「なんて女でしょう!」
皇帝と寵姫が完全に姿を消すと、仙月は怒りをあらわにした。
「陛下は翠蘭様を見舞いにいらっしゃったのですよ! それをあんな風にべたべたと、なんて無神経な! ここは遠慮するのが筋でしょうに!」
「本当に、見舞いに来るならお一人でいらっしゃればいいのだわ!」
「陛下のおっしゃりようも、あまりにも無慈悲。翠蘭様がお気の毒すぎます!」
仙月の言葉に続いて、侍女たちも不満の声を上げる。
けれどそんな彼女らとは裏腹に、私の心に怒りや落胆は全くなかった。
(あの皇帝、本当に私……ていうか、翠蘭に興味ないんだなぁ。……ん? 待って?)
高田朱音だった頃、幾度も母親からぶつけられた言葉を思い出す。
――結婚、どうするつもり? いい相手はいないの?
(もう結婚しちゃってるよね。しかも国のトップ)
――子どもはいつ産むの?
(皇帝に興味持たれてないので無理だな。私の責任じゃない)
――私たちが死んだら、どうやって生きていくの?
(皇后だし、よほどのことがなければ衣食住に困ることはなさそう)
てことは?
胸にじわじわと湧き上がってきたのは、――開放感。
(問題全部解決じゃない!? 興味のない三次元の男とアレコレしなくても、安心して生きていける環境がここにある!)
「勝った!」
思わず声を上げ、両拳を天井に突き上げる。そんな私に、侍女たちはぎょっとして身をすくめた。
「翠蘭様? あの、勝ったとは……?」
「あ、はは、なんでもない」
私は架子床に身を横たえ、布団を口元まで引き上げる。
皇帝に顧みられない? それこそ願ったりかなったり! むしろ興味持たれたくない!
(残りの人生、好き放題に時間を使える消化試合みたいなものじゃない!?)
布団の下で、私の口元は緩んだ。
怪我が癒えるにはそれなりの日数を要した。
その間、退屈しのぎに私は部屋にある書を読みあさる。
皇帝に顧みられない翠蘭は、せめて読書の世界で甘い夢を見たいと思ったのだろうか。
ロマンティックな恋愛物語が多く、それは乙女ゲー好きの私にも楽しめる内容だった。
また、この世界の文字に関して、問題なく読み書きできるのもありがたかった。
文字だけでなく一般的な習慣・常識を、この体はしっかりと覚えている。
翠蘭としての記憶はなくとも、経験は残ってくれたようだ。
(はー、天国)
会社行かなくていい。パワハラ上司や、マウンティング女子もこの部屋にはいない。家事しなくても文句言われない。寝ているだけで、食事は運ばれてくる。髪は毎日整えられ、体もきれいにしてもらえる。皇帝は全く立ち寄らないので、心行くまで読書を楽しめる。
(やば、太りそう)
けれどさすがに3週間も過ぎると、部屋にあった本だけでは読み飽きてしまった。
(そう言えば)
私は部屋の片隅にある、博古架の鍵のかかった開き扉に目をやる。
(あそこにも本が入っている気がするんだよね)
私は架子床から降りる。
「皇后陛下、ご無理はなさいませんように。何かご必要なら私どもにお命じ下されば」
「大丈夫だよ、仙月。もう痛みはほとんどないから」
久しぶりの足の裏の感触。多少ふらつきはするが、自力で移動できるのは気持ち良かった。
博古架の扉を開く。
(あった!)
予想過たず、そこには数冊の書が並んでいた。
私は早速取り出し、ページを開く。
(おぅ!?)
なぜ、鍵のかかった場所に仕舞われていたかを、一目で理解した。
いわゆる春画のような挿絵が目に飛び込んできたのだ。
「きゃっ」と背後で若い侍女たちの声がする。振り返ると彼女らは顔を赤らめ、袖で口元を覆っていた。
(へー、この世界にもあるんだ。R-18作品)
「こ、皇后陛下? そう言ったものはあまり人前で読まれない方が……」
「んー」
仙月のお小言が背後から聞こえたが、私は気にせずページをめくる。
説明書きからこの本は小説ではなく、夜の営みの指南書であることが分かった。
(あー、なるほど。昔、嫁入り道具として女が持たされたやつか。夫を満足させるように、と)
それにしてもなかなか興味深い内容だ。
高田朱音として生きていた時にR-18本は何度か出したし、それなりに読んでもいたけれど、この書には元の世界ではなじみのなかったテクニックも記載されている。
(へー、ここではこういうのがメジャーなのか。面白いな)
新鮮な知識を得ると、創作意欲が湧いてしまうのが物書きの性だ。
(このテクを生かす場面に至るには、舞台はこれで、シチュエーションはこんな感じで、展開は……)
「翠蘭様!」
軽く咎める声がして、私の手の中の書は仙月によってやんわりと奪われた。
「畏れながら、その辺で。続きは私どもが下がってからでお願いいたします」
「あっ、はい」
私は架子床へ戻される。
少し動いただけだったが、やはりまだ本調子でないためか、急激に眠気が襲って来た。
(小説、書きたくなってきたな)
ここではネットにあげて、みんなの反応をもらうことはできないが。
(この部屋にあった恋愛小説もそれなりに面白かったけど、私にはちょっと夢見がちすぎる気がするんだよね)
砂糖菓子のように、甘くてふわふわとロマンティックで。でも、私はもうちょっと攻めた内容のものが読みたい。
(自分の好みの小説が欲しいなら、自力で生み出せばいいんだよね)
皇帝と寵姫が完全に姿を消すと、仙月は怒りをあらわにした。
「陛下は翠蘭様を見舞いにいらっしゃったのですよ! それをあんな風にべたべたと、なんて無神経な! ここは遠慮するのが筋でしょうに!」
「本当に、見舞いに来るならお一人でいらっしゃればいいのだわ!」
「陛下のおっしゃりようも、あまりにも無慈悲。翠蘭様がお気の毒すぎます!」
仙月の言葉に続いて、侍女たちも不満の声を上げる。
けれどそんな彼女らとは裏腹に、私の心に怒りや落胆は全くなかった。
(あの皇帝、本当に私……ていうか、翠蘭に興味ないんだなぁ。……ん? 待って?)
