◇◆
 今まで、無言で首を絞めるだけだった夕李が、初めて喋ったのだと、霄風は話していた。
 晨玲の策が、夕李を奮い立たせたのだと、自慢げに語ったら、関係ないと、未泉に一蹴されてしまったが……。
 霄風が聞いた言葉と、晨玲が嗅いだ湿った土の臭い。そして、未泉が感じた息苦しさ。
 今までの経験と知識を活かして、晨玲が導き出した答えは、夕李の埋葬状況に、障りがあるのではないか……ということだった。
 直ぐ様、霄風に、文家に人を遣って調べてもらったところ、葬礼の作法からして、間違っていたようだ。
 三清の神画と、あの世の司神を祀った祭壇側に、死者は頭を向けて安置するのが作法なのだが、よりにもよって、祭壇側に夕李の足を向けさせた。
 文夫妻は信頼できる道士が葬礼を執り行っているからと、疑ってもいなかったようだが、家人はその時から、嫌な予感を覚えていたらしい。
 そして、極めつけは、埋葬方法。
 なぜか死者が安寧できない方角の湿った土地に、夕李を埋めたのだ。
 掘り返してみたら、棺の中から、霄風に対する呪詛物も出てきて、文家全体が大騒ぎになってしまったらしい。
 彼女の意思でもないのに、どうにも出来ず、繋がっている空間は、霄風のもとしかないので、行くしかない。
 夕李は霄風を恨んでいた訳ではなく、晨玲に嫉妬した訳でもなかった。
 他に、自分の苦しさを訴える方法がなかっただけ。

 ……葬礼を行った道士に操られていたのだ。

「腹立つな。それだけのことをやらかしているのに、主犯の皇太后を咎めることが出来ないなんて」
「皇太后様と繋がっていた道士は、自死したそうよ。それに、「旭日三宝神女」の神画も、皇太后様は確かに夕李様に譲ったけれど、此丹石の効果なんて知らなかったって、言い逃れされたみたい。大方、夕李様が陛下に殺されたって、朱瑛様に吹きこんだのも、皇太后様なのでしょうけど、その証拠は何も残っていないって、明蘭様が……。こうなって来ると、索徳妃様の件も、分からないわね」
「……だな。呪術で陛下のもとにしか行けない文淑妃が暁和殿に現れるはずがない。事故なのか、事故に見せかけて殺されたのか。まったく、自分の遠縁の娘を後宮入りさせたのに、死に誘うような真似をして、何がしたいんだ?」

 生前の夕李と香雨は、気の合う友人だった。

 ――皇后の手足になって働くことを、二人して拒否したのではないか?

 後宮は皇太后が本懐を遂げるための道具だ。
 最終的に、壊すために創っている。
 新しく移転したという、朱雀宮の配置は、南西の鬼が出入りする方角のど真ん中だった。
 皇太后はどうしても、霄風を皇帝に留めておきたくないらしい。

(陛下の、胸の内も知らずに)

 ……愚かだ。けど、生者を裁く力は、道士にはないのだ。

「幽霊なんかより、恐ろしい魔物が潜んでいる場所だよな。後宮って」
「ええ。だけど、私達は今日でお別れ。これからは、陛下と明蘭様が良い方向に導いてくれるわよ」
「他人事」
「あら、道士として出来る限りのことはするわよ。盛大に追悼と浄化の儀式をするんだから」

 今日は、後宮生活最終日。約束の一カ月目だ。
 丁度吉日だったこともあって、最後の仕上げに、二人の妃の追悼と、後宮全体の浄化の儀式を執り行うつもりだった。
 霄風には伝えてあるし、祭壇の準備も整っている。
 晨玲は浅黄色の長裙の上に、烏色の羽織を引っ掛けて、後宮を闊歩した。
 烏道士の正装だ。
 見習いの未泉は灰色だが、襆頭まで被っていて、晨玲以上にやる気のようだった。
 穢れを意味する黒色は、後宮内では好まれない。……でも。

(仕事着を羽織って、何が悪いのよ)

 これで最後だ。
 何を言われたところで、構わない。
 今回の儀式には、文淑妃……処分保留中の朱瑛と、皇太后も招いていた。

(お二人の妃の想い、皇太后にも伝わるようにしてみせる)

