紅琳と華月、二人で息を潜め、玉榮を見守っていると……。
 突如、御簾の中に黒い靄のようなものが発生して、紅琳と華月の視界を奪った。
 外から視えないことを、逆手に取られたらしい。

「紅琳。これは?」
「平気だ」

 紅琳は片手で空気を横に切る。
 たったそれだけの所作で、今までの異変は消失し、元通りの世界が戻ってきた。

 ――術を無効化したのだ。

「何?」

 有り得ないことが起きている。
 玉榮が血相を変えていた。
 その姿がその場にいた者達には、奇異に映ったのだろう。
 玉榮の傍から、綺麗に人が離れていった。

「愚かだな。玉榮」

 頃合いと見計らった紅琳は、御簾を上げさせた。

「……紅琳?」

 玉榮がわなわなと震え始める。
 自分の妖術で、瀕死だったはずの紅琳が、元気に、この場にいるのだ。
 ――嵌められた……と。
 ここが断罪の場である事に、ようやく気づいたらしい。

「お前は人ではない。奉楽帝が道楽で、呼び出した妖。大昔に蒼国の皇帝の寵妃に化けて、国を転覆させようとした古狐だろう」

 華月がきっぱりと告げる。

「何を仰っているのやら?」

 玉榮は、あくまで白を切ろうとしていた。

(それで、逃げ果せるつもりか?)

 紅琳は鼻で笑った。

「白々しいな。お前は、私の侍女まで妖術で殺そうとしただろう?」
「侍女?」
「李耶だ。彼女は沙藩の王室の血を引いている」
「何故、そんな者がここに? 間者ではないか?」
「私が知っていたので、良いだろう?」

 華月が平然と認めると、玉榮は顔を引きつらせ、沈黙した。

「……で、彼女がお前に殺されかけたことを、沙藩王も知ってしまった。あちらの術師達が、お前の事を血眼で調べているよ」

 ――李耶を巻き込むということは、国家間の問題に持ちこむことが出来るということ。
 もっとも、術を仕掛けられていると分かった時は、李耶と手を取り、喜んでしまったのだが……。

「沙藩は蒼国より呪術が盛んで、妖の世界も多様だとか。近頃、彼の国とは上手くいっていなかったが、お前の件で力を合わせることが出来そうだな」
「……ですから、陛下。私がやった証拠は」
「お前は、己の血を使って暗殺をする。秘密を知った者は、後々始末していたそうだが、術者とて愚かではない。上手く逃げ果せた者もいる。証人はいくらでもいるんだ」
「下劣な公主が、ふざけたことを抜かすな!」

 逆毛を立てた玉榮の口元には凶暴な牙が光っていた。
 目の色が真紅に変化している。
 ……本体は、古狐。

(本当に、妖怪だったみたいだな)

 玉榮独特の匂いは、獣臭を隠す為だったらしい。

(……だけど)

 狐の妖術なら、紅琳には効かない。

 ――自分に向けられた「術」を無効にする力。

 華月が紅琳に触れても、女身化しなかった理由。
 紅琳の身体を媒介して「妖術」が、無効化されたからだ。

「お前の負けだ。玉榮。長く人に化けていたお前が、元の姿に戻ったところで、力を発揮できるはずがない。大体、私達が無策でお前と対峙するはずがないだろう。在野の術者達にも協力を仰いでいる」

 淡々と紅琳が言うと、激昂した玉榮は冠を投げ捨て、髪を振り乱して喚いた。

「はったりだ! 大体、離縁した妃に、沙藩王が協力などするはずがない! それに、慶果。お前の方が、我より、よほど!」
「ほう……。私が人ではないと申すか? 玉榮」

 華月は言うなり、紅琳を抱き寄せて、玉榮に見せつけるように、ぴたりとくっついた。

「私はこのように、妃一筋の普通の男だが?」

 分かっている。
 この芝居は、重要だ。
 華月は解呪したと見せかけて、優位な立場で、玉榮から解呪の方法を聞き出すつもりなのだ。分かっているけど……。

(やりすぎだろ?)

 まさか、頬擦りまでされるとは思ってもいなかった。
 紅琳の肩を強く抱きながら、華月は冷然と命じた。

「この化け物を、捕えよ」

 計画していた通り、朔樹特製の符を貼った武器を持った衛兵たちが、一斉に玉榮を囲んだ。
 朔樹の符は身動きを縛るものだ。待機している術師も大勢いるので、どう転んでも玉榮に逃げ場はない。
 奸計に長けた狐だけあって、即座にそこまで計算したのだろう。
 ややしてから抵抗を諦めた。
 
 ――玉榮は、あっけなく捕らえられた。

 意外な程、大人しく連行されていく玉榮の後ろ姿を見つめながら、華月はぽつりと呟いた。

「終わった?」
「ああ」
「……そう……か。終わったんですね。紅琳、貴方のおかげです。有難う」

 澱みのない、綺麗な瞳が紅琳を至近距離から覗きこんでいた。
 紅琳は華月を直視できず、そっぽを向いた。

「私は、何もしてないよ」

 偶然、母から継いだ「無能」が役立っただけだ。
 謎が多い能力だから、切り札にはしたくなかったけど。

(もしかしたら、この時の為に天から与えられたのかもしれないな)

 毅然と前を見据えた華月に対して、一斉に叩頭する百官の姿を見て、紅琳は満足げに微笑したのだった。