「失礼いたしますわ」
突然の香麗の訪問に、私たちは慌てた。
「しゃ、香麗様! お越しになるなら事前にご一報くださるのが慣例でございましょう」
仙月が足止めしている隙に、私はまさに今書いていた夢小説を片付けようとする。だが、黒々と墨の乗っているそれを移動させるのは容易なことではない。
「香麗様!」
「少々お待ちを!」
仙月を突破して部屋に上がり込んできた香麗を、紅花と若汐が止めようとするが、それもあえなく抜き去られる。何なの、バスケ選手か何か?
「やはり、噂は本当でしたのね」
未だ墨の乾かぬ紙に覆いかぶさることも出来ず固まっている私に、香麗はにんまりと目を細める。
「朱蘭先生」
(ぎゃああ~っ!!)
噂って何だよ、そんなに広まっちゃってるの? 私がこれ書いてること!
仙月の様子をそっとうかがう。
――……翠蘭様が書かれているのだと、決して口外しないのであれば
そう言っていた彼女は、明らかに怒っていた。
(ごめん! いや、だってこれは不可抗りょ……)
「翠蘭様お付きの侍女頭仙月さんが、頻繁に写本部屋に顔を出しているから、そうではないかと囁かれておりましたの」
(いや、アンタのせいやん!!)
仙月は気まずげに目を逸らした。
「そ、それで?」
私は恐る恐る彼女に聞く。
やっぱり皇后が艶本を執筆してたのはまずかっただろうか。うん、まずいよね。普通に考えてちょっと非常識だよね。
「ここへは何をしに?」
「……」
彼女は皇后に次ぐ地位の貴妃だ。自分が頂点の座に就くため、これをネタに私を廃しに来たのかと思ったのだけど。
「……私のためにも一作、書いていただけません? 朱蘭先生」
(へ?)
ぽかんとしている私に、香麗は少し顔を赤らめ、怒ったように言う。
「聞くところによれば、皆の理想の男性像もその作品の中に生かしていると言うではありませんか! なら、私の理想の男性を書いてくださってもいいでしょう?」
「……執筆の依頼?」
「それ以外のなんだと言うのです!」
言って、彼女は本を取り出した。私が書いたものの写本だった。
「私も理想の男性から、物語の中だけでもこんな風に甘やかされたいと思いましたの」
(敵、じゃない?)
「書いて下さらないなら、朱蘭先生の正体を皆にばらしますわよ!」
(いや、敵かな?)
私は紅花にお茶を用意するように伝える。
「了解。じゃあ、書いてほしい理想の男性像を教えてもらえる?」
「書いてくださるの?」
「……脅されちゃったからね」
私が苦笑いすると、香麗は嬉々として語り出した。
「えぇと、権力者でとっても自信家なんですの! 逆らえる者は誰もおらず、少し傲慢だけれど女主人公にはとても甘くて一途で……」
(ふんふん、俺様系ってやつね)
「それって……」
若汐が首をかしげる。
「皇帝陛下そのものですよね?」
(え?)
「っ!」
香麗は見る間に顔を赤くする。
「え? これ、陛下の特徴なの?」
「そ、そうですわ! そんなのすぐにわかる事でしょう?」
「ごめん、私あの人のことよく覚えてないんだ。えぇと、ほら、怪我で」
「……そ、でしたわね」
「でも、皇帝陛下が理想なら、香麗が直接『こうしてほしい』って言えばいいんじゃない? こんな作り話で補完しなくても。香麗の言うことなら、陛下は全部叶えてくれるでしょ?」
「……」
香麗は少しふくれて下を向く。そして意を決したように私に向き直った。
「あなたの描く恋模様は、胸が苦しくなるほど素敵だから! それは現実の皇帝陛下の口からは出てこない言葉で……。だから本で欲しいと思いましたのよ! いけません?」
「……そっか」
私の書いた物語が彼女の心を震わせたと知り、嬉しくなる。作者冥利に尽きるとはこのことだ。
「いけなくないよ。だって、乙女ゲープレイヤーには既婚者も多いからね」
「オトメゲー? プレ?」
「なんでもない。それにしても、ふふ。香麗は本当に陛下のこと好きなんだね」
「貴女だってそうでしょう?」
香麗は怪訝そうに言う。
「陛下は国一番の、最高の殿方ですのよ?」
「私は……」
伝わるかどうかわからないけど、彼女になら話してもいい気がした。
「現実の男が、怖いんだ」
「嘘でしょう? あんなに甘くて濃密な恋物語を描いているのに」
「作り物の、物語の中の男性にしか恋ができない。生身の男には恐怖すら感じる。そんな人間もいるんだよ」
「……」
「だからさ、香麗が陛下を引き付けてくれているの、正直助かってるんだ」
「……。変なお方」
言ったかと思うと、香麗はふっと笑った。
「では、私が陛下の寵を独り占めしていても、文句はないと言うことですのね?」
「他の寵姫の手前一人占めはどうかと思うけど、少なくとも私の所へ来ない件については問題ないな。むしろありがたいくらい」
香麗は目元をやわらかに細めた。
「なら、私たちがいがみ合う必要は全くないと言うことですのね」
「そうなるね」
香麗は茶杯を手に取ると、くいっと飲み干した。
そして優雅な仕草で立ち上がる。
「ご馳走様。では、小説の件、お願いいたしますわよ」
「はい、リク受け付けました」
「リク?」
「なんでもない」
突然の香麗の訪問に、私たちは慌てた。
「しゃ、香麗様! お越しになるなら事前にご一報くださるのが慣例でございましょう」
仙月が足止めしている隙に、私はまさに今書いていた夢小説を片付けようとする。だが、黒々と墨の乗っているそれを移動させるのは容易なことではない。
「香麗様!」
「少々お待ちを!」
仙月を突破して部屋に上がり込んできた香麗を、紅花と若汐が止めようとするが、それもあえなく抜き去られる。何なの、バスケ選手か何か?
