士琉と九折の顔が途端に悲しそうな色を灯したのを見て、絃は慌てる。どう返答すべきか迷って「あの、その」と視線を泳がせていると、士琉が首を傾けた。
「無理はしなくともいいんだぞ。誰しも好き嫌いはあるもの──」
「違いますよ、旦那さま」
ふいに背後から割り込んだ声に、士琉と絃は揃って肩を跳ね上げた。いつの間にかそばに控えていたらしいお鈴は、立て看板の品書きを見ながら腕を組む。
「みたらしと餡子ですか。食べたことがないものですし、せっかくですからどちらも頼んでみてはいかがでしょう? きっとお嬢さまは両方好まれると思いますよ」
「ちょっと待て。食べたことがない?」
士琉は信じられないと言わんばかりに、その端正な顔を強張らせる。
だが、その通りだった。
絃は生まれてこの方、一度も団子を食したことがない。
「いや、でもまあ、団子っつったら庶民の間食だしなあ。確かに高貴なお嬢さんには似つかわしくねえ、かもしれんな。どうにも若旦那で麻痺しちまってるが」
「いえいえ、こちらでもお団子屋さんはありますよ。お鈴も大好きですし。ただ、お嬢さまはこういった露店を利用したことがなくて」
気遣うような眼差しが、ちらりと絃を見る。
「ちょっと、機会がなかったんです」
絃も知識として団子という甘味があることは知っていた。
けれど、月代にいた頃はお鈴が作るもののみを食していたし、甘味と言えば保存が利く砂糖菓子が多かったのだ。なんといっても、千桔梗では昼間に開店している店がなかったから、露店食にはとことん縁がなかったのである。
「でも、お嬢さまは甘味がお好きですからね。ぜひお嬢さまにできたてのお団子を堪能させてあげてくださいな、旦那さま」
「なるほど、そうか。わかった」
「はい。では、お鈴はこれで」
きっと、絃が困っているのを察して、助け船を出しに来てくれたのだろう。
出立前に邪魔をしないと意気込んでいただけあって、本当に気配を消してついてきてくれていたようだ。
それ自体は、侍女として徹底していて感服するのだけれど。
「待って、お鈴」
踵を返してさっさと立ち去ろうとするお鈴を、絃は手首を掴み引き止めた。
「お鈴もお団子好きなんでしょう? なら、一緒に……」
「いえ! 今日のお鈴は透明人間なんです! お嬢さまと旦那さまを遠巻きに見守る任務で忙しいですし、どうぞお気になさらず!」
絃の手を優しく押し留め、お鈴はふたたび遠くの方へ走っていってしまった。かと思えば、向かい側の民家の陰に息を潜め、こちらの様子を窺い始める。
あきらかに怪しい者だ。
「……あれでは、なにやら誤解した隊の者に連行されそうだな」
「お鈴ったら……」
一歩も譲らないあの頑固さを、いかに懐柔したら共に行動してくれるのだろう。
絃と士琉が思わず顔を見合わせたそのとき、思いがけないことが起きた。団子屋の屋根から、ふいに一匹の猫がひらりと飛び降りてきたのだ。
「ひゃっ!?」
目の前に華麗な動きで着地したその猫に、絃は驚いて後方へよろけてしまう。だが、瞬時に反応した士琉ががっしりと受け止めて支えてくれた。
「大丈夫か」
「は、はい。すみません、びっくりして」
秋を彩る稲穂のような、黄金色の瞳を持った猫だった。どこかで見覚えのあるその色に釘付けになっていると、ゆらり、尻尾が揺れた。一本ではなく二本。見間違いかと思い目を擦って再度確認してみるが、やはり不可思議な本数は変わらない。
「……おい、千隼。なんのつもりだ?」
飛び降りてきた猫を睨みながら、士琉は怜悧な声で問いかける。