——魔女の家系に生まれ、「千年に一度の逸材」と評される優秀な魔女を母に持った十四才の少女・レイニー。彼女は十五才の“独り立ち”に向けて鍛練を重ねるが、自分の魔法を生み出せず、母親や姉妹たちから冷遇を受けていた。
 そんなレイニーが唯一心を許していたのは、パン屋の息子・サン。彼は自分の焼いたパンを美味しそうに食べる彼女に密かに恋心を抱いていた。
 しかし、悩めるレイニーは
「”魔法が使えなくてもレイニーはレイニーだ”」
 と言うサンの反対を押し切って、力ずくで魔法を身に付けようと『怪しい薬』に手をつけてしまう。それは「人以外のどんなモノや動物にも変身できる魔法が身に付く」劇薬だったが、レイニーは魔法を使う度に母親や姉妹に認められ、必要以上に服用してしまうようになった。
 そして、変身魔法を使って鼠に化けたある日のこと。
「“私って、どんな姿をしていたっけ”」
 レイニーは自分の姿を見失い、もとの姿に戻れなくなってしまったのである——……


 昨晩、透子が書いた『レイニー』を読んでいた私は途中で台本を閉じた。
 もし自分がレイニーだったら、“自分だけの才能(まほう)” が手に入る劇薬を飲んでしまうだろうと思った。彼女に自分を投影すればするほど胸が苦しくなって、物語の結末に向かうことが怖かったんだ。

「は……、タカナシが逃げた?」
「うん。一公演目で台詞が飛んじゃったみたいで、それで二公演目は無理だって……。羽純たちも探してるんだけど、まだ見つからないみたい」

 早足で『レイニー』を公演している二年一組の教室へ向かいながら、綾崎くんに事のあらましを説明する。主演女優・タカナシ ミユウの逃亡劇に、彼は大きくため息を吐いた。

「あいつ、一番乗り気だったじゃねぇかよ」

 タカナシ ミユウは『レイニー』を心底気に入っていて、主演には自ら立候補したらしい。
 台本に書かれていた綾崎くんの担当は “音響(二日目)” だったけど、練習時にはキャスト陣との音源イメージの擦り合わせに苦労したそうで、

「脚本を書いた宮城よりも拘り強かったからな、あいつ。効果音にもすげぇうるさかった」

と思い出しながら言う。彼は、タカナシ ミユウの熱量を存分に浴びていた。
 ちなみに、一日目の今日はバンドのライブがあるため、音響は綾崎くんではなく別のクラスメートが担当している。にも関わらず、羽純からの呼び出しに付いてきてくれるのは「いいよ。どうせ暇だから」らしいけれど、きっと本心ではクラスのことを心配しているのだろう。証拠に、彼の歩くスピードは私よりも急いている。

「好きだから。ちゃんと演じたいからこそ、自分を追い詰めてるのかもしれない」
「タカナシが、か?」
「うん。……なんか、ちょっと分かる気がする」

 人通りの多い廊下を縫うように歩きながら言うと、綾崎くんは少しペースを緩めてこちらを振り向く。私はそのパーカーに浮かぶ傘のシンボルマークを見据えながら、唇を割った。

「自分が思い描いていた理想に近づけなくて、自分のことが嫌になる……そういう気持ちが、」

 個性溢れる自分の像を描きながら、しかし到底近づけない高い壁。平凡で、中途半端な自分自身の影が聳えて邪魔をする。

「レイニーもきっと同じ。自分にしか生み出せない魔法があると信じて、でも上手くいかなくて、自分に失望して……。もし本当に劇薬があるのなら、私だって——」

 言いながら視線を持ち上げた直後、綾崎くんの背中が人混みに紛れていく。いや、直後ではなかったのかもしれない。もっと早くから彼の足は遠退いていて、とっくに置いて行かれてしまったのかもしれない。