二
愛するとは何か。
蓮華は、ここしばらくそればかりを考えていた。
辞書を引いてみてもいまいち理解には及ばず、言葉ばかりが独り歩きしてしまった。読み書きの練習をしていると、蓮華の傍仕えをしているはな子が声をかけてくる。
「どうかなされましたか? ぼーっとして」
快活な雰囲気をもつはな子は、蓮華の二つ年上の妙齢の女だ。
はな子は家令の橘同様に、蓮華に対して嫌悪を向けなかった。待遇の何もかもが巴家と異なっていたため、はじめこそは戸惑っていたものの、蓮華はしだいに慣れていった。
「なんでもございません。申し訳……」
「あー! 駄目です駄目です! 謝らせるのは禁止って、お坊ちゃまに口酸っぱく言われているんですから!」
はな子は大きく身振り手振りをして、蓮華を制する。蓮華は文机の前でうつむいた。
「何か考えごとでも?」
「い、いえ」
「誤魔化しはききませんよ~? いつもすらすらと書いているのに、手が止まっているじゃないですか」
蓮華ははっとした。はな子のいう通り、読み書きの勉強がまったく進んでいない。
(聞いてもいいのかしら)
はな子は蓮華よりも二つ年上の女だ。蓮華が分からない言葉の意味を、きっとはな子は知っているはず。
ペンを置き、背筋を伸ばして向き合う。
「愛するとは、どういったものなのでしょうか」
「あいっ……!?」
神妙な面持ちの蓮華とは相反して、はな子は顔を真っ赤にしている。
蓮華はなぜそうなるのかと首を傾げた。
「いきなりどうして、そのような言葉が出てくるのでしょうか」
「先日、旦那様がおっしゃったのです。‟愛してやる‟と」
蓮華が答えると、はな子ははくはくと口を開閉する。
「ひゃあああああっ!」
顔を真っ赤にして慌てふためく様子をみて、蓮華も狼狽した。
(何か、気に障るようなことを言ってしまったのかもしれない)
すかさず姿勢を正して平謝りをしようと試みたが、すんでではな子に止められることになる。
「違うのです違うのです。これは、つい興奮してしまったというか」
「興奮……?」
「あの鉄仮面のお坊ちゃまが、本当に本当に……そうおっしゃったのですか?」
蓮華がこくりと頷くと、はな子がなぜか喜んでいる。
そうして、勢いのままに蓮華の両手をとった。
「まるでロマンス小説のよう……! 堅物のお坊ちゃまが、まさか、まあまあまあ!」
「あ、あの」
「女性に興味がおありでないのかもしれないと、一時期は心配申し上げておりましたのに、本当によかった」
「はな子さん、それで、私」
蓮華は大きく瞬きをして、はな子に訴えかける。ひとまず不快な思いはさせていないようでほっと胸を撫でおろした。
「‟愛する‟の言葉の意味、ですね」
「はい、どうにも私には分からないのです」
はな子は蓮華と年齢が近い。その点でいうと、巴家の千代や喜代も蓮華とそう年齢は離れていなかったが、このように親身な会話はできた試しがない。蓮華はそれだけで不思議な心地がした。
「とても幸せなことです」
「幸せ……?」
「蓮華様が花を丁寧に生けるのと同じように、優しくてあたたかいお気持ちをまるごと向けること」
蓮華ははな子をじっと見つめる。
「お坊ちゃまは分かりにくいようで、実はとても分かりやすいお人です。蓮華様がいらっしゃってから、表情がうんと柔らかくなられました」
「ご迷惑では、ないのでしょうか」
「滅相もない……! きっと、蓮華様を一目で気に入ってしまわれたのでしょうね」
愛するとは何か。
蓮華は、ここしばらくそればかりを考えていた。
辞書を引いてみてもいまいち理解には及ばず、言葉ばかりが独り歩きしてしまった。読み書きの練習をしていると、蓮華の傍仕えをしているはな子が声をかけてくる。
「どうかなされましたか? ぼーっとして」
快活な雰囲気をもつはな子は、蓮華の二つ年上の妙齢の女だ。
はな子は家令の橘同様に、蓮華に対して嫌悪を向けなかった。待遇の何もかもが巴家と異なっていたため、はじめこそは戸惑っていたものの、蓮華はしだいに慣れていった。
「なんでもございません。申し訳……」
「あー! 駄目です駄目です! 謝らせるのは禁止って、お坊ちゃまに口酸っぱく言われているんですから!」
はな子は大きく身振り手振りをして、蓮華を制する。蓮華は文机の前でうつむいた。
「何か考えごとでも?」
「い、いえ」
「誤魔化しはききませんよ~? いつもすらすらと書いているのに、手が止まっているじゃないですか」
蓮華ははっとした。はな子のいう通り、読み書きの勉強がまったく進んでいない。
(聞いてもいいのかしら)
はな子は蓮華よりも二つ年上の女だ。蓮華が分からない言葉の意味を、きっとはな子は知っているはず。
ペンを置き、背筋を伸ばして向き合う。
「愛するとは、どういったものなのでしょうか」
「あいっ……!?」
神妙な面持ちの蓮華とは相反して、はな子は顔を真っ赤にしている。
蓮華はなぜそうなるのかと首を傾げた。
「いきなりどうして、そのような言葉が出てくるのでしょうか」
「先日、旦那様がおっしゃったのです。‟愛してやる‟と」
蓮華が答えると、はな子ははくはくと口を開閉する。
「ひゃあああああっ!」
顔を真っ赤にして慌てふためく様子をみて、蓮華も狼狽した。
(何か、気に障るようなことを言ってしまったのかもしれない)
すかさず姿勢を正して平謝りをしようと試みたが、すんでではな子に止められることになる。
「違うのです違うのです。これは、つい興奮してしまったというか」
「興奮……?」
「あの鉄仮面のお坊ちゃまが、本当に本当に……そうおっしゃったのですか?」
蓮華がこくりと頷くと、はな子がなぜか喜んでいる。
そうして、勢いのままに蓮華の両手をとった。
「まるでロマンス小説のよう……! 堅物のお坊ちゃまが、まさか、まあまあまあ!」
「あ、あの」
「女性に興味がおありでないのかもしれないと、一時期は心配申し上げておりましたのに、本当によかった」
「はな子さん、それで、私」
蓮華は大きく瞬きをして、はな子に訴えかける。ひとまず不快な思いはさせていないようでほっと胸を撫でおろした。
「‟愛する‟の言葉の意味、ですね」
「はい、どうにも私には分からないのです」
はな子は蓮華と年齢が近い。その点でいうと、巴家の千代や喜代も蓮華とそう年齢は離れていなかったが、このように親身な会話はできた試しがない。蓮華はそれだけで不思議な心地がした。
「とても幸せなことです」
「幸せ……?」
「蓮華様が花を丁寧に生けるのと同じように、優しくてあたたかいお気持ちをまるごと向けること」
蓮華ははな子をじっと見つめる。
「お坊ちゃまは分かりにくいようで、実はとても分かりやすいお人です。蓮華様がいらっしゃってから、表情がうんと柔らかくなられました」
「ご迷惑では、ないのでしょうか」
「滅相もない……! きっと、蓮華様を一目で気に入ってしまわれたのでしょうね」