◇◆
――死神皇帝。
 皇子時代に、皇太子であった兄の死から始まり、即位してからも、後宮入りしたばかりの皇后候補だった妃二人を立て続けに亡くしてしまった、呪われた皇帝。
 地方領主をしていた頃に、異民族との戦いで大勢人を殺していて、皇帝に即位するにあたっては、邪魔者の実弟を半殺しにして辺境送りにしたなど、恐ろしい逸話を山程持っている。
 しかし、一方で地方領主時代から、次々と打ち出した政策は功を奏していて、外交も得意。仕事の出来る皇帝という印象も抱かれていた。

(実際、会う訳でもないし、私には無関係と思っていたのに)

 そんな謎ばかりの皇帝でも、鳳国で一番偉い方なのだから、国を代表する道士がついているはずだ。
 それなのに、天清は、国家の冠婚葬祭の取り仕切るは出来るが、霊を祓うことは門外漢だと言うのだ。

(そんな莫迦な)

 霊が視えない晨玲だが、悪いモノは感じることが出来る。
 後宮なんて、空恐ろしい場所で、あまり悪いものを感じないのは、晨玲より前に、誰かが定期的に浄化をしていたからだ。
 反論したかったが、天清が覚悟を決めて話してくれたのに、頭ごなしに否定することなんて、晨玲には出来なかった。

「そういうことで、これは重要機密だから、未泉も他言無用よ」

 部屋に戻った晨玲は、未泉には話しておこうと、掃除を終えて寝支度をしていた彼を捕まえて、今までで一番の早口で、天清から聞いたことを喋った。
 一通り話し終えて、更に自分の見解も含めて、話し出そうとしたら、未泉は「もういい」と、晨玲の話を拒否したのだった。

「つまり、こういうことだろう? 度々、皇帝の枕元に、最初に亡くなったお妃様がやって来て、首を絞めていく。……で、後宮全体を祓えば、マシになるのではないかと、宦官長が晨玲に依頼したのだ……と?」
「そうね。……そういうことになるかしら?」
「それって、依頼内容の偽り。契約不履行に当たらないか?」

(うーん。まあ、そうなるわよね)

 しかし、天清の独特の圧力に流されて、簡単に「浄霊依頼」を請け負ってしまった晨玲は強がることしか出来ない。

「確かに、突き詰めてみると、そういうことになるわ。けど、場の浄化から、妃の浄霊へと、やりがいのある仕事に進化したと思えば」
「どうせ、上手く丸め込まれたんだろう? 師匠同様、お人好しにも程がある」

 師匠というのは、晨玲の叔父のことだ。
 普段、叔父のことを、お人好しで困ると愚痴っているのは、晨玲の方なのだが、自分もそうだと指摘されると、辛かった。

「仕方ないでしょ。相手は皇帝。断れないわよ。それに、陛下のお立場は盤石ではなくて、誰かに話して、弱みを握られたくなかったらしいし。鳳国の民として、黙っていられないわ」
「あんたが、莫迦なだけだ」

 図星すぎて、心が痛い。

「晨玲……さ。陛下を救うことが目的だっていうなら、この辺一帯、いくら浄化したって意味なんてないぞ。相手は「怨霊」だ。大体、亡くなった妃の死因だって、本当に病死なのかどうか? 首を絞められるほど、恨まれるなんて、皇帝がよほど、えげつないことをしていたとしか思えないんだけど? 事と次第によっては、こちらも甚大な被害を受けることになるんだぞ」

 未泉は、真面目に怒っているようだった。
 無理もない。
 恨みを残して死んだ者を相手にするということは、その人の生涯と、道士がきちんと向き合っている必要があるのだ。
 生前の人格。死因を正確に知っておかなければ、浄霊方法の選択も間違えて、かえって大変なことになる。
 皇帝が情報を出し惜しみしていた時点で、信頼関係が破綻してしまったのなら、何か理由でもつけて、引き受けない方が良いのだ。
 しかし、晨玲は引き受けてしまった。
 成り行きで押し付けられてしまったのかもしれないけれど、道士としての血が滾ったのは、事実だ。

