もし本当にそう言っていたのだとしても、きっと彼なりの気遣いだろう。
 仮にも絃は、妻になる相手だから。

(政略結婚だもの。それを肝に銘じておかなくちゃ)

 たとえ釣り合わなくとも、相応(ふさわ)しくなくとも、月代の娘という存在自体に〝利〟があるのなら、士琉の言う通りそばにいるだけで十分だ。
 むしろ、それ以上は望まないと暗に伝えてくれていたのかもしれない。
 ちゃんとわかっている。
 期待なんてしていない。最初から。
 なのにどうして、こんなにも胸が痛むのだろう。
 どうしてこんなにも、心が哀しくざわついてしまうのだろう……──。



 トメを私室の褥に寝かせたあと、絃たちは茜に経緯を話した。
 経緯といっても『トメの帰りを待っていたら大きな音が聞こえて、駆けつけたらトメが倒れていた』というくらいだ。
 問題は、むしろそのあとだろう。

「妖魔らしきものが、トメさんの陰から現れて逃げていった、ねえ」

 話を聞き終えた茜は、思案するように顎へ指を添えた。

「なるほど……。例のアレか」

「な、なにかご存じなのですか?」

「いや、うちの管轄ではないから、詳細はわからないのだけどね。──まあ、それはさておき、お嬢さん方が無事でなによりだ」

 双眸を眇め、茜はなにかを確認するように天井を見上げる。

「結界のなかならまだしも、外ではなんの意味も()さないからな……。下手したら三人纏めて襲われていた可能性もある。そうなったら最悪だった」

「そうですね……。あの、氣仙さまはどうしてこちらに?」

「ああ、私は今日、半休でな。時間ができたから、結界の具合を見るために立ち寄ったんだ。月代のお嬢さんに挨拶をしておきたかった、というのもあるけれども」

 壁に背中を預けていた茜は、トメのそばに座していた絃の対面に移動し腰を下ろした。その折り目正しい所作からは、確かに良家の出であることが感じられる。

(ど、どうしましょう)

 眠るトメを挟んで向かい合う形になり、絃は内心冷や汗をかく。
 もてなしの準備をするとお鈴は(くりや)に行ってしまったし、トメは変わらず目覚める気配がない。茜の見立てでは命に別状はないようだが、この状態のトメを前にしてのうのうと名家同士仲よくする──というのも違う気がした。
 それでも最低限は、となんとか自分を奮い立たせ、絃は茜に頭を垂れた。

「あの、こんな状況ではありますが……わたし、月代絃と申します。このたび、冷泉家に嫁いでくることになりました。よろしくお願いいたします」

「ああ、こちらこそ。しかし、絃さんは本当に弓坊にそっくりだな。さきほどもひと目見た瞬間、すぐに弓坊の妹さんだとわかったよ」

「ゆ、弓坊……?」

 十中八九、兄のことだろうが、瞬時に結びつかず絃はぽかんとしてしまった。
 すると「しまった」と苦笑した茜は、おどけるように肩を竦める。

「内緒にしていてくれ。昔の名残でついそう呼ぶと、毎回殺されそうになるから」

「昔の名残、ですか……?」

「名残というか、もはや癖かもしれない。私は今年二十八になるんだが、次期当主組では年長だろう? だから昔は、親しみを込めて周囲を坊と呼んでいたんだ」

 二十八、ということは士琉よりも二つ上。絃とは十歳差だ。絃も成人した身ではあるが、彼女からしてみたらまだまだ〝お嬢さん〟なのかもしれない。

(……こんな素敵な方がそばにいるのに、わたしなんかが士琉さまの妻だなんて)

 圧倒的な差を見せつけられ、ますます身をもがれるような心地になる。

「……氣仙さまは、格好いいですね」

「うん?」