「お召し物はこの箪笥の中に。一通りこしらえておきました」
「あ……あの、本当に申し訳ございません」
「いいえいいえ、そう謝らないでくださいまし。蓮華様がお越しになるのを、お坊ちゃまも私も楽しみにしていたのですよ」

 蓮華が通された部屋は、巴家にて与えられていた屋根裏部屋とは比べ物にならないほどに上等だった。どこか懐かしさを覚える井草の匂いに迎えられ、蓮華はほうとため息をつく。

 己のような非嫡出子が本当に歓迎されているのか。蓮華は俯いた。

「ですが、本当にご迷惑をおかけしてしまっていると思います」
「そう、ご謙遜なさらずに。迷惑など、とんでもございません」

 蓮華はそれでも、家令の言葉を受け入れられずにいた。巴家に身を置いていた時は、義母や姉たちに邪見にされていたのだ。

 それこそ、生きていることが罪であるとばかりに。それが蓮華にとって当たり前であったからこそ、小鳥遊家での待遇に戸惑った。

(このようなお部屋も、私にはもったいないわ)

 生まれてこの方、綺麗な布団で寝たこともない。余所行きの服装もかろうじて着物が一着あるくらいだ。今日からここが蓮華の部屋だと言われても、実感が沸かなかった。

「あの……私は、何をさせていただけばよろしいでしょうか」
「何を……とは?」
「掃除や洗濯、給仕、なんでも命じてください」

 蓮華が風呂敷の中から割烹着を取り出すと、家令が慌ててそれを制した。

「なりません! 蓮華様は当主の奥方になられる御方です!」
「も、申し訳ございません。何か他にあれば、命じていただきたいのです」

 蓮華は食い下がり、割烹着を頭から被ろうとする。

「本当に、本当に、そのようなことはしていただかなくて結構なのですよ。そのようなことをさせてしまっては、お坊ちゃまに叱られてしまいます」
「では、私は何を……」
「何もせずとも、ここを我が家と思い、くつろいでいただければよいのです。そうそう、蓮華様は朝食はもう召し上がっておりますか? まだのようでしたら、お坊ちゃまの分とあわせて用意いたしますので」

(朝食……?)

 思えば、蓮華は朝食をとる習慣がなかった。そもそも、蓮華のために用意されるものなどなかったのだ。三日に一度、冷めた白米とたくあんがあればよいほどで、蓮華は台所のすみっこで隠れるように口にしていた。

 そのような生活をしていたからか、蓮華は食に無頓着なのだ。今自分が空腹であるのかも分からないほどには。

 蓮華が首を振ると、家令はほっと胸をなでおろす。

「では、すぐに支度いたします。また声をかけますので、それまでお部屋でゆっくりされていてくださいな」

 そう言って、家令は襖を閉め、部屋をあとにした。

(お言葉に甘えてしまって、本当によいのかしら……)

 蓮華はしばらく部屋の中をうろうろした。巴家にいたころは何もしない時間がなかったため、落ち着かなかった。少しでも手を止めれば、怠慢だと叱責されたからだ。

(何か、何かお役に立たないと)

 そうしなければ、幻滅されて捨てられてしまうだろう。

 ただでさえ望まれて生まれてこなかった人間なのだ。下働きをすることで、かろうじて屋敷に置いてもらえた。
 存在をかき消すことで、満足してもらえた。殴られても蹴られても耐えることで、明日を迎えることを許してもらえた。

 家令の声がかかるまで、蓮華は畳の上に腰をおろし、ただぼんやりとうつむいていたのだった。