高田朱音だった頃、幾度も母親からぶつけられた言葉を思い出す。
――結婚、どうするつもり? いい相手はいないの?
(もう結婚しちゃってるよね。しかも国のトップ)
――子どもはいつ産むの?
(皇帝に興味持たれてないので無理だな。私の責任じゃない)
――私たちが死んだら、どうやって生きていくの?
(皇后だし、よほどのことがなければ衣食住に困ることはなさそう)
てことは?
胸にじわじわと湧き上がってきたのは、――開放感。
(問題全部解決じゃない!? 興味のない三次元の男とアレコレしなくても、安心して生きていける環境がここにある!)
「勝った!」
思わず声を上げ、両拳を天井に突き上げる。そんな私に、侍女たちはぎょっとして身をすくめた。
「翠蘭様? あの、勝ったとは……?」
「あ、はは、なんでもない」
私は架子床に身を横たえ、布団を口元まで引き上げる。
皇帝に顧みられない? それこそ願ったりかなったり! むしろ興味持たれたくない!
(残りの人生、好き放題に時間を使える消化試合みたいなものじゃない!?)
布団の下で、私の口元は緩んだ。
怪我が癒えるにはそれなりの日数を要した。
その間、退屈しのぎに私は部屋にある書を読みあさる。
皇帝に顧みられない翠蘭は、せめて読書の世界で甘い夢を見たいと思ったのだろうか。
ロマンティックな恋愛物語が多く、それは乙女ゲー好きの私にも楽しめる内容だった。
また、この世界の文字に関して、問題なく読み書きできるのもありがたかった。
文字だけでなく一般的な習慣・常識を、この体はしっかりと覚えている。
翠蘭としての記憶はなくとも、経験は残ってくれたようだ。
(はー、天国)
会社行かなくていい。パワハラ上司や、マウンティング女子もこの部屋にはいない。家事しなくても文句言われない。寝ているだけで、食事は運ばれてくる。髪は毎日整えられ、体もきれいにしてもらえる。皇帝は全く立ち寄らないので、心行くまで読書を楽しめる。
(やば、太りそう)
けれどさすがに3週間も過ぎると、部屋にあった本だけでは読み飽きてしまった。
(そう言えば)
私は部屋の片隅にある、博古架の鍵のかかった開き扉に目をやる。
(あそこにも本が入っている気がするんだよね)
私は架子床から降りる。
「皇后陛下、ご無理はなさいませんように。何かご必要なら私どもにお命じ下されば」
「大丈夫だよ、仙月。もう痛みはほとんどないから」
久しぶりの足の裏の感触。多少ふらつきはするが、自力で移動できるのは気持ち良かった。
博古架の扉を開く。
(あった!)
予想過たず、そこには数冊の書が並んでいた。
私は早速取り出し、ページを開く。
(おぅ!?)
なぜ、鍵のかかった場所に仕舞われていたかを、一目で理解した。
いわゆる春画のような挿絵が目に飛び込んできたのだ。
「きゃっ」と背後で若い侍女たちの声がする。振り返ると彼女らは顔を赤らめ、袖で口元を覆っていた。
(へー、この世界にもあるんだ。R-18作品)
「こ、皇后陛下? そう言ったものはあまり人前で読まれない方が……」
「んー」
仙月のお小言が背後から聞こえたが、私は気にせずページをめくる。
説明書きからこの本は小説ではなく、夜の営みの指南書であることが分かった。
(あー、なるほど。昔、嫁入り道具として女が持たされたやつか。夫を満足させるように、と)
それにしてもなかなか興味深い内容だ。
高田朱音として生きていた時にR-18本は何度か出したし、それなりに読んでもいたけれど、この書には元の世界ではなじみのなかったテクニックも記載されている。
(へー、ここではこういうのがメジャーなのか。面白いな)
新鮮な知識を得ると、創作意欲が湧いてしまうのが物書きの性だ。
(このテクを生かす場面に至るには、舞台はこれで、シチュエーションはこんな感じで、展開は……)
「翠蘭様!」
軽く咎める声がして、私の手の中の書は仙月によってやんわりと奪われた。
「畏れながら、その辺で。続きは私どもが下がってからでお願いいたします」
「あっ、はい」
私は架子床へ戻される。
少し動いただけだったが、やはりまだ本調子でないためか、急激に眠気が襲って来た。
(小説、書きたくなってきたな)
ここではネットにあげて、みんなの反応をもらうことはできないが。
(この部屋にあった恋愛小説もそれなりに面白かったけど、私にはちょっと夢見がちすぎる気がするんだよね)
砂糖菓子のように、甘くてふわふわとロマンティックで。でも、私はもうちょっと攻めた内容のものが読みたい。
(自分の好みの小説が欲しいなら、自力で生み出せばいいんだよね)