華族界隈において、この手の話はよく聞いていた。屋敷の使用人との戯れを趣向とする当主は多く、その末にできた私生児の立場といえば至極危ういものだ。
(これだから、華族制度などくだらんのだ)
千桜は深くため息をつく。自らの行動に責任を持たぬ、傲慢な華族が多すぎる。
そうして都合が悪くなると、立場の弱い者を平気で踏みにじり、切り捨てる。
民主主義など名ばかりであり、華族を優遇する政治は依然公平ではない。そればかりではなく、昨今は首相に対抗する過激派が発足し、きな臭い動きもある。
とくにダンスホールで開催される夜会は、隠匿すべき会合にもってつけである。貴賓室にでも隠れられては、調べが行き届かないからだ。
「おそらくは、屋敷の中でも手ひどい扱いを受けているのだろうな」
「いかがいたしましょうか」
書類から顔を上げ、千桜は両手をあわせるように組む。
千桜は偽善者ではない。正義感だけは幼い頃より人一倍高かったが、過酷な境遇にいる者へ無差別な同情を向けることはない。
だが。
「明日、巴家にうかがうことにする」
縁談などくだらないと思っていた。
見合いの話もすべて断っていた千桜であったが、この時、ごく自然に蓮華を小鳥遊家に迎え入れる考えが浮かぶ。
どうにも蓮華の姿が忘れられなかった。桜の下で儚い表情を浮かべる蓮華が、それほど美しく映ったのだ。
蓮華を乗せた自動車は、帝都の東に構える純和風の屋敷に到着する。
西洋の流行を取り入れた洋風建築の巴家と比べると、小鳥遊家は、古き良き趣を大事にする習慣があった。
蓮華は途中で眠ってしまった非礼を詫びたが、千桜は「気にするな」と言い切るのみであった。
「荷物は家令に運ばせておけ」
「い、いえ……自分で運べます、ので」
「だが、女性が持つには重いだろう」
「いいえ、ご、ご面倒をおかけするわけには」
蓮華は何度も頭を振る。千桜はしばらく蓮華を見据え、小さくため息をついた。
「貸しなさい」
「あ」
蓮華の腕から風呂敷を奪い取ると、そのまま屋敷の中へ入っていてしまう。
蓮華は激しく狼狽した。主となる人に、自分の荷物を運ばせてしまっている。背筋がぶるりと震え、とっさに千桜の背中を追いかける。
「な、なりません……」
「かまわん。――橘、彼女を部屋に案内してさしあげろ」
千桜は蓮華の声かけに一瞥するだけで、先へ先へと進んでしまう。
本来であれば、己のような人間がまたぐことができる敷居ではないのだ。蓮華の胸の内には変わらず暗雲が立ち込め、屋敷の玄関先で足踏みをした。
「蓮華様、こちらに」
家令に促され、蓮華はようやく顔を上げる。客人としてもてなされた経験など蓮華にはない。
加えて嫌な顔ひとつしない家令にも戸惑ったが、なんの後ろ盾もない蓮華には、意思決定をする権利などないのだ。
(これだから、華族制度などくだらんのだ)
千桜は深くため息をつく。自らの行動に責任を持たぬ、傲慢な華族が多すぎる。
そうして都合が悪くなると、立場の弱い者を平気で踏みにじり、切り捨てる。
民主主義など名ばかりであり、華族を優遇する政治は依然公平ではない。そればかりではなく、昨今は首相に対抗する過激派が発足し、きな臭い動きもある。
とくにダンスホールで開催される夜会は、隠匿すべき会合にもってつけである。貴賓室にでも隠れられては、調べが行き届かないからだ。
「おそらくは、屋敷の中でも手ひどい扱いを受けているのだろうな」
「いかがいたしましょうか」
書類から顔を上げ、千桜は両手をあわせるように組む。
千桜は偽善者ではない。正義感だけは幼い頃より人一倍高かったが、過酷な境遇にいる者へ無差別な同情を向けることはない。
だが。
「明日、巴家にうかがうことにする」
縁談などくだらないと思っていた。
見合いの話もすべて断っていた千桜であったが、この時、ごく自然に蓮華を小鳥遊家に迎え入れる考えが浮かぶ。
どうにも蓮華の姿が忘れられなかった。桜の下で儚い表情を浮かべる蓮華が、それほど美しく映ったのだ。
蓮華を乗せた自動車は、帝都の東に構える純和風の屋敷に到着する。
西洋の流行を取り入れた洋風建築の巴家と比べると、小鳥遊家は、古き良き趣を大事にする習慣があった。
蓮華は途中で眠ってしまった非礼を詫びたが、千桜は「気にするな」と言い切るのみであった。
「荷物は家令に運ばせておけ」
「い、いえ……自分で運べます、ので」
「だが、女性が持つには重いだろう」
「いいえ、ご、ご面倒をおかけするわけには」
蓮華は何度も頭を振る。千桜はしばらく蓮華を見据え、小さくため息をついた。
「貸しなさい」
「あ」
蓮華の腕から風呂敷を奪い取ると、そのまま屋敷の中へ入っていてしまう。
蓮華は激しく狼狽した。主となる人に、自分の荷物を運ばせてしまっている。背筋がぶるりと震え、とっさに千桜の背中を追いかける。
「な、なりません……」
「かまわん。――橘、彼女を部屋に案内してさしあげろ」
千桜は蓮華の声かけに一瞥するだけで、先へ先へと進んでしまう。
本来であれば、己のような人間がまたぐことができる敷居ではないのだ。蓮華の胸の内には変わらず暗雲が立ち込め、屋敷の玄関先で足踏みをした。
「蓮華様、こちらに」
家令に促され、蓮華はようやく顔を上げる。客人としてもてなされた経験など蓮華にはない。
加えて嫌な顔ひとつしない家令にも戸惑ったが、なんの後ろ盾もない蓮華には、意思決定をする権利などないのだ。