 背筋を伸ばして、自信を持って歩けば、未だに陰口をたたいている、女官達も呆気にとられて、晨玲達に道を譲った。
 前回、索徳妃を弔った同じ場所に設置した祭壇を目指していると……。

「ん?」

 鴛鴦池の東屋近くで、晨玲は華やかな衣を重そうに纏った、百合髻の少女の姿を見つけた。
 彼女が朱瑛と分かったのは、仮釈放中で大勢の宦官に囲まれていたことと、特徴的な朱色の帯を確認したからだ。
 真紅は皇帝のみが身につけることの出来る禁色だが、朱色は文家の象徴のような色であった。
 少女の稚さが色濃く、本音を隠すことを知らない彼女は、晨玲に気づいて、あからさまに顔を背けた。

「文淑妃様でございますね」
「……」

 大嫌いな道士と、口も利きたくないらしい。
 朱瑛はむっつり黙り込んでいたが、周囲の視線に促されて、嫌々口を開いた。

「お前が、陛下を謀った烏道士。稀代の悪女ね?」
「えっ、ああ、悪女。今までにない罵られ方で新鮮です」
「は?」

 朱瑛の大きな目が見開かれている間に、晨玲は自分の用件を滑り込ませた。

「私は、これから夕李様の為の儀式を執り行います。お辛いでしょうが、私は夕李様を苦しめた道士とは違う。必ず、想いを汲んで送らせて頂きますから」
「何……を?」
「お姉様のこと、見届けて下さいね」
「おい、晨玲」

 未泉に捕まった晨玲は、慌てて拱手をして、朱瑛のもとを去った。

「見てみろ」

 促されるまま、池の向かい側を眺める。
 暁和殿に、人だかりが出来ていた。

「成程」

 あそこに皇太后がいる。
 ――晨玲を、試しているのだ。

「やってやろうじゃない」

 正直、ここまで大勢の人を集めて、儀式を行うつもりなんてなかった。
 鬱憤晴らしと言わんばかりに、飛び交う野次と罵倒の声。
 怪しい。そうだろう。晨玲だって、分かっている。
 けれど、日取りも時間も今が吉なのだ。
 これを逃したら、当分できやしないし、皇城の廟にいつまでも、辿り着けない。

「さあ、始めるわよ」

 晨玲の大好きな神話の神々の御名を唱えるところから、儀式が始まった。
 分厚い経文を滞りなく、唱えるには、どんなに省略しても昼過ぎまでは掛かる。
 晨玲は丁寧に読経するので、特に時間が掛かるのだ。

(亡くなった二人のお妃様を慰め、冥府に導き、神を降ろしてから、場を綺麗にして頂く。私に出来るのは、祈ることだけ)

 霊験あらたかな経は、万人に癒しをもたらす。
 長い儀式中、集中しきっている晨玲を見て、誰もがその神秘性に息をのんだ。

 ――晨玲には、神が降りている。

 そう評したのは、晨玲の叔父だった。
 
「……敵わないな」

 晨玲の補助をしていた未泉が、小声で呟いた。
 長丁場の儀式を終えた晨玲が、経典を閉じた途端、鴛鴦池には特大の虹が架かった。
 この感じなら、ちゃんと送り出すことが出来たのだろう。

「精一杯、祈らせて頂きましたよ。夕李様、香雨様」

 晨玲は祭壇に一礼して、気持ちを切り替えてから、後ろを振り返った。
 静まり返る妃嬪、女官、宦官。何とも言えない表情で、皆、晨玲を凝視している。
 この隙に、さよならと手を振って、颯爽と後宮を去るところまでが、晨玲の脳内の台本だった。

 ――しかし。

「見事だった。晨玲」

 何処からともなく、登場したのは、本日も天女の如く美しい霄風だった。

(何で、陛下がここにいるの?)

