「要するに、私が沙藩の元正妃だから、玉榮も私の後宮入りに賛成したんだな」

 それだけは、華月と玉榮の利害が一致したのだろう。

「賛成というより、黙認……ですかね。沙藩との関係が微妙なのは事実。貴方の扱い方は揉めました。でも、会った時、貴方の格好や言葉遣い、諸々を見て、あいつは貴方を使えないと見下し、処遇を私に一任したのです。私としては逆に幸運でしたけど」

 華月が唇を噛みしめていた。
 紅琳が莫迦にされているだけなのに、なぜ華月が腹を立てているのだろう。
 皇帝と面会できないことに怒って、傍若無人に振る舞っていたのだから、紅琳にも問題があったのだ。

「構わないよ。誰だって、一国の公主、妃が貧相な格好で、後宮の池で魚釣りしたり、木登りしたり、食べられる草を探して歩いていたりしたら、怖いよな。そんなんだから、離縁されるんだって、陰口叩かれても仕方ない」
「えっ? 貴方、食べられる草を探していたんですか。いいな。一緒に、探したかったですね」

 さすが、紅琳の「友」だ。
 そんなところに、興味津々らしい。

「一緒は、不味いかな」
「ええ。分かっていますよ。今のように、命を狙われている身では、貴方の足手纏いになってしまうでしょう」
「いや、そういう意味じゃなくて」

 皇帝と食用の草探ししていたなんて、醜聞どころの騒ぎではない。
 ――けど、華月は自分の身の上を、恨んでいる。
 諦念と虚無が入り混じった華月の表情に、紅琳は思わず手を伸ばしかけて、やめた。

(……華月が女なら、抱きしめてたのに)

 ――が。その時だった。
 まるで、その考えを実行するか如く、馬車が大きく傾いた。

「うわっ!?」
「紅琳!」

 差し出された手に縋って、紅琳は華月の胸の中におもいっきり飛び込んでしまった。
 柔らかくて、花の香りがする。
 ……ではなくて。

「悪い。油断した」
「いえ」
「車輪がぬかるみにでも、はまったのか?」
「でも、もう動き出しましたね」

 紅琳は会話をしながら、そっと離れたが、華月は名残惜しそうに自分の手を眺めていた。

「どうした、華月?」
「ああ、意外に豊満だなって」
「はっ?」

 しかし、華月は夢見心地の虚ろな目で、謎のことを呟き始めたのだった。

「紅琳。あの……。私は、貴方のことは、しっかり責任を取るつもりでいるんです。出来る限りのことをするつもりでいます」
「どうしたんだ? 急に改まって」
「騙まし討ちのような真似をしてしまいましたが、貴方は私の妃。私は貴方のことが好きで……。つまり、私には貴方しかいないのです」
「遠回しに言われても、私には分からないよ?」

 ――好き?
 それは、身内に対する「好き」ではないのか?

「では、直截に話します。紅琳。先日も話した通り、現状、私の子を生めるのは、貴方しかいない。私には他に兄弟もいましたが、皆、夭逝してしまった。私の命も危うい今、玉榮の呪術を破る方法を探すのも必要ですが、私の子孫を絶やさないことも重要なのです。私には決して玉榮に与せず、私の体を理解して寄り添い、子を生み育ててくれる妃が必要なのです」
「うん、まあ、相変わらず回りくどいけど、筋は通っているか」

 勢いに流され、頷いてしまった紅琳だが……。

(ちょっと、待て?)

 何だか上手く、丸め込まれているような気がするのだが……。

「しかし……な、華月。私達は親族で、友だ」
「ええ。親戚であり、友であり、夫婦でもある。最高ですよね?」
「友と夫婦は、だいぶ違うぞ」

 ずいっと、華月が身を乗り出してきたので、紅琳も思わず腰を浮かせてしまった。

「酷いな。先日、私の唇を断りもなく奪ったくせに。こういう時は逃げるんですか?」
「あの時は、緊急事態で、仕方なく……だ」
「私、初めてだったんですよ。責任取って下さいよ」
「あんなの数に入れるな。なかったことにすればいい」
「覚えていないから、もう一回したいんです。まったく、沙藩王には泰楽帝の命令で嫁いだのに、私の妃になることは出来ないんですか? 紅琳は、そんなに私のことが嫌いなんですか?」

 ここで、潤んだ上目遣いのまま、紅琳の両手を握りしめないで欲しかった。

(可愛い娘に、そんなことを訴えられてもな)

 紅琳は、懸命に華月から視線を逸らすしかなかった。

「沙藩には十年近くいても、子が出来なかったんだ。あんたとだって出来るはずがない」
「試してみる価値はあると思いますけど?」
「いや。あんたは、切羽詰っているのかもしれないが、私なんざと、頑張って子を成そうなんて、究極の選択をしなくても良いんだ。それに後継なら、男女的なことをしなくても、出来る術があるかもしれない。知恵を絞れば、必ず。……な?」
「つまり、紅琳は私に男女的なことをしないまま、一生を終えろということですか?」
「何、言って……」

 ――要は、それが華月の本音なのだ。

「健全な十八歳の男が、女人に触れることが出来ないのですよ。自分の身体を触っていたって、しょせんは自分ではないですか」
「それはそうだけど」
「正直、自分が女でいるせいで、白粉の香りも、あざとい色気も嫌いな私ですが、男としての欲はあります。このまま女人と睦み合うことも出来ずに、玉榮に殺されてしまうなんて、あんまりです。私、死んでも、死にきれません」
「いや、まあ、そうだな。生々しいけど、あんたの言い分は分かった。……けどな」
「失礼します。紅琳さま!」
「……李耶?」

 慌てた様子で、馬車の扉を開け放ったのは李耶だった。
 彼女は何事かを告げようとしたようだが、直ぐに、紅琳と華月の固く握られた両手を発見してしまい……。

「あら」

 目を輝かせながら、硬直した。

「誤解だ」

 紅琳は、華月の手を乱暴に振り払った。
 李耶は意味深に笑っている。
 絶対、永遠に揶揄されるやつだ。

「ふふっ。紅琳様ったら、隠さずとも良いのに。ですが、女人同士のあれやこれに目覚められたのなら、私に一言、仰って下されば」
「あのな、李耶」
「そうよ。邪魔なんてしませんから、どうぞ、ご存分になさって下さいな。紅琳ちゃん」
「えっ?」

 李耶の背後から届いた声に、紅琳は目を見張った。
 完全に低音の男の声なのに、ねっとりとした女口調。

 ――間違いない。
 紅琳の癖のある「友」、建 朔樹(さくじゅ)が李耶と並んで、不気味な微笑を浮かべていた。