物心付いた時、私は母と二人きりだった。
寂しくなんてない。
優しい母と何不自由ない生活が出来ていたから。
保育園に通い、小学校に上がってからも家に帰れば母がいた。父親なんていなくても私達は楽しく暮らせていた。
「ねえ時雨、時雨はお父様に会いたい?」
最初に父親の話をされた時のことをよく覚えている。
絵本を読んでいた私を膝に乗せた母はそう声をかけた。
当時、父親の存在なんて気にもしてこなかった。
だから私にはその時言われた母からの問いがよく分からなかった。
「お父様?どうして?」
「ずーっとお母さんと二人だけだから。時雨に寂しい思いをさせていないかなって」
確かに母と二人だけだった。
でも父親の存在なんてなくとも自分には母がいてくれる。
「ううん。時雨ね、母上が一緒だからぜんぜん寂しくない!」
それだけで自分には十分だった。
「…そう、ならいいの」
「母上はお父様に会いたい?」
絵本を閉じて母を見上げた。
そんな私を母はニコリと微笑みかけると頭を撫でる。
「そうね。もし会えるのならね」
幼児の頭では上手く理解しきれない。
だが父を思い、どこか酷く恋しそうにする姿は嫌でも伝わってきたのだ。
「…母上はお父様が好き?」
「ふふ、そうかもね」
その瞬間、母上から何かとても嫌な気配を感じ取った。
もしかしたら将来、父が母を奪いに来るのではないか。
見たことも会ったこともない。
そんな父という存在に当時の私は酷く恐れた。
「時雨、離れちゃ嫌!」
恐怖に狩られ抱きつく私に母は驚いた。
「時雨?どうしたの⁉」
怖い。
それがどうしてなのかは定かではなかった。
でも父と会ってしまったら母は居なくなってしまうかもしれない。
得体の知れない衝動が頭を一杯にさせていく。
私はとうとう泣き崩れてしまった。
「時雨、どうしたの?怖くない、怖くないわよ」
母はそう言ってトントンとあやすけれど私は泣き止まない。
「…母上、ないないしちゃ嫌」
「ないない?」
涙を溜めて必死に母に抱くつく。
母はそんな私に困惑の笑みを浮かべていたが、ふと何かを思いつめた顔をする。
「時雨…、もしかして何か見た?」
「んっ…え、何のこと?」
「…ううん、何でもないわ。時雨はお母さんが好き?」
「うん大好き!時雨ね、ずっと母上と一緒が良い」
母はそんな言葉に嬉しそうにしていた。
私の頭を撫でるとギュッと抱きしめてくれる。
「ふふ、お母さんも時雨が大好きよ。貴方は私の宝物なんだから」
「これからもずっと一緒がいい。時雨ね、母上と一緒がいい!」
「…」
「母上?」
突然、何も言わず抱きしめる手には力が籠った。
私は心配になると顔を上げた。
「大丈夫、時雨は必ずお母さんが守るから」
見れば母は泣いていた。
瞳からは涙を零して私を見つめている。
「きっと守るから。だからもう少しだけ…もう少しだけ我慢してね。その時になったらきっと会える」
「母上?」
「きっと大丈夫。きっとお母さんが会わせてあげるからね」
「…うん」
母が何を言いたいのかは分からなかった。
小さな脳では理解もできずに頷くしかなかった。
その時になったら会える。
それは一体誰のことだったの?
気がつくと、私は一人立っていた。
抱きしめ合う二人の親子を遠くに静かにその様子を眺めていた。
「(ねえ母上、、)」
声に出した言葉は聞こえない。
ああ、きっとこれは過去の世界なんだ。
なんだか酷く懐かしい。
…い、…ぐれ。
声が聞こえる。
誰?どこにいるの?
辺りは真っ白でここに居るのは私と……あ。
私の目線に映った人物。
目と目が合わさる。
彼女はまるで私が居るのを見えているかのように見つめてきた。
彼女の腕の中にはまだ幼い小さな幼子の姿。
こちらに背を向けている為か幼子の顔は見えない。
彼女は儚い表情で私を見つめていたが、やがて静かに微笑んだ。
「行きなさい。向こうで待っている人がいるわよ」
「え?」
その言葉と同時に強い突風が吹けば背景は崩れ消え始めていく。
「きゃあ!」
突風に巻き込まれると辺りが暗くなっていく。
「あ、待って!」
慌てて彼女を見れば微笑んだままその場を微動だにしない。
必死に彼女へと手を伸ばした。
やっと会えたのに!