「でもね。私、視えないけど、お妃様の声は聞きたいのよ」
「はっ?」

 案の定、未泉の呆然とした声が響いた。

「だって、凄いと思わない? 皇帝なんて、この国で一番守護されている御方なのよ。その御方の首を、お妃様は絞めに通っている。……とんでもない執念だわ」
「分かった。うん、分かっていたよ。あんたがまともじゃないってことはな」

 はあっと、盛大な溜息を吐いてから、未泉は話を本題に戻した。

「でもな、そもそも、その天清という宦官が怪しいじゃないか? 何で急にあんたの前に沸いてきたんだ。浄霊ともなると、皇帝とも、会う必要が出て来る。宦官長の権限を使ったとしても、そう簡単に会えやしないぞ」
「ああ、それなら、大丈夫。天清様が仰っていたわ。まず、三夫人のお一人、黄貴妃様に目通りできるよう、働きかけてくれるって」
「有り得ない」

 未泉が晨玲を睨んでいた。

「あんた、その宦官に、からかわれたんだよ。三夫人だって雲上人だ。一宦官の権限の及ぶ範囲ではない」
「うん、まあ、それもそうね。確かに、そうかもしれないけど」

 否定が出来ない。未泉の言うことも、もっともなのだ。

「晨玲。今日は休め。あんた、疲れているんだよ」
「そう……ね。先走り過ぎたかしら?」

 もし、天清の話したことが本当だったとしても、さすがに明日実行することは不可能だ。

(眠って、頭を冷やそう)

 ――が、そんな暢気な考えは、見事に覆されることになる。

 ――翌日。
 普段通り、晨玲は未泉と共に、朝一番で、浄化の儀式を後宮の廟で行い、部屋に戻って来たところで……。

(こう)貴妃さまが、お待ちでございます」

 すっきりした高髻(こうけい)に華美な衣装を纏った女官が、晨玲達を待ち構えていたのだ。

「はっ?」

 さすがに、普段暢気な晨玲も動揺した。
 昨日の今日でお呼びが掛かるとは……。
 一瞬、女官は偽者かと疑ってしまったものの、鬱金色の衣は、黄貴妃の女官でなければ身に付けることが出来ないので、本物に間違いない。
 見るからに、仕事が出来そうな隙のない所作をしている女官は、愛想はなかったが、晨玲に対する態度は丁重そのものだった。
 そして、支度する間もなく、晨玲と未泉は、女官に先導されて、黄貴妃のもとに向かう羽目になったのだ。

「嘘でしょ。どうして、黄貴妃様があんな人を呼ぶのよ?」
「どんな取り入り方したの?」

 途中、四方から、殺気溢れる声がこだましていたが、その時の晨玲の気分は爽快だった。

(はははっ。ざまあ見なさい)

 意気揚々に、女官の後ろに続き、三夫人の起居している朱雀宮に足を踏み入れる。
 神様大好きな晨玲は、歴史的芸術作品も好物だ。宮殿内部に入れることを、楽しみにしていたのだが……。
 ……しかし。
 そこで、晨玲は急に怖気づいてしまった。

(どうして、私、こんな場違いな処に来てしまったのかしら)

 ……宮殿が、豪華すぎた。

 日頃、鴛鴦池から遠目に眺めてはいたものの、明らかに、今まで目にしてきた後宮の殿舎とは規模が違っている。
 豪快に金を使った光り輝く宮。
 特に、黄貴妃が暮らしている仁嘉(じんか)殿は、姓の「黄」からだろう、黄系の鮮やかな色が使われていて、目が痛くなるほど派手だった。
 皇帝が即位する前に、後宮の正一品、三夫人の住まう宮殿を、移転して建て直したのだと、小耳に挟んではいたが、まさか、これほどまでとは……。
 絶対に、庶民の晨玲が出入りしてはいけない、異世界。
 身の丈に合わない仕事だ。

(こんなに煌びやかな宮殿で、立て続けにお妃様が身罷れるなんて……)

 見た目だけでは分からない、闇があるのか……。

 ――そういえば。

(この宮殿の配置って?)

