「あれ、たぶん、桂樹さまの身体が限界なんだ」

 ふらりと立ち上がりながら、燈矢は様子のおかしい桂樹を()めつける。
 絃は燈矢を支えつつ、困惑しながら桂樹を見遣った。

「本当なら継叉の力を使っていい状態じゃないのに、憑魔が無理やり引き出したから、身体が悲鳴を上げてるんだよ。これ以上力を使えば、そもそも〝器〟として成り立たなくなるし、桂樹さまのなかにいる憑魔も苦しんでるんだ」

「燈矢、そんなことまでわかるの?」

「なんとなくね」

 桂樹はしばらく揺れていたが、やがて片輪車を出そうとするのをやめた。諦めたのかと思いきや、ふらふらと室内を歩き、地面に転がっていた刀を拾い上げる。
 それが床の間に飾られていた刀だと絃が気づいたときには、士琉は乱雑に抜刀しており、なぜかこちらを向いた。
 士琉ではなく、絃の方を。

「え……っ」

 だが、桂樹と絃のあいだに、すかさず士琉が立ちはだかった。かちゃりと鯉口を切りながら、士琉は嘆息してやれやれと言わんばかりに首を振る。

「父上がふたたび刀を取るところを、このような形で見たくはなかったな」

「士琉さま」

「病を患ってからは手合わせもできなかったんだ。きっともう二度と刀を打ち合わせることもないと思っていたのに、まこと人生というものはなにが起こるかわかったものじゃない。だからこそ、希望も絶望も容易く生まれるのだろうが」

 濡れそぼった髪を乱雑にかき上げながら、士琉は哀愁(あいしゅう)漂う表情で言を紡ぐ。

「しかし、あまり嬉しくはない状況だな」

 士琉もまた抜刀した、その直後。
 室内に刀と刀がぶつかるけたたましい金属音が響き渡った。
 絶え間のない斬撃(ざんげき)。間合いはほぼない。士琉は受けるばかりだが、桂樹はいっさいの躊躇いなく一刀を放ち、確実に急所を狙いにきているようだった。

「……桂樹さまは、もともと継叉特務隊にいた方なんだよ。操られてるとはいえ、身体がそもそも戦い慣れてるんだ。そうじゃなきゃ、あんな動きはできない」

 確かに、病に冒された体とは思えない動きだ。
 相手を仕留めるために繰り出される一刀に迷いはない。その刀捌きは、素人の絃から見ても熟練されたものだとわかった。

 だけれど、はたしてこんなことがあっていいのかと絃は泣きたくなる。
 なにせこれは、手合わせではない。
 本気で殺すため、殺されないために彼らは刀を打ち合わせている。
 士琉には余裕が垣間見えるが、その瞳は形容しがたい哀しみに染まっていた。

(こんなのって……。あまりにも、ひどい)

 桂樹は大切にしているはずの息子に、なんの躊躇もなく刃を向けている。
 その殺気は本物だ。桂樹は、本気で士琉を殺そうとしている。
 お鈴から攻撃されたときを思い出して、絃はたまらない気持ちになった。
 もし元に戻ったとして、お鈴のように桂樹が今この光景を覚えていたら、優しい彼はきっと苦しむ。否、もしかすると今この瞬間も苦しんでいるかもしれない。
 たとえ血が繋がらずとも互いを大切に想い合う親子が、憑魔によって命と命の駆け引きをされている。
 あまりにも度し難いことだ。こんなこと、あってはならない。

(でも、きっと士琉さまは、その瞬間が来たら桂樹さまをお止めになる)

 己の信念に忠実な士琉のことだ。灯翆月華軍の軍士として必要なことならば、たとえ父親であっても使命は果たすだろう。
 取捨選択を、迷わないだろう。
 だがそれは、そうしたくてするわけではない。
 絃を、燈矢を護るため。民を護るため。月華を護るため。