「やはり、噂は本当でしたのね」
未だ墨の乾かぬ紙に覆いかぶさることも出来ず固まっている私に、香麗はにんまりと目を細める。
「朱蘭先生」
(ぎゃああ~っ!!)
噂って何だよ、そんなに広まっちゃってるの? 私がこれ書いてること!
仙月の様子をそっとうかがう。
――……翠蘭様が書かれているのだと、決して口外しないのであれば
そう言っていた彼女は、明らかに怒っていた。
(ごめん! いや、だってこれは不可抗りょ……)
「翠蘭様お付きの侍女頭仙月さんが、頻繁に写本部屋に顔を出しているから、そうではないかと囁かれておりましたの」
(いや、アンタのせいやん!!)
仙月は気まずげに目を逸らした。
「そ、それで?」
私は恐る恐る彼女に聞く。
やっぱり皇后が艶本を執筆してたのはまずかっただろうか。うん、まずいよね。普通に考えてちょっと非常識だよね。
「ここへは何をしに?」
「……」
彼女は皇后に次ぐ地位の貴妃だ。自分が頂点の座に就くため、これをネタに私を廃しに来たのかと思ったのだけど。
「……私のためにも一作、書いていただけません? 朱蘭先生」
(へ?)
ぽかんとしている私に、香麗は少し顔を赤らめ、怒ったように言う。
「聞くところによれば、皆の理想の男性像もその作品の中に生かしていると言うではありませんか! なら、私の理想の男性を書いてくださってもいいでしょう?」
「……執筆の依頼?」
「それ以外のなんだと言うのです!」
言って、彼女は本を取り出した。私が書いたものの写本だった。
「私も理想の男性から、物語の中だけでもこんな風に甘やかされたいと思いましたの」
(敵、じゃない?)
「書いて下さらないなら、朱蘭先生の正体を皆にばらしますわよ!」
(いや、敵かな?)
私は紅花にお茶を用意するように伝える。
「了解。じゃあ、書いてほしい理想の男性像を教えてもらえる?」
「書いてくださるの?」
「……脅されちゃったからね」
私が苦笑いすると、香麗は嬉々として語り出した。
「えぇと、権力者でとっても自信家なんですの! 逆らえる者は誰もおらず、少し傲慢だけれど女主人公にはとても甘くて一途で……」
(ふんふん、俺様系ってやつね)
「それって……」
若汐が首をかしげる。
「皇帝陛下そのものですよね?」
(え?)
「っ!」
香麗は見る間に顔を赤くする。
「え? これ、陛下の特徴なの?」
「そ、そうですわ! そんなのすぐにわかる事でしょう?」
「ごめん、私あの人のことよく覚えてないんだ。えぇと、ほら、怪我で」
「……そ、でしたわね」
「でも、皇帝陛下が理想なら、香麗が直接『こうしてほしい』って言えばいいんじゃない? こんな作り話で補完しなくても。香麗の言うことなら、陛下は全部叶えてくれるでしょ?」
「……」
香麗は少しふくれて下を向く。そして意を決したように私に向き直った。
「あなたの描く恋模様は、胸が苦しくなるほど素敵だから! それは現実の皇帝陛下の口からは出てこない言葉で……。だから本で欲しいと思いましたのよ! いけません?」
「……そっか」
私の書いた物語が彼女の心を震わせたと知り、嬉しくなる。作者冥利に尽きるとはこのことだ。
「いけなくないよ。だって、乙女ゲープレイヤーには既婚者も多いからね」
「オトメゲー? プレ?」
「なんでもない。それにしても、ふふ。香麗は本当に陛下のこと好きなんだね」
「貴女だってそうでしょう?」
香麗は怪訝そうに言う。
「陛下は国一番の、最高の殿方ですのよ?」
「私は……」
伝わるかどうかわからないけど、彼女になら話してもいい気がした。
「現実の男が、怖いんだ」
「嘘でしょう? あんなに甘くて濃密な恋物語を描いているのに」
「作り物の、物語の中の男性にしか恋ができない。生身の男には恐怖すら感じる。そんな人間もいるんだよ」
「……」
「だからさ、香麗が陛下を引き付けてくれているの、正直助かってるんだ」
「……。変なお方」
言ったかと思うと、香麗はふっと笑った。
「では、私が陛下の寵を独り占めしていても、文句はないと言うことですのね?」
「他の寵姫の手前一人占めはどうかと思うけど、少なくとも私の所へ来ない件については問題ないな。むしろありがたいくらい」
香麗は目元をやわらかに細めた。
「なら、私たちがいがみ合う必要は全くないと言うことですのね」
「そうなるね」
香麗は茶杯を手に取ると、くいっと飲み干した。
そして優雅な仕草で立ち上がる。
「ご馳走様。では、小説の件、お願いいたしますわよ」
「はい、リク受け付けました」
「リク?」
「なんでもない」