「これって」
その時、半分忘れていた保健室での出来事が猛烈に思い起こされる。
『は、嘘でしょ!? その子吐いたの!?』
『こんなの洗えばいいから。それよりチカちゃん、職員室から岡ちゃん先生呼んできてくんない?』
それが完全に想起された途端、じわじわと体の温度が羞恥で熱くなっていった。
ありえない、なぜこんなことを忘れていたんだろう。
「わ、私、どうしよう……!」
「し、雫?」
ハンドルを握りかけていた母が、動揺した私を何事かと見つめている。
私はなんてことをしてしまったんだろう。
初めて会った人に向かって――吐いてしまうなんて!
綺麗な顔の子。
私の真新しい記憶と、母の言葉を擦り合わせる。
彷彿とよみがえったのは、目鼻立ちのいい男の人の顔だった。
翌日。天気予報専門アプリによると、今日は終日ともに晴れ。さらに朝から初夏並みの気温まで一気に上がるらしい。
家を出た私は、いつもより一時間も早く学校に到着していた。
グラウンドと体育館からは運動部員のかけ声、校舎からは吹奏楽部のチューニング音が飛んでくる。
校門から昇降口までの距離に生徒の姿はなくて、私はどこか新鮮な気持ちになりながら荷物を持ち直した。
左肩には通学用の鞄を掛け、右手には穴あけ紐通しの紙袋がある。袋の中身は、綺麗に折りたたまれたアイボリーのカーディガンが入っていた。