「ここは新鮮な魚介を多く扱った懐石料理が味わえる鬼頭家御用達の店だ。懐石料理は食ったことあるか?」
「いえ、ありません」
懐石料理!
一度は食べてみたいと思ってはいたが叶えられずにいた願いだったから食べれて嬉しい。
久野家では基本、父達が食べた残り物を後で使用人の方達といただいていた。
贅沢なことは何一つとしてやってこなかった。
何ならやる気にもなれなかった。
生きていくための必要最低限な教養と知識せえ身につけていれば何とかなると思っていたから。
そう…今までは。
溶媒と溶質を混合させて完成した。
後には何も残らないただの溶液のみが形成されたように。そう考えれば過去の私は生きる上でも必要最低限の約束がされた一般側の領域であれた筈だ。
異能も突出した才能もない。
でも努力次第で上にも下にもなれるシンプルに組まれた人生。
一般人が送る。
一般家庭での日常生活。
そこは比較的平和で普通に生活していれば、至って安全に他者と混じり合い暮らしていける。
でも術家に生まれた人間は違う。
居場所、存在意義、才能、能力、容姿。
その全てにおいて引けをとることを許されない。
言わば求められるのは完璧な存在。
そうでなければ生きることさえままならない。
何もしなくとも常に死と隣り合わせの世界だ。
術家の持つ異能は国を守り、隠世との中立を保つ上で国が秘匿した裏の最高峰。
実力主義だけで構成された完璧が集う異端の卓越者達。そんな完璧な存在の中で劣る存在。
即ち無能。
即ちそれが私だった。
久野家相伝の封力を持たず実力にも恵まれない。
溶液中に僅かに溶け残った飽和状態での空間。
ポツンと一人取り残された物質こそが私だ。
現世を全体集合と考えれば、その内の一般と術家を部分集合とする。
ならば自分が存在できる立ち位置はどちらにも属さない空集合。
過去も今も。
私の存在が部分集合に属すことはないし出来ない。
だから私は、私が時々凄く恐ろしく怖く感じる。
一般家庭に生まれていたら。
少しは溶液中に溶けきれた溶質であれたのかなって。
部分集合に入れたのかなって。
少しくらいはそんな希望も持てていたかもしれないのに。
なのに私が生まれた世界は…。
ああ悔しい。
どうしようもなく悔しい。
頑張ろうって決めたのに。 
だからこそ自分らしく、納得のいく生き方をしてやるって決めたんじゃなかったの?
上手くいかない現状に手には強い力が込められていく。
「焦んな」
その声にハッと顔を上げる。
自分を見つめるその瞳はとても真っ直ぐで。
何者にも染まらない美しい瞳をしていた。
「ここで生きる。そうお前はお前自身の意志で決めたんだ。過去を忘れろとは言わねぇ。だが噓偽りのない気持ちがあの日、お前の中にあったというのなら。それは少なからず過去のお前がいてくれたお陰だろ?」
「…白夜様。私は!」
「いい。言うな、分かってる。…お前、異能がねぇんだろ?」