人との関わりを受け入れて、生きていく覚悟を決めた。
そんな絃にとって、この仕様の結界はまさに最適とも言えるものだった。
「この結界は、どなたが……?」
「氣仙の次期当主だ」
「氣仙……結界術の家系ですね」
「ああ、個人的に少々縁があってな。結界術に関しては氣仙の上に出る者はいないから、頼んで施してもらったんだ」
五大名家の一端──氣仙家は、古より結界術に精通する家系として有名だ。
月代家が祓魔師の家系であるように、継叉の名家でありながら真価を異なる部分に持つ家系なのである。
そして記憶が正しければ、確か氣仙家は女系で一族の八割が女性であったはず。次期当主も女性で、ちょうど士琉と近い年頃の女性ではなかっただろうか。
(あれ……?)
そこまで考えたとき、なぜか一瞬、胸の奥がちりっとした。
まるで静電気が走ったかのような微かな痛み。同時に形容しがたい靄つきが喉の奥にべたりと貼りつく。初めて感じる不快さに、絃は戸惑いながら眦を下げる。
「なにかしら、これ」
「お嬢さま? どうされました?」
「あ、ううん。なんでもないの。大丈夫よ」
思いがけず、心の声が勝手に口から零れ落ちてしまっていたらしい。そのことに自分で驚きながら、絃は慌てて感じた違和を振り払った。
そう、気のせいだ。
妙な痛みはすぐに引いたし、この靄つきも長く駕籠に揺られていたせいだろう。あるいは、慣れない場所にまだ身体が緊張しているのかもしれない。
「日も暮れ始めたから、だいぶ冷えてきたな。遠慮せず、なかへ入ってくれ」
立ち止まっていた絃の手を取り、士琉は自ら玄関扉を開けた。
広々とした土間だ。白の沓脱石に、長式台と上がり框。取次から先は、そのまま長い廊下に繋がっている。脇に垂れた花鳥の掛け軸が空間の清廉さを底上げしているが、そのすぐそばにはまたも護符が貼られていた。
(うう、ありがたいのだけれど……。なにかしら、この複雑な気持ち)
三和土で草履を脱ぎ、おずおずと板の間へ上がる。
邪魔にならない位置へ草履を揃えようと身を屈めたところで、廊下の奥から小柄な女性がしずしずと歩いてきた。
七十代くらいだろうか。背筋はぴんと伸びているが、独特な威圧感がある。
急いで草履を揃えると、絃は背筋を正して彼女に向き直った。
「士琉坊っちゃま、お帰りなさいませ」
「ああ、トメか。ただいま戻った……が、坊っちゃまという呼び方はよせといつも言っているだろう? 俺はもう二十六だ」
「あらま、わたくしは坊っちゃまがこぉんなに幼い頃からお世話しているんですよ? 今さら呼び名を変えろと言われても無理がございます。──と、わたくしもいつも答えているではありませんか。ちなみにわたくしはもう七十三になりますけどね」
早口なうえ、ずいぶんと口が達者なご婦人だ。
絃が思わず目を丸くしていると、彼女は絃と士琉が繋いでいた手をたっぷり数秒ほど凝視したあとに絃の方を向いた。
しかしその面差しは、まるで検分するかのようにずいぶんと鋭利だ。
「月代絃さまでございますね」
「は、はい」
声が震えそうになるけれど、なんとか自分を奮い立たせる。
「申し遅れました。月代家現当主の妹、絃でございます。本日よりこちらでお世話になります。どうぞ、よろしくお願いいたします」
絃は最大限の敬意を込めて、深々と頭を下げた。本来は膝をつくべきなのだろうが、士琉が繋いだ手を離してくれそうになかったので、致し方なくそのままだ。