◇◇
――いっそ、逃げてしまえば?
紅琳一人だったら、逃げ切れる自信があった。
とことん、逃げて、何処か遠い処で、絵を描いて生きていく。
実際、皇帝から死罪と命じられたら、実行するつもりでいた。
紅琳は、李耶を始め、少ないながらも侍女を抱えてはいるが、彼女達に危害が及ばないよう、手は打っていたのだ。
(だけど……)
華月は紅琳の友人だ。
まさか、男で皇帝だったなんて、未だに驚いているし、本性が変態っぽいところも、困りものだが、彼を見捨てて、逃亡するのは、後味が悪過ぎる。
(……どうしたものか)
本当は……。
華月が紅琳に触れても、彼が女身化しない理由を、知っていた。
だけど、それが何だと言うのか?
(私の体質だけでは、華月の解呪は無理だ)
だったら、告げる必要もない。
華月は今に至るまで、躍起になって呪術者に解呪法を聞いて回っていたらしく、須弥の集落にも尋ねたと話していた。
須弥の長老に尋ねても、無駄だったとなると……。
「あの男しか……」
――心当たりの人物が、一人いた。
正直、今も王都に住んでいるか分からないが、訪ねてみる価値はあるかもしれない。
――翌朝。
有無をも言わさない勢いで、紅琳は華月に市井の呪術者と連絡を取りたい……と
直訴すると、華月は半日だけという約束で、紅琳の願いを聞き届けた。
やけにあっさり了承したと思ったら、案の定……。
「……で? どうして、華月までついて来るんだ?」
狭い馬車で、ご機嫌麗しい女神、華月が、紅琳の隣にちょこんと座っていた。
「いけませんか?」
「いや、普通に考えて駄目だろう。身体だってまだ本調子じゃないだろうし、自分の立場、分かっているのか?」
「分かっていないのは、貴方ですよ。紅琳様が単独で後宮の外に出たら、罪になる。私は見張り役です」
「んー。まあ……いいけどさ。せめて、紅琳「様」はやめてくれないか。皇帝に「様」付けで呼ばれていると、寒気がする」
「それなら、こ、紅琳。宜しくお願いします」
「そこ、照れるところなのか?」
頬を赤らめている華月が純粋すぎて、紅琳は泣きたくなった。
(この国、心配だな)
李耶は志願して、御者を務めてくれているので、二人の会話は聞こえていないだろうが、多分耳にしていたら、一生、笑い話にされそうだ。
(ただでさえ、李耶には隠し事が多いのに……)
華月がやんごとない身の上の男性であること、呪いによって女身化してしまった事までは、李耶にも話したが、皇帝であることは、さすがに、蒼国人として話すことが出来なかった。
……紅琳だって、まだ信じきれてないのだ。
「一応、訊いておくけど、あんたの体をそんなふうにして、今、殺そうとしているのって?」
「玉榮ですよ。決まってるじゃないですか」
「……だよな」
まあ、そうなのではないかと思ってはいた。
現状、玉榮は皇帝よりも、権力を持っていると言われている宦官だ。
華月が正常な身体を取り戻して、政をするようになったら、一番困るのは、玉榮なのだ。
「証拠はありませんが、間違いありません。そんな身体で大変ですね……とか、解呪の方法探しますとか、同情だけ示してきますが、懐の深い臣を演じたいだけで、むしろ、大人になって厄介になってきた私を葬りたくて、仕方ないのです」
「怖い相手だな」
一度だけ玉榮に会った時、嗅いだ妙な香を思い出して、紅琳は吐き気を覚えた。
あれは、呪術者が纏う香だったのか?
「確か、泰楽帝時代からの宦官だったよな。あんたの父は、玉榮を更に出世させた」
「祖父様も、父も、あいつの色香に引っかかったんです。私にはさっぱり理解出来ませんけどね」
「色香……ね。まあ、玉榮が子供を授かることはないだろうから、それだけは救いか。手っ取り早く、玉榮を縛りあげて、術式を聞き出せば、解呪も可能だが、それが出来ないとなると……」
「いっそ、暗殺とか。私も考えたのですが、しかし、玉榮が死んでも解けない術だったら、私、おしまいですからね」
華月が仄暗く呟いた。
今までの彼の苦労が偲ばれる。
本来、何事もなければ、若く美しい一点の曇りもない外見。精力的に政務もこなしていただろうに……。
(不憫だな)
同情はしているが、現状、紅琳だけではどうにもできないのだ。
――いっそ、逃げてしまえば?
