってきたもんだよなぁ」

山田が感慨深そうに、腕組みし見上げて言う。既に衣装であるスーツに身を通していた。肩幅の広い背広には、少し着られている感がある。

それくらいが、役作りとしては、ほどよかった。

「郁人のおかげだな、よっ副委員長」
「雑なおだて方。そうでもないと思う」

「謙遜するねぇ。じゃあ、俺だな。委員だし、主役だし、半分は俺のおかげって言っても過言ないだろ。もう半分は女子二人」
「ははっ。馬鹿言うのもいいけど、しっかりやれよ大根役者」
「任せろって。俺だってかなり練習積んでっからなぁ。玄関の姿見で。いつも犬に邪魔されてるけど」

山田は親指を立てる。自信の表れか、声にも張りがあった。

たしかに初めよりずっと上手くはなっていて、ドタバタ感、妙なコメディ感は薄れてきている。
大根は大根でも、但馬のブランドものだ。

照明や音響を含めて合わせるのは最初で最後の機会だった。カーテンを閉め切って、電気を落とす。

カウントダウンの後、降りた緞帳幕の手前だけが橙にライトアップされると、クラス全体からわっと声が上がった。

「まだ明かりついただけなのにな」

一人が言ったのに、笑いが起きる。言う通りなのだけど、たしかな高揚感が場を包んでいた。

「なぁ考えたんだけど、やっぱり郁人が居なかったらこう上手くいってなかったと思う。惜しいけど、俺の手柄の半分、郁人に返すよ」
「ありがとう、で合ってる? この場合。早く裏行けよ、主役だろ」
「おう、じゃああとであの上で」

山田が舞台の横手へ小走りで向かう。マイクテストを待って、再びブラックアウト。息を呑むような沈黙を数秒置いてから、合図がある。舞台上に、晴れ着姿の山田と栗原さんとが照らし出された。

持っていたシナリオ通り、劇が展開していく。セットの位置や光の加減など、調整点を記しつつ感心して見ていると自分の出番が近づいてきた。衣装である普段着に着替え、出ていく。眩しい光に当てられ、

「…………えっと」

台詞が飛び抜けてしまった。

頭が真っ白になる、ついさっきまでは完璧に覚えていたというのに。セットのテーブルについた山田と栗原さんが俺を見ている。暗がりで見えないけれど全員の視線が俺に注がれているように感じた。

山田がしきりに胸元で両の親指、小指を合わせる。それの意味を理解して、やっと言葉が出てきた。

「二人ともいつからそんなに仲良かったの? 五年前はそうじゃなかったと思うけど」

ひとシーンが終わって、袖にはける。裏方のクラスメイトは山田の作ったハートマークの話で持ちきりだった。

「いまみー、明日は気をつけろよ~。山田のハートなんか全校に晒すもんじゃねぇし」

一人が俺の肩を叩く。

「ほんと下手やったよ」
「まぁ面白かったし、まだリハだし問題ないんじゃん?」

やっぱり手柄は、彼に返納しようとステージ上を見つめながら思った。

いい親友を持った。

不器用だけれど、気も遣えて、いつも懸命。

思えば、付き合いはもう四年に近い。
けれど、初めの二年はただの同級生でしかなかった。彼となら、もっと前から友達でいればよかったかもしれない。

あの頃は、はるがいればそれでよかった。誰かとの関係を手にする前から、失うことに怯えていた。その怯えを強引に薙いだのも、考えてみれば山田だ。彼がいなければ、他の誰かとも親しくなることはなかったと思う。

「固まっちゃうからびっくりした」

場面が切り替わった。
ちょうど出番のないシーンだった栗原さんが、俺のところへやってくる。

もう、つっかえなく話せるようになった。まだ少しどきりとしてしまうのは、俺の勝手だ。
もしくは衣装が映えているから。笑顔を作って、

「あぁうん。ちょっと緊張したみたい。明日は大勢の人がこの前にいるんだと思ったら」
「え、そっか。そう言われると緊張してきたかも」

余計な言い訳だったかもしれない。
栗原さんは肩を丸めて、不安そうに眉を曇らす。劇の主役とはいえ、元々人前が得意な方じゃない。

実際には、頭の切り替えがうまくいっていなかったせいだ。
観客気分のまま、ひいては物思いを引きずったまま舞台に乗ってしまった。

「自然にやればいいよ。今なんか俺よりずっと堂々としてるし」
「でも台詞飛んだらたぶん私もダメだよ」
「ならカンペでも構えとく」
「ふふっ、それ頼もしいね」

話のすぐ後、栗原さんは再び光の下へ出ていく。

一応、見えるだろう角度で台本を開いていたが、一瞥もなかった。まさに名演だった。不要な心配だったようだ。

劇が終盤に差し掛かった頃、校内放送で委員会の招集がかかる。栗原さんはまだ演技の途中だった。俺が出ることにして、体育館を離れた。

重たい鉄の扉を閉める手前、観劇するクラスメイトの群れの中にいた青木と目が合う。少し笑われた気がした。