四
前日の余韻は、日が明けても身体に残り続けていた。
胸の裡がずっと仄かな熱を持っている。朝から、時間の流れがやんわりと感じられた。黒板を写そうと見ていても、気づけば消されている。うかうかとしているうちに六限が終わった。
放課後には、学校全体での文化祭委員の会議があった。四人で相談して、今宮と二人出ることになる。一果も山田も、演技の練習で他に手が回らないらしい。
会議は、文化祭当日の委員仕事についてだった。
「体育館前係りの人は、押し合わないよう列の整理を──」
長い説明の間、私はまだぼうっとしていた。
今宮の横顔を、窓から吹き込む秋風にさらわれた前髪を見つめて、詮なきことを考えていた。
私は、ずっと変わらないまま居たかったのかもしれない。一学期のままの四人で、変わらない関係で。
彼と一果が付き合い始めた時、私が山田と謀って探りを入れたのは、今にして思えば、一番の理由はそれだった。
あの頃に、止まっていたかった。折角手に入れた日常が手につかなくなることが、怖かった。今宮について限った話じゃない。
たとえば一果と購買に通ったことも、授業中に山田のノートに落書きをしてやったことも、四人で昼を囲む時間も、全て。私はあのままでよかった。
そして、そうしていられたなら、たとえもう私の方を向いていないことが分かりきってらいても秘めていられる。
誰のものにもならない彼の近くで、手にできないことを分かっていながらでもこうして側にはいられる。
それが仮初めだとしても構わない。
何十年が過ぎてもし忘れられたら、誰かと結婚をすればいい。忘れられないなら、しょうがない。たかが人生、百年だ。
でも現実、そうはいかない。
今だって、前に戻ったようでその実が違うのは分かっている。全員が別々のことを考え選択して、偶然に昔と近しい位置関係にいるにすぎない。時間は人を変える。いつか懐かしいと思わなくてはいけない日が来る。ならば私は、置いていってほしい。
会議は、予想を超えて長引いた。担当場所次第で業務内容や負荷がかなり異なるらしく、話し合いの決着に時間を要した。
「疲れた〜、休憩なしだもんなぁ」
「だね。本番の仕事より、今日の打ち合わせの方がしんどかったりしてね」
「ありうる」
教室に戻ると、誰もいなかった。舞台組も、もう帰ったのだろう。席は元どおりになっていて、残るかばんも私と今宮のものだけだった。声が、音が響く。
「もう最終下校時間過ぎてんのかな」
「まだ六時だよね。たまたまみんな早かったのかも」
遠く、西の空はもうめっきり黒かった。
さっきまで綺麗な茜色をしていたのに、今やもう薄らと日が心を残すだけ。教室から電気の消えた廊下に出ると、そんな頼りない明かりは全く届かなくなった。消化器の赤いランプが目に痛い。
「鍵返してくるよ、昇降口で待ってて」
「うん。遅いって怒られたりして」
「怖いこと言うなよ」
もしかして今なら、まだ。ふと思った。
頭の中に薄い光がひと筋よぎる。間に合うだろうか、彼が誰のものでもない今なら。今宮が廊下の角を折れる。曲がりざま、呼び止めようとしたほんの手前だった。
「あ、今宮くん。今、帰り? 遅かったね」
「栗原さん、驚いた。まだいたんだ」
「うん、結構前に練習は終わったんだけどね、衣装の着替えとか、片付けとかしてたら遅くなったの。今日は山田くんの演技、かなりましになってて──」
完全に、日が落ちた。
今宮郁人は一果のものだ。私みたいな捻くれ者が奪っていいものじゃない。
二人が別れていてフリーとかそんなことには関係なく、仲良く話す二人を見ていたら、そう思ってしまったのだ。
私は、かつかつと廊下を歩いて下駄箱でローファーをつっかける。邪魔者は立ち去るべきだ。待ち合わせの昇降口を通り過ぎて、そのまま学校を出た。