紅琳一人だったら、逃げ切れる自信があった。
とことん、逃げて、何処か遠い処で、絵を描いて生きていく。
実際、皇帝から死罪と命じられたら、実行するつもりでいた。
紅琳は、李耶を始め、少ないながらも侍女を抱えてはいるが、彼女達に危害が及ばないよう、手は打っていたのだ。
(だけど……)
華月は紅琳の友人だ。
まさか、男で皇帝だったなんて、未だに驚いているし、本性が変態っぽいところも、困りものだが、彼を見捨てて、逃亡するのは、後味が悪過ぎる。
(……どうしたものか)
本当は……。
華月が紅琳に触れても、彼が女身化しない理由を、知っていた。
だけど、それが何だと言うのか?
(私の体質だけでは、華月の解呪は無理だ)
だったら、告げる必要もない。
華月は今に至るまで、躍起になって呪術者に解呪法を聞いて回っていたらしく、須弥の集落にも尋ねたと話していた。
須弥の長老に尋ねても、無駄だったとなると……。
「あの男しか……」
――心当たりの人物が、一人いた。
正直、今も王都に住んでいるか分からないが、訪ねてみる価値はあるかもしれない。
――翌朝。
有無をも言わさない勢いで、紅琳は華月に市井の呪術者と連絡を取りたい……と
直訴すると、華月は半日だけという約束で、紅琳の願いを聞き届けた。
やけにあっさり了承したと思ったら、案の定……。
「……で? どうして、華月までついて来るんだ?」
狭い馬車で、ご機嫌麗しい女神、華月が、紅琳の隣にちょこんと座っていた。
「いけませんか?」
「いや、普通に考えて駄目だろう。身体だってまだ本調子じゃないだろうし、自分の立場、分かっているのか?」
「分かっていないのは、貴方ですよ。紅琳様が単独で後宮の外に出たら、罪になる。私は見張り役です」
「んー。まあ……いいけどさ。せめて、紅琳「様」はやめてくれないか。皇帝に「様」付けで呼ばれていると、寒気がする」
「それなら、こ、紅琳。宜しくお願いします」
「そこ、照れるところなのか?」
頬を赤らめている華月が純粋すぎて、紅琳は泣きたくなった。
(この国、心配だな)
李耶は志願して、御者を務めてくれているので、二人の会話は聞こえていないだろうが、多分耳にしていたら、一生、笑い話にされそうだ。
(ただでさえ、李耶には隠し事が多いのに……)
華月がやんごとない身の上の男性であること、呪いによって女身化してしまった事までは、李耶にも話したが、皇帝であることは、さすがに、蒼国人として話すことが出来なかった。
……紅琳だって、まだ信じきれてないのだ。
「一応、訊いておくけど、あんたの体をそんなふうにして、今、殺そうとしているのって?」
「玉榮ですよ。決まってるじゃないですか」
「……だよな」
まあ、そうなのではないかと思ってはいた。
現状、玉榮は皇帝よりも、権力を持っていると言われている宦官だ。
華月が正常な身体を取り戻して、政をするようになったら、一番困るのは、玉榮なのだ。
「証拠はありませんが、間違いありません。そんな身体で大変ですね……とか、解呪の方法探しますとか、同情だけ示してきますが、懐の深い臣を演じたいだけで、むしろ、大人になって厄介になってきた私を葬りたくて、仕方ないのです」
「怖い相手だな」
一度だけ玉榮に会った時、嗅いだ妙な香を思い出して、紅琳は吐き気を覚えた。
あれは、呪術者が纏う香だったのか?
「確か、泰楽帝時代からの宦官だったよな。あんたの父は、玉榮を更に出世させた」
「祖父様も、父も、あいつの色香に引っかかったんです。私にはさっぱり理解出来ませんけどね」
「色香……ね。まあ、玉榮が子供を授かることはないだろうから、それだけは救いか。手っ取り早く、玉榮を縛りあげて、術式を聞き出せば、解呪も可能だが、それが出来ないとなると……」
「いっそ、暗殺とか。私も考えたのですが、しかし、玉榮が死んでも解けない術だったら、私、おしまいですからね」
華月が仄暗く呟いた。
今までの彼の苦労が偲ばれる。
本来、何事もなければ、若く美しい一点の曇りもない外見。精力的に政務もこなしていただろうに……。
(不憫だな)
同情はしているが、現状、紅琳だけではどうにもできないのだ。