もし本当にそう言っていたのだとしても、きっと彼なりの気遣いだろう。
仮にも絃は、妻になる相手だから。
(政略結婚だもの。それを肝に銘じておかなくちゃ)
たとえ釣り合わなくとも、相応しくなくとも、月代の娘という存在自体に〝利〟があるのなら、士琉の言う通りそばにいるだけで十分だ。
むしろ、それ以上は望まないと暗に伝えてくれていたのかもしれない。
ちゃんとわかっている。
期待なんてしていない。最初から。
なのにどうして、こんなにも胸が痛むのだろう。
どうしてこんなにも、心が哀しくざわついてしまうのだろう……──。
◇
トメを私室の褥に寝かせたあと、絃たちは茜に経緯を話した。
経緯といっても『トメの帰りを待っていたら大きな音が聞こえて、駆けつけたらトメが倒れていた』というくらいだ。
問題は、むしろそのあとだろう。
「妖魔らしきものが、トメさんの陰から現れて逃げていった、ねえ」
話を聞き終えた茜は、思案するように顎へ指を添えた。
「なるほど……。例のアレか」
「な、なにかご存じなのですか?」
「いや、うちの管轄ではないから、詳細はわからないのだけどね。──まあ、それはさておき、お嬢さん方が無事でなによりだ」
双眸を眇め、茜はなにかを確認するように天井を見上げる。
「結界のなかならまだしも、外ではなんの意味も成さないからな……。下手したら三人纏めて襲われていた可能性もある。そうなったら最悪だった」
「そうですね……。あの、氣仙さまはどうしてこちらに?」
「ああ、私は今日、半休でな。時間ができたから、結界の具合を見るために立ち寄ったんだ。月代のお嬢さんに挨拶をしておきたかった、というのもあるけれども」
壁に背中を預けていた茜は、トメのそばに座していた絃の対面に移動し腰を下ろした。その折り目正しい所作からは、確かに良家の出であることが感じられる。
(ど、どうしましょう)
眠るトメを挟んで向かい合う形になり、絃は内心冷や汗をかく。
もてなしの準備をするとお鈴は厨に行ってしまったし、トメは変わらず目覚める気配がない。茜の見立てでは命に別状はないようだが、この状態のトメを前にしてのうのうと名家同士仲よくする──というのも違う気がした。
それでも最低限は、となんとか自分を奮い立たせ、絃は茜に頭を垂れた。
「あの、こんな状況ではありますが……わたし、月代絃と申します。このたび、冷泉家に嫁いでくることになりました。よろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ。しかし、絃さんは本当に弓坊にそっくりだな。さきほどもひと目見た瞬間、すぐに弓坊の妹さんだとわかったよ」
「ゆ、弓坊……?」
十中八九、兄のことだろうが、瞬時に結びつかず絃はぽかんとしてしまった。
すると「しまった」と苦笑した茜は、おどけるように肩を竦める。
「内緒にしていてくれ。昔の名残でついそう呼ぶと、毎回殺されそうになるから」
「昔の名残、ですか……?」
「名残というか、もはや癖かもしれない。私は今年二十八になるんだが、次期当主組では年長だろう? だから昔は、親しみを込めて周囲を坊と呼んでいたんだ」
二十八、ということは士琉よりも二つ上。絃とは十歳差だ。絃も成人した身ではあるが、彼女からしてみたらまだまだ〝お嬢さん〟なのかもしれない。
(……こんな素敵な方がそばにいるのに、わたしなんかが士琉さまの妻だなんて)
圧倒的な差を見せつけられ、ますます身をもがれるような心地になる。
「……氣仙さまは、格好いいですね」
「うん?」