伝えたいことも聞きたいことだってまだまだ沢山ある。
「母上!!」
今は亡き、貴方の名前を必死に叫ぶ。
駄目だ、もう意識が…。
「時雨」
「!」
その瞬間、辺りはシーンと静まり返りかえった。
音はなく、そこに居るのは私と彼女だけのような気がした。
「貴方ならきっと大丈夫。頑張っておいで」
「!!」
その言葉を最後に遂に辺りは崩れ落ちた。
意識がなくなっていく。
目を閉じる瀬戸際、最後に見えたものは私へ微笑み続ける母の姿だけだった。
寂しくなんてない。
優しい母と何不自由ない生活が出来ていたから。
保育園に通い、小学校に上がってからも家に帰れば母がいた。父親なんていなくても私達は楽しく暮らせていた。
「ねえ時雨、時雨はお父様に会いたい?」
最初に父親の話をされた時のことをよく覚えている。
絵本を読んでいた私を膝に乗せた母はそう声をかけた。
当時、父親の存在なんて気にもしてこなかった。
だから私にはその時言われた母からの問いがよく分からなかった。
「お父様?どうして?」
「ずーっとお母さんと二人だけだから。時雨に寂しい思いをさせていないかなって」
確かに母と二人だけだった。
でも父親の存在なんてなくとも自分には母がいてくれる。
「ううん。時雨ね、母上が一緒だからぜんぜん寂しくない!」
それだけで自分には十分だった。
「…そう、ならいいの」
「母上はお父様に会いたい?」
絵本を閉じて母を見上げた。
そんな私を母はニコリと微笑みかけると頭を撫でる。
「そうね。もし会えるのならね」
幼児の頭では上手く理解しきれない。
だが父を思い、どこか酷く恋しそうにする姿は嫌でも伝わってきたのだ。
「…母上はお父様が好き?」
「ふふ、そうかもね」
その瞬間、母上から何かとても嫌な気配を感じ取った。
もしかしたら将来、父が母を奪いに来るのではないか。
見たことも会ったこともない。
そんな父という存在に当時の私は酷く恐れた。
「時雨、離れちゃ嫌!」
恐怖に狩られ抱きつく私に母は驚いた。
「時雨?どうしたの⁉」
怖い。
それがどうしてなのかは定かではなかった。
でも父と会ってしまったら母は居なくなってしまうかもしれない。
得体の知れない衝動が頭を一杯にさせていく。
私はとうとう泣き崩れてしまった。
「時雨、どうしたの?怖くない、怖くないわよ」
母はそう言ってトントンとあやすけれど私は泣き止まない。
「…母上、ないないしちゃ嫌」
「ないない?」
涙を溜めて必死に母に抱くつく。
母はそんな私に困惑の笑みを浮かべていたが、ふと何かを思いつめた顔をする。
「時雨…、もしかして何か見た?」
「んっ…え、何のこと?」
「…ううん、何でもないわ。時雨はお母さんが好き?」
「うん大好き!時雨ね、ずっと母上と一緒が良い」
母はそんな言葉に嬉しそうにしていた。
私の頭を撫でるとギュッと抱きしめてくれる。
「ふふ、お母さんも時雨が大好きよ。貴方は私の宝物なんだから」
「これからもずっと一緒がいい。時雨ね、母上と一緒がいい!」
「…」
「母上?」
突然、何も言わず抱きしめる手には力が籠った。
私は心配になると顔を上げた。
「大丈夫、時雨は必ずお母さんが守るから」
見れば母は泣いていた。
瞳からは涙を零して私を見つめている。
「きっと守るから。だからもう少しだけ…もう少しだけ我慢してね。その時になったらきっと会える」
「母上?」
「きっと大丈夫。きっとお母さんが会わせてあげるからね」
「…うん」
母が何を言いたいのかは分からなかった。
小さな脳では理解もできずに頷くしかなかった。
その時になったら会える。
それは一体誰のことだったの?
気がつくと、私は一人立っていた。
抱きしめ合う二人の親子を遠くに静かにその様子を眺めていた。
「(ねえ母上、、)」
声に出した言葉は聞こえない。
ああ、きっとこれは過去の世界なんだ。
なんだか酷く懐かしい。
…い、…ぐれ。
声が聞こえる。
誰?どこにいるの?
辺りは真っ白でここに居るのは私と……あ。
私の目線に映った人物。
目と目が合わさる。
彼女はまるで私が居るのを見えているかのように見つめてきた。
彼女の腕の中にはまだ幼い小さな幼子の姿。
こちらに背を向けている為か幼子の顔は見えない。
彼女は儚い表情で私を見つめていたが、やがて静かに微笑んだ。
「行きなさい。向こうで待っている人がいるわよ」
「え?」
その言葉と同時に強い突風が吹けば背景は崩れ消え始めていく。
「きゃあ!」
突風に巻き込まれると辺りが暗くなっていく。
「あ、待って!」
慌てて彼女を見れば微笑んだままその場を微動だにしない。
必死に彼女へと手を伸ばした。
やっと会えたのに!
伝えたいことも聞きたいことだってまだまだ沢山ある。
「母上!!」
今は亡き、貴方の名前を必死に叫ぶ。
駄目だ、もう意識が…。
「時雨」
「!」
その瞬間、辺りはシーンと静まり返りかえった。
音はなく、そこに居るのは私と彼女だけのような気がした。
「貴方ならきっと大丈夫。頑張っておいで」
「!!」
その言葉を最後に遂に辺りは崩れ落ちた。
意識がなくなっていく。
目を閉じる瀬戸際、最後に見えたものは私へ微笑み続ける母の姿だけだった。