 ふと、晨玲は気付いたことがあった。

「ねえ、未泉」

 だが、それを指摘しようとした瞬間、晨玲の背筋に寒気が走った。

(何、この気配?)

 目を凝らすと、遥か前方から、濃緑の長裙を上手にさばきながら、こちらにやって来る人影を発見した。
 後ろに大勢の女官を引き連れているのは、先頭にいる女性が高位であることを示している。

(もしかして、あの人、こっちに来る?)

 やはり、正面で鉢合わせしてしまったら、叩頭しなければならないのだろうか?
 長く道士の仕事をしているせいか、晨玲は異様な空気を感じる瞬間がある。
 今回もそれだった。
 未泉も晨玲に目配せしているので、彼なりに感じるものがあるのだろう。

(まさか、あの人が黄貴妃ではないよね?)

 もし、黄貴妃だとしたら、晨玲は後ろを向いて、全速力で逃げてしまいたいのだが……。

「大丈夫ですよ」
「へっ?」

 晨玲の動揺を見抜いたのだろう。
 女官はきっぱり言った。

「あの方は、皇太后陛下です。貴妃様ではありません」
「そうなのですか」

 ――皇太后。

(確か、亡くなった先の皇太子の母君)

 現在の死神皇帝にとっては血の繋がりはないものの、義母ということになる。

「こちらにいらっしゃるのは、珍しいことですが、貴妃様に御用があったのでしょう。心配せずとも、こちらには来ません」
「そうですか」

 半信半疑で返事だけしたものの、彼女の言う通りだった。
 皇太后は晨玲と会うことはなく、廊下を曲がって横に行ってしまった。
 何処か、寄り道するところがあるというのだろうか?

「さっ、晨玲様。こちらに……」

 それから廊下を更に直進して、やっと到着したのは、ここが玉座の間だと言われても納得してしまいそうな圧倒的に広い一室だった。
 その奥の長椅子の右端で、気怠そうに座っている華美な格好の女性と、左端で腕を組んでいる男性の姿。

「ん?」

 ――男性?
 見覚えのある姿に、晨玲は目を瞬かせた。
 先日と装いが異なり、今日は真っ赤な裳裾を身に着けていて、髪も綺麗に束ねているが、しかし、晨玲が彼の顔を見間違えるはずがない。
 麗しの天女のような、容貌のその人は……。

「天清様!」
「何だって?」

 反射的に、素の声で驚いたのは、未泉だった。

「くくくっ」

 途端、遠慮のない、派手な笑声が静謐な室内に響き渡った。
 大笑いしているのは、天清ではない。女性の方だ。
 下がれと、その女性が命じるだけで、空気のように侍っていた女官達が、散っていったので、やはり、この色気溢れる女性の正体は、三夫人の一人、黄貴妃だろう。
 ――では?
 背後に悠然と佇んでいるその人は、誰なのか?
 女性は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、言った。 

「ああ、面白いな。さっきまで、皇太后が来ていたせいで、陰鬱な気持ちになっていたが、一気に吹き飛んだよ。晨玲とその愛らしい侍女のおかげだ」
「黄貴妃……様?」
「ああ、私は黄貴妃。名は明蘭(めいらん)。……で、こっちが、私の言葉を信じず、嘘が嘘を呼んで、更に面倒なことになってしまった憐れな男。霄風(しょうふう)だ」
「霄……風様」

 ――鳳 霄風。

 その御名を知らない人間は、少なくとも、後宮内にはいないはずだ。
 晨玲の眼前まで出てきた天清は、記憶通りの優しい微笑を浮かべていたが、昨夜とは、口調が異なっていた。

「改めて、謝罪するよ。黎 晨玲。私は天清ではない。昨日は咄嗟に、君が反応しやすい偽名を騙ってしまっただけで。本当の名は霄風。世間では「死神皇帝」とか呼ばれている、憐れな皇帝だよ」