さすがにもう喋らないか。と今更寂しくなるのと同時に、放られた呑気な欠伸に思わず笑みが溢れた。一通りの職務が終わったので、いまは休息中といったところだろうか。
「ざらめ、遠山さんに懐いたね」
永島さんは、スカートを床につけたまま私たちの方に来る。「汚れちゃうよ」と言っても「へーきへーき」と答える彼女は、相変わらずのガサツっぷりだ。
それに「懐いた」なんて言ったら『ふん、人になぞ懐かん』とまた悪態が返ってきそうだから、止めておいた方がいい。
私はもう聞こえるはずのない声を勝手に再生して、憎たらしいその頬を軽く撫でた。相も変わらず、タプンとしている。
「って、ざらめと戯れてる場合じゃなかったんだ、私」
「え?」
急に立ち上がって、スカートを大雑把に払う永島さん。私は彼女を見上げて首を傾げた。
「前夜祭の件、さすがに不満が多すぎるから、後夜祭をやることになったんだけどさ——」
彼女はせっかく綺麗な黒髪を、後ろでくしゃくしゃと乱す。余裕の無さそうな姿に、私は現代の“学園祭前日”に起こっていた事を思い起こした。
「後夜祭……ってことは、二日目の夜に花火をやるってこと?」
「二日目の夜はそう。でも、花火は出来ない」
「それは、確かに……そうだよね」
十年前の火事以降、ようやく再開の目処がたった前夜祭の花火は、事故の真相をよく知る地域住民の反対をもって中止——そのセンシティブな理由をもってすれば、日を変えて花火をするという案は確かに無謀だ。
その後も話を訊けば、彼女は急遽決まった後夜祭の催しに、頭を悩ませているということだった。
「今から用意出来るものって言ったら……、ダンス部に協力依頼して、体育館で踊ってもらうとか、吹奏楽部に依頼して……ああ、でも、それじゃあ開会式と同じだし……」
永島さんは一人で唸りながら、ざらめと私の周りをぐるぐる回っている。生徒会長の右腕で、学年ではトップの成績を誇る彼女が悩んでいる姿を見て、私の頬は無意識に緩んでいた。
「ちょっとー、なに笑ってるの遠山さん」
口を尖らせた美人がそれをすぐさま指摘する。私は目を泳がせて必死に言い訳を考えたけど、
「いや、あの……なんか、親近感が沸いてしまって」
と、結局本音を滑らせていた。どうも、アンレコードに渡ってから素直に吐く癖が出来てしまったらしい。
さすがに烏滸がましかった……?そう心配して視線を持ち上げると、彼女は「ぷっ」と吹き出した。
「なに、それ」
「え?」
「変なこと言ってないで、考えてよ!一緒に」
油断していると、彼女の細い腕が脇のあたりに入り込んで、ひょいっと強引に立たされる。「へっ?!」と情けない声をあげながら、私はライブのときに一番前へ連れ出した彼女の叔母の強引さを思い出していた。
「……そうだ、ライブ……」
腕を絡められたまま呟くと、彼女は「なに?」と覗き込む。
「ライブは?」
「ライブ?」
「いや、正確にはカラオケライブ。楽器は現実的じゃないけど、オケ音源かき集めてさ、歌いたい人にエントリーしてもらったら出来るんじゃないかな」
瞬間、色素の薄い綺麗な瞳が丸くなって、しかしすぐに勢いを落とす。永島さんは腕を解放して、再び唸った。
「いや……確かにいい案だよ。絶対楽しそう。盛り上がるし、誰でも参加できるし……でも、そんな機材なんて——」
「あるよ」
「……え?」
言い切った私に、彼女は再び目を丸くする。
あれから十年後の浅羽高校に、軽音部は存命していない。……でも、かつてあった軽音部の機材は残っているはず。きっと、どこかにあるはずだ。
「私、頼れそうな先生知ってる。……永島さんも、信頼してる先生」
多目的教室を飛び出した私たちは、廊下を同じ温度で駆け抜けた。十年前、私をステージの上へ導いたあの人の元へ走っていた。