夜が明けてすぐ、私は仙月(シェンユェ)を始めとする侍女たちに一つの仕事をお願いした。
「今日一日かけて、(ジン)浩然(ハオラン)総督に関する逸話を出来る限り集めてほしいの」
 紅花(ホンファ)若汐(ルオシー)が怪訝そうに顔を見合わせる。
翠蘭(スイラン)様、それは一体……」
「必要なの、これから書く物語に。私の身の回りのことは一切しなくていいから」
「これから書く、物語に?」
 私が幽閉を命じられたことについては、既に彼女らの耳にも入っていた。その理由が(ジン)総督との不義密通疑惑であることも。皆、困惑した表情を浮かべている。
「わかりました、やりましょう」
 凛とした声を響かせたのは、侍女頭の仙月だった。
「仙月……」
「それが翠蘭様のお望みでしたら、私たちは従うのみです」
「ありがとう、仙月!」
 私は皆を見回す。
「みんなもお願い。『皇后のことで侍女である私も困ってる。こんな事態を引き起こした井総督とは、一体どんな人物なの?』そんな感じで、出来るだけ情報を集めて来て」
 皆は不安そうに互いの顔を見つめていた。しかしやがて彼女らは覚悟を決めた面持ちとなる。
「はい!」
 それはとても涼やかで美しい声だった。

「何をするおつもりですの?」
 昼頃には香麗(シャンリー)が私の部屋を訪れた。
「翠蘭様付きの侍女があちこちで、井総督について聞き回っているようですけど」
「ちょっと書きたいものがあってね」
「書きたいもの……? こんな事態に何をのんきな」
「あ、そう言えば私が幽閉されたら、次の皇后には香麗がなるのかな?」
「翠蘭様……」
「皇帝大好きな香麗なら、きっと私よりもいい皇后になるね。頑張って」
「……馬鹿にしておられるの?」
 香麗の声が低くなった。
「私、こんな形で皇后の座を手に入れても、全然嬉しくありませんわ!」
「香麗?」
「私は、今の地位で十分満足しておりますの。陛下の愛は間違いなく私に一番注がれておりますし! となれば、いずれ陛下の子を授かるのは私ですし、国母になるのも私で間違いございませんのよ? 皇后の座なんてわざわざ譲っていただく必要ございませんわ!」
お、おぅ、なんか地雷ふんだ?
「えぇと、なんかごめん……」
「そうじゃなくて!」
 香麗は私の手を取る。
「私は翠蘭様に、今のまま皇后でいていただきたいんですの。そして、ここで朱蘭(ヂュラン)先生として数多の素敵な物語を生み出してほしいんですのよ」
「香麗」
「だから、私にもお手伝いさせてくださいな。私にできること、ございません?」
「……! 助かる! あるよ、香麗にしかできないこと!」
「まぁ、それは一体?」
「皇帝に関する逸話を、思いつく限り私に教えて」
「そんなことでよろしいんですの? 構いませんけど、私、すぐにのろけてしまいますわよ?」
「むしろその路線を期待してる」
 その日、陽が落ちるまで、私は彼女から皇帝の話を聞き続けた。

『朱蘭先生』による新作が配布されたのは、それから三日後のことだった。
「これは……、戦記もの?」
「いつもの恋愛小説じゃありませんのね」
「登場人物が、男ばかりじゃありませんか」
 宮女たちは初めのうち、露骨にがっかりしたようだった。
 だが、その内容に心をくすぐられる人間はやはり出て来た。
峰風(フォンファン)に対する泰然(タイラン)の忠誠、なんだかすごく胸が高鳴ってしまいます」
「そう、まるで禁断の愛のような。背徳感があって、いつもとは別の興奮を覚えてしまいます」
 そう、私が書いたのは、これまで人気のあった峰風と泰然を同じ物語に登場させた、いわばスピンオフ小説。しかもブロマンス寄り。
 夢女子たちをがっかりさせぬよう、あくまでも二人の間にあるのは強い信頼関係。泰然将軍がどれほど皇帝・峰風のために尽くしてしたかを、これでもかとばかりに詰め込んでやった。
 しかし想像力豊かな人間が目にすれば「この二人の間には特別な愛があるのでは?」と妄想してしまうくらいの匙加減に仕上げてある。
 元居た世界でも、男だらけの少年漫画が女性にもてはやされることは多い。そしてその人間関係に妄想を大いに刺激される人も多い。
(やっぱりこの世界にもいた……!)
 皆は、峰風は皇帝を、そして泰然は井総督をモデルにしていると認識している。
(本当はどっちも違うんだけど)
 だが、皆に集めてもらった二人のリアルエピソードを、かなりアレンジしつつふんだんに盛り込んでやったのだから、今作は生モノ二次創作に近い。
 きっと多くの人の頭の中では、皇帝・勝峰と井総督との関係が描かれた物語と錯覚され、受け止められるだろう。
「新作の評判も大変良いようでございます」
「そう」
 仙月から報告を受け、私はぶるっと身を震わせる。
(さすがにブチ切れるかな)
 皇帝の怒り顔が頭に浮かぶ。
(だけど、一泡くらい吹かせてやる)