 一瞬、宦官としてお忍びで見学に来ていたのではないかと、淡い期待もしたが、絶対にそうではない。
 本日の霄風は、頼んでもいないのに皇帝の正装をしていた。

「どうされましたか? へい……。うっ」

 拱手か叩頭か迷っているうちに、晨玲は突如、霄風に抱き締められてしまった。

「な、何?」
「私には、夕李と香雨が確と視えた。感動したよ。我が妃」
「……妃?」

 なぜ、その肩書きを、注目を浴びる場で、わざわざ言うのか?
 大体、晨玲の妃生活は、今日で終了のはずなのだが……。
 即座に振り払おうとしたものの、相手は皇帝だ。抵抗するだけ無駄だと諦めるしかなかった。
 それを良いことに、霄風は色惚け気味に熱く語ってみせたのだった。

「褒美として、正一品。三夫人の位を、黎 晨玲に与える。今の儀式を見た者であれば、異論はないだろう。烏道士如きなど、誰にも言わせやしない」
「はっ?」

 ――三夫人?
 莫迦な。晨玲には異論しかないのだが……。

「ああ、私は賛成だよ」

 またしても、何処からやって来たのか、ふらりと明蘭が現れて、挙手した。

「貴方であれば、皇帝が死にかかっても、冥府から奪い返してくれそうだ。妃として後宮入りして貰って良かった」

 まるで、二人が打ち合わせしたかのような会話。
 もしかして、いや、もしかしなくても……。

(嵌められた? 私)

 ここで、晨玲を妃として迎えたことを喧伝してしまえば、後日、誰かに反対されても、既成事実で逃げ切ることができる。

(いや、待って)

 そもそも、最初から妃として後宮に入れと言われた時点で、おかしかったではないか?

「やっぱり、そうじゃないかって気がしていたんだよな」

 未泉が両手を合わせて、晨玲を拝んでいた。

(嫌だ。まだ死んでないわよ。私)

 だけど、このまま流されたら、今後の生存率は著しく下がってしまいそうだ。

「陛下。私には烏道士の御役目と、皇城の廟巡りが待っているのです」
「本当に君はぶれないよね。そういうところ好きなんだけど」

 断ったつもりが、かえって愛の告白をされている。
 そうして、霄風は晨玲の耳朶に耳を寄せて、囁いたのだった。

「私は君が気に入った。今まで妃なんて娶るつもりはなかったけど、君となら、どんなことがあっても、一緒に生きていけそうだから。……本音だからね」
「陛下」

 かあっと頬が熱くなる。
 だけど、きっと、これは霄風の天女効果に違いない。
 
「じゃあ、晨玲。一つ賭けをしようか。今から三カ月。この間に君が私を好いてくれたら、ちゃんと夫婦になる。でも、無理だと思ったら、君を手放してあげる。君についている健気な従者君も、今回は特別に後宮滞在を認めよう。どう?」

(……健気な従者君って)

 完全に霄風は、未泉が男であることに気づいている。
 晨玲は、脅されているのか?

「手放すって、この世から手放すとかですかね?」
「君だけは、殺さないって誓ったじゃないか」
「出来れば、その誓いをもっと大人数にして下さいね。恨みは買わないことが一番。浄霊する方の身にもなって下さい」
「何だ、浄霊を頑張るくらい、私の傍にいてくれるのか」
「その発想自体が、危険でして」

 いまだに混乱状態で目を回している晨玲を、霄風は強く抱擁した。
 悲鳴と歓声が轟いているが、さすが皇帝。黙殺するのが上手い。

「知ってる? 君が私の寵妃となれば、鳳王族の太廟への出入りは自由だ。正一品の妃でいる間は、好きなだけ入り浸ることができる。皇城の廟と合わせて、どうかな?」
「……皇城の廟と太廟」

 ごくりと、晨玲の喉が鳴った。
 鳳国の皇帝一族の廟。
 素晴らしい神像と神図、圧巻の祭壇が待っている。

(絶対に太廟だけは無理だって、諦めていたのよ。これを逃したら、私、一生後悔するかも)

 晨玲の現実的思考は、「太廟」の一言で、見事に霧散してしまった。

「三カ月……ですよね?」
「ああ、三カ月。少し延長する程度だと思えばいい」
「そうですよね。たかだか、三カ月だもの」
「うん。でも、逃す気はないけどね」
「えっ?」

 何だか、良く聞こえなかった。
 未泉が特大の溜息を吐いて、明蘭は、暁和殿の方を一瞥してから、密やかに微笑した。
 二人の現実を知らない者達は、その日「ケガレ」と忌み嫌われていた烏道士の娘が、正一品の三夫人の位に昇格したという、有り得ない夢物語を目の当たりにして、大いに盛り上がったのだった。

【完】