なるほど、緊迫した空気がなかなか揺るがないのは、士琉が軍士の顔をしていたからであったらしい。絃は瞬刻、声をかけるべきか迷いながらも切り出す。

「あの、士琉さま。行かれなくてよろしいのですか?」

「っ……ああ、いや」

 おずおずと尋ねると、士琉は我に返ったようにこちらを見た。
 目が合った瞬間、空気が弛緩する。

「千隼がいれば問題ないはずだ。俺が行く必要はない」

 申し訳なさそうに「すまない」と眦を下げ、士琉は苦笑してみせた。
 しかし、それはあからさまにこちらを気遣っての返答で、絃は控えめに「ですが……」と食い下がる。

「本当に気にしないでくれ。それより、次は中通りに行こう。あの辺りは一般の民に寄り添った店が多いから、きっと君も娯楽気分で楽しめるはずだ」

「そう、なのですね。楽しみです」

「お鈴も遠巻きに見守っていないで、一緒に見て回るといい。そういうものは男の俺よりもお鈴の方がわかるだろうし、絃のためにも。いいだろう?」

 士琉の言葉に、お鈴は「え!?」と狼狽えたように絃を見る。その言われ方ではさすがに断りづらいのか、揺れる眼差しには迷いが滲んでいた。

「わたしも、お鈴とお買い物してみたい」

 この機は逃せないと察した絃は、士琉に便乗してお願い口調で後押しする。するとそれが功を奏したのか、お鈴はぐぬぬぬと唸りながらも渋々頷いてくれた。

「わかりました。お嬢さまがそう言うなら、仕方ありません……!」

「ありがとう、お鈴」

 よかった、と絃は思わず口許を綻ばせた。
 それを見たお鈴は驚いたように大きく目を見開いて、なぜか涙を浮かべる。
 まさか泣かれるとは思っておらず、絃はぎょっとしてしまう。しかし、涙を拭いながらはにかんだお鈴の顔は心から嬉しそうなもので、どうもちぐはぐだ。

「お、お鈴、嫌だった? 無理はしなくても」

「いえ、いえ、違います。嬉しいです。すっごく、嬉しいんです。嬉しいから、泣いてるんです。気にしないでください……っ」

「そう……?」

 戸惑いながらも、絃は思う。

(やっぱりお鈴は、こうしてそばにいてくれる方が安心する)

 だが一方で、それでいいのかと不安も覚えた。絃の気持ちを優先するがあまり、士琉の心をないがしろにしてしまっているような気がして。

 ──もう、さすがにわかっているのだ。

 士琉は、絃が危惧(きぐ)していたような怖い人間ではないことを。
 それどころか、申し訳なくなるくらいに、絃を(いつく)しんでくれていることを。

 大事に。大切に。傷つけないように。護るために。
 いつだって、彼は絃をいちばんに考えて、手を差し伸べてくれる。
 それがどうしようもなく伝わってくるから、士琉と共にいると、これが政略結婚であることを忘れてしまいそうになるのだ。
 だけれど、だからこそ怖かった。
 与えられたお役目をそっちのけに、甘えてしまいそうになる自分が。

「では、行こうか」

 当然のように差し出された士琉の手をおずおずと取りながら、思う。

(わたしは……わたしに、できることは)

 この方がなにかを強く願うことがあるのならば、せめて──と。



 月華南の中通りは、士琉の言葉通り、庶民向けの店が立ち並んでいた。
 定食でもてなす食事処を始め、薬屋や呉服屋、小間物屋。なかでも多いのは、日用雑貨を取り扱う万事屋(よろずや)だろうか。
 さすが先進的な軍都だけあって、どこも目移りしてしまう多様さだ。

「俺は後ろから見守っているから、好きに